春日大社と三輪山(その2)2017年05月23日 18:57


2日目は奈良駅からJR桜井戦で三輪駅へ。のんびりした単線が大和平野を南下していきます。水を張った水田が池のように見えます。三輪駅に近づくと進行左側に明るい感じの大きな山が見えてきます。山麓にある大神(おおみわ)神社のご神体としてあがめられてきた三輪山です。長く神職以外の入山を許さないという禁足地でしたが、現在は誰でも登ることができるようになりました。神社には以前バスツアーで来たことがありますが、今回は自分の脚で山を登ります。

三輪駅前から大神神社(三輪明神)参道までの商店街は昭和時代の雰囲気です。コンビニもスーパーもなく、代わりに雑貨店や八百屋さんがあります。山の辺の道を歩く観光客や参詣客はそれなりにあるのだと思います。大神神社の参道は掃き清められいかにも霊山への入り口という感じです。大神神社では通常の参拝。この裏に三ツ鳥居があり、そこからご神体=三輪山を拝するのが本来らしいですが、行けないようになっていますので、新たに作られた参道を通って狭井神社へ向かいます。健康を祈願するというこの神社が三輪山への参拝登山の窓口になっています。

住所、氏名、電話などを記入して受付を済ませるといくつかの順守事項を告げられ、大神神社の鈴のついた白い襷を渡されます。参拝登山中はこの襷を外してはいけない決まりです。また、写真撮影や飲食も禁止です(水はOK)。各自でお祓いをしてから注連縄を潜って薄暗い山中へ(写真)。

低いとはいえ467メートルの山ですから神社の裏山とは違います。瀧行を行う場所もありますから、小さな沢の源流部まで降りることもあってアップダウンはそれなりにあります。ただし、急な坂道はほとんど丸太と土で作った登りやすい階段がつけられています。

参拝登山者は予想より多く、学生のグループも目立ちました。トレッキングポールを持った通常の登山スタイルから背広姿のひとまで登山装備はまちまち。甘い気持で登った人でしょうか、肩で息をしながらあえいでいる人もけっこういます。信仰登山のためか裸足で登る人が数人いて、女性のほうが多いのが印象的です。神奈備(かむなび)の地ですから多くは語りませんが、神の山の象徴である磐座(いわくら)は、中津磐座が中腹にあり、頂上には奥津磐座が鎮座しています。奥津磐座には自然の露出岩石とは思えないちょっと異質な気配が漂っています。

下山後、山の辺の道を通って長谷寺方面に向かいます。途中、金屋の石仏があります。立派な建物に守られていますが、以前は三輪山の山中にあったということで、明治の廃仏毀釈の際に山麓のこの地に移されたのでしょうか。さらに進むとは初瀬川にでます。大和川の上流部で、数キロ先に初瀬ダムがあります。ここは万葉の時代、海柘榴市(つばいち)と呼ばれ栄えた交易地です。当時の大和川は直接大阪湾に注ぎ、瀬戸内海との海上交易が盛んだったことがわかります。今は土手の上にベンチがいくつかおいてあるだけの公園になっています。

この初瀬川と並行している国道165号線は伊勢に向かう道路で一部は旧道・伊勢街道の雰囲気を残す場所もあり。長谷寺への参道入口はその途中にあり、地図では近いと思っていましたが、実際には徒歩で1時間以上かかってしまいました。炎天下(この日は31°以上ある真夏日)で結構大変でした。長谷寺は参道入口からさらに20分ほど坂道を登ります。それでもバスや電車(近鉄の駅があります)などでの参詣客は絶えないようです。

春日大社と三輪山(その1)2017年05月23日 18:54


奈良に行く用事があり、機会を利用して、春日大社と三輪山(大神神社)ついでに長谷寺を歩いてきました。

春日大社は当然、興福寺と一体化していますが、1日目はあまり時間がありませんでしたので、久しぶりに猿沢の池から五重塔を拝観しただけで阿修羅像などの展示は見ませんでした。春日大社は背後の御蓋山(三笠山)を神域とする非常に古い神社ですが、創建時の「鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山山頂浮雲峰にお迎えした」(神社・ご由緒)という時代よりさらに前からこの山中での祭祀が行われていたと思われます。

春日大社には摂社、末社が多い。夫婦円満の夫婦大国社などは人気らしく、日本語はじめ、中国語、フランス語、英語で書かれたハート形の絵馬がにぎやかに奉納されています。参道を奥に進むにつれ参詣者の数は少なく、次第に暗い山の中を登っていく感じがしてきます。何気ない場所に空海の護摩壇跡があったり、いまは土台石だけになっている古い建物跡などがあって尋常でない時の流れを感じさせます。

ふとみると本宮神社遥拝所がありました(写真)。ここからは「遙か先の御蓋山(みかさやま)の頂、浮雲の峰にお祀りされている本宮神社(ほんぐうじんじゃ)を拝むことが出来る」とのことですが、注連縄が張ってあり、中には入りませんでした。この奥の山上で日本の古代史にまでさかのぼる神事が行われていたのでしょう。その他、自然の植生を残す多くの巨木など歩いていて飽きることがありません。

「深田久弥先生終焉の地」にたどり着く2017年05月12日 13:20


JR中央線の韮崎駅。ホームに立ってほぼまっすぐに北の方角を眺めると茶色いごつごつした山並みが見えてきます。視線を左に転じると線路の進行方向のはるか向こうに、同じような感じの、しかし雪を頂いた巨大な山脈―八ヶ岳連峰が見えてきます。最初の茶色い山々はこの有名な八ヶ岳に形が似ていることから「ニセ八ヶ岳」というかわいそうな俗称がつけられていてバスガイドさんが間違えたというエピソードがあるそうです。

とはいえ、この「ニセ八ヶ岳」も1700メートル級の山々のつらなりで個性的な山容です。今回の登山(いつもの地元の山の会です)は、この山並みを東から西に縦走するように歩きました。中心は茅ケ岳です。この山は、1971年(昭和46年)に、『日本百名山』の深田久弥氏が登山中に急逝した場所として有名で、登山道の始まる場所に記念公