筑波山に登る ― 2018年03月01日 19:25
特に空気の澄んだ日には自宅のベランダからも東南の地平線にじつにきれいに視界に入る筑波山。青く澄んで、はっきり見える2つのとがった峰が印象的です。高い建物のなかった江戸時代にはどこからもよくみえたようで、廣重の風景画をはじめ多くの浮世絵に描かれています。富士山と並ぶ強力なランドマークだったようです。標高の一番低い百名山でということでも有名です。
じつは、こんなに身近な山なのに登ったことがありません。近くに行くことはけっこうあったのですが、登山に関心のない時にはどんな山であれ「登ろう」という意欲はでないもののようです。そんな筑波山におなじみの地元の山の会で行ってきました。
登山の模様はこの「山遊会」のブログで見てもらいたいですが、朝、筑波山神社駐車場に着いて、まず筑波山神社拝殿にお参りしました。神社なのに実に壮麗な山門があります。江戸の鬼門の方角にあたる筑波山は徳川幕府の庇護を受け、さらにそれ以前からの修験道の場としての長い歴史がありますから神仏習合の見本みたいな場所です。
2つの峰のそれぞれにあるのが男体神社本殿と女体神社本殿。ここに参拝のために登るのが古くからの信仰登山です。筑波山はそれほど厳しい高さではないのでそれだけ多くの人がここにやってきます。この日は晴天のわりに見晴らしはそれほどでもありませんでしたが、眺望のよさは随一、いつも地元で下から仰ぎ見ている山の山の頂上にいるというのはいい気持ちです。こうした「天上世界感」も神の山の要素といえそうです。
登ってみてわかりましたが、関東平野の中央にそびえる筑波山は地質構造上の長い年月を経て形成された岩山です。頂上付近だけでなく、登山道にも数多くの巨石、奇岩がいたるところで目につきます。ガマ石、出船入船、胎内潜り、弁慶七戻りなどわかりやすい名前がついていまして、これはどこにもありますが観光スポットになっていますね。
また修験道の聖地ですから、いたるところに祠や神社が点在しています。小さな聖天神社、巨大な岩倉の上に築かれた天照大神を祭るという稲荷神社、巨大なケルンのような岩の山の上に鎮座する白蛇弁天など、歴史や由来を調べたい場所ばかりです。
鴻沼川と古墳 ― 2018年03月08日 10:03
浦和周辺の「まち歩き」を企画している時に、地図を眺めていて埼京線の中浦和駅付近の鴻沼川沿いに「神明社古墳」というのがあるのを見つけました。そこで、下見の時に武蔵浦和駅方面から田島排水路沿いに歩いて(遊歩道になっていますが)鴻沼川の土手に出て、この古墳のある場所に行ってみました。上の写真で手前にある川が鴻沼川。大宮台地周辺の川はどれも水田の灌漑に利用されているのでいわゆる水田の通過水(悪水)が入ってきますからどれも見た目がきれいとはいえません。
話は少しずれますが、考えてみれば(私が)鴻沼川に来たのも久しぶりです。この川は遡っていくと私が以前住んでいた日進町(現在はさいたま市北区)に到達し、JR川越線の下をトンネルでくぐります。その向こうはその昔は広い雑木林でした。その後長く大成建設の資材置き場になっていましたが、現在は大規模マンション群が立ち並び、当時の面影はまったくありません。この付近が水源地ということになっていますが、私たちはこの川を「霧式川」と呼んでいました。その後、途中から鴻沼川にかわり、最後は荒川の支流である鴨川に合流していると思っていました。
ところが、最近の地図で見ると「霧式川」の表示がありません。最初から鴻沼川になっています。この辺はネット情報ですが、「川の名前が鴻沼川に変わったのは、1級河川に格上げする際に名前を統一したため」とのこと。この川が一級河川に指定されたのは1997年(平成9年)、わりと最近。一級河川は「国が管理している河川」ですから、確かに国土交通省の予算を使えることになります。水害対策のためでしょうね。
さて、話題を戻して、鴻沼川の向こう岸に見える墳丘が神明神社古墳です。こちら側(右岸)よりやや高い土地(自然堤防)の上に形状を保っている状態のいい古墳です。説明では直径33メートルの円墳、時代は6世紀後半から7世紀前半。古墳時代後期になります。近畿ではすでにヤマト王権が生まれている時代になります。
古墳の左に見える墓石群がかつてここにあった東福寺の跡です。ここには平安時代の木造仏もあったとのことで、この場所が古くから文化伝播の地になっていたことがわかります。近くの路傍に残る道祖神(庚申塚)に残る表示から、近代では中山道と志木・青梅方面を結ぶ街道筋にあたる場所だったことがわかります。このように埼玉県中央部は東西南北を結ぶ連絡道路の役目を果たしていたのです。現在でもそうかもしれません。
満員の歴史講演会 ― 2018年03月14日 13:11
上の写真は、さいたま市大宮の埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催された講演会『保科正之と生母・志津の安産祈願文』の様子です。定員150名をはるかに超えた人数が入っていることは明らかです。会員ばかりでなく数十人の一般参加者も含まれていますが、高年齢の人たちばかりなのも確実でしょうね。この日の講師は作家の中村彰彦氏。直木賞作家ですが、実記録を重視する作風が特色で、『保科正之 徳川将軍家を支えた会津藩主』(中公新書)など会津関係の著作も多く研究者の側面も持っています。テーマが「生母・志津」となっているのは、出生にまつわる興味深い「事実」を通して、名君と呼ばれる会津藩初代藩主で徳川将軍輔佐役だった保科正之の人物が誕生したという歴史を語っているからです。こうしたやや現実の世界と縁遠いと思われる歴史に関心のあるのはどうしても歳を重ねた人間ということになるようです。
ご存知の方も多いと思いますが、保科正之は徳川2代将軍秀忠の寵愛を受けた侍女の志津(静)が生んでいますので、3代将軍家光にとっては異母弟となるわけですが、秀忠の正室お江の方の「嫉み」を受けたため、信州・高遠藩の保科家に養子として入り、成長してから秀忠の遺名を受けて徳川将軍輔佐役になって初期幕府政権の運営に大きな力をふるった人物です。明暦の大火に際して江戸の町の再建のため江戸城天守の再建を断念するなど現在では「政治家」として名君の誉れが高い人物です。こうした人物の出生の謎はまさしく歴史上のエピソードとして興味がつきません。
さらに生母・志津(静)は、養母である見性院とのつながりで埼玉県浦和で正之を出産していますが、正室の圧迫の中での出産が無事にできるようにということで大宮の氷川神社に安産祈願をしています。そのときの祈願文が当時この氷川神社の宮司をしていた岩井家に残されており、現在はさいたま市の文化財になっています。今回の講演は、当会・岩井会長がこの祈願文の資料の関係で中村氏にお願いをして実現したという経緯があります。そこで今回、講演に合わせて、この祈願文(現物)を展示してみようという企画になりました。
講演で中村氏は、信長、秀吉、家康など戦国の歴史とその中入り組んだ人物関係図から説明に入り、武田家の興亡から養母・見性院さらに生母・志津が秀忠の子を身籠り、出産を決意していくまでの経緯をわかりやすく話しました。また、この日展示された祈願文の貴重な資料性を強調「御たいしっと(嫉妬)の御こころ深くえいちゅう(営中)におることをえず」という文言で、当時の生母・志津と正室お江との緊張した関係が始めてわかるということでした。作家としてはこのような個人の感情があらわれることが大事なのでしょう。時間の関係で、成長してからの保科正之の人物や行動については触れられなかったのが残念でした。
おしゃもじ山とは ― 2018年03月19日 14:09
天候がよさそうなので、友の会の次回の「まち歩き(5月)」で予定している毛呂山町と鳩山町の鎌倉街道沿いを歩いてみました。よければ今週、23日の「武蔵浦和まち歩き」のときにお知らせしたいと思っています。いつも相談している2名にはすでにここにしたいと希望を述べてはいましたが、やはり大勢での行動となると参加者に失望させないような保証が必要です。
実際の場所は、東武越生線の川角駅から毛呂山歴史民俗資料館を通って鳩山町のおしゃもじ山までの「鎌倉街道」で、ここを約2~3時間かけて歩きます。『比企の中世・再発見』(嵐山史跡の博物館発行)というこの地区の史跡巡りのガイドブックに掲載されているコースで、鎌倉街道上道を歩いた人なら必ず通る道でしょう。埼玉県の歴史の道の中でも、旧道そのままの雰囲気を残している数少ない貴重な箇所だと思われます。
単なる散歩としてもじつに面白いところです。私も1度(あるいは2度?)歩いたことがあるので大体の様子はわかっているのですが、ひとりできままに行くのとグループ行動とは違うはずで、そのへんの細かい確認ということなります。
以前も間違えた気がしますが、肝心の鎌倉街道へ入る道を間違え、遠回りしてしまいましたが、どうやら以前に比べ、鎌倉街道などの文化財に関する標識が増えているようで、結果的には通常の道路でなく河川沿いにいく道なども発見し、退屈しないまち歩きができそうな感じになってきました。鎌倉街道旧跡や林の中の古墳群もかなり整理されていました。越辺川の河川敷はウグイスが鳴きキジが飛び出してくるなど自然の宝庫です。
今回はあまり長時間の歩行は考えていませんので、上記のガイドブックの後半部分、笛吹峠を通って武蔵嵐山駅まで歩くという部分はカットし、鳩山町のおしゃもじ山で一応の終わりにしたいと思っています。多分ここでお昼過ぎになるでしょう。おしゃもじ山とは面白い地名ですが、鎌倉街道が越辺川を渡った場所にあり、標高は90メートルの小丘です。けっこう急な崖もあり、比企丘陵の最先端にあるだけに見晴らしもとてもいいです。戦国時代の物見跡などもあるようですが、地名のもとになっているの山の入り口にある「御杓文字(おしゃもじ)神社」です。上の写真で右端に小さく映っているのですが、可哀想なことに、最近ではお参りする人もいないようで満足な道もつけられていませんでした。
いつのころからか、世の中の苦難からひとびとを「救って」くださいという願いを込めて。この神社におしゃもじを奉納するようになったのでしょう。ちなみにおしゃもじは漢字で「御杓文字」と書きますが、「杓」は「しゃく(し)」と読み、この女性語(女房詞)が「しゃもじ」で、ほぼ同じことを意味しているようです。先端が丸くなっているのは「お玉杓子」で蛙の子はこれに似ているころからついたのでしょうね。この「お玉」を奉納している神社も見たことがあります。民間信仰というのはこのように単純なものが多いようです。
信仰の山―相模大山 ― 2018年03月27日 10:08
『大山詣』として江戸時代以前から信仰登山の山として知られている「相模大山」に初めて登りました。大山は、その三角形の端正な姿が相模湾から遠望でき、航海の目標にもなることから相模灘を行く船乗りや地元漁民の航海の守護神となっていたと思われます。さらに農民にとっては雨を降らせてくれる阿夫利神社信仰の総本山として深い信仰を集めてきました。地形上、海に近いこの山には雨が降ることが多く、そのため名水も出るでしょう。
おまけにというか、こちらが主役だったかもしれませんが、帰りの参詣道には料理屋が軒をつらね、下山後には山上から眺めた美しい江の島にも詣でることができるという当時のひとにとっては夢の様な観光旅行のできる場所でもあったようです。
今回もおなじみ地元の登山会のメンバーとともに登山です。詳しい情報はそちらのブログをご覧ください(http://00418964.at.webry.info/)。
今回は表参道と呼ばれる伊勢原口でなく、蓑毛から入る「裏道」を登りました。途中に、裏参道へ分岐の石碑が立っています(上の写真)。こちらをいけば下社に出られるのですが、われわれは直接奥社に向かいました。
大山は1200メートルほどの山ですが今年は雪が多く、途中、700メートル付近のヤビツ峠から上には残雪が残り、山頂付近は階段状の岩とその間の解けかけた雪でかなり歩きにくかったです。春休みということで小学生や軽装備の人の姿も見かけましたが、霊山でなくても、山は畏敬をもって登ってもらいたいと思います。
山の中腹にある「阿夫利神社下社(本社)」の拝殿正面からは相模湾と江の島が風景画のように見えます。快晴の日にはまさに絶景で、徒歩旅行時代、ここまで登った人が大感激したことがしのばれます。大山の名水や名酒をいただくこともでき、喜んで味わいました。
ここから参道入口まで降りるのに男坂と女坂があります。迷わず女坂を選びましたがこれがけっこう急な石段状の岩道で、全員「昔の女性は強かったのだ」と痛感しました。参道では、高級店からそうでなさそうなものまで、名物の豆腐料理店が軒を連ねていました。これも大山に降る雨による湧水がもたらしたものなのでしょう。
排水路も池も河川の跡 ― 2018年03月30日 14:32
武蔵浦和駅周辺の「まち歩き」を行いました。主催者ですから、当然、観音堂や板碑、庚申塔などの文化財も回りますが、私が個人的に興味を持っているのは実は地形なんです。浦和の西部地区もかつての河川(入間川)やさらにその前の縄文海進にみられるようなダイナミックな地形の変遷の跡が残っているところが面白いのです。
先ず、最初に回った睦神社、もとは富士浅間社だったそうですが、大宮台地先端の崖線上にあります。まさに舌状台地という感じです。崖の下には今でも小さな池がありますが、かつてはここで雨乞い神事が行われたそうです。この地が海(太平洋!)に面した温暖な地であったことを示すこの神社の社叢林は市の天然記念物です。
最後に、これもかつての河川の跡を利用した別所排水路は「花と緑の散歩道」となって新幹線と並行して別所沼公園まで伸びています(上の写真)。別所沼公園の池も入間川の旧流路といわれています。こうした地形の歴史を感じながら歩いていると、単なる遊歩道も楽しい川歩きのように思えます。
先ず、最初に回った睦神社、もとは富士浅間社だったそうですが、大宮台地先端の崖線上にあります。まさに舌状台地という感じです。崖の下には今でも小さな池がありますが、かつてはここで雨乞い神事が行われたそうです。この地が海(太平洋!)に面した温暖な地であったことを示すこの神社の社叢林は市の天然記念物です。
最後に、これもかつての河川の跡を利用した別所排水路は「花と緑の散歩道」となって新幹線と並行して別所沼公園まで伸びています(上の写真)。別所沼公園の池も入間川の旧流路といわれています。こうした地形の歴史を感じながら歩いていると、単なる遊歩道も楽しい川歩きのように思えます。
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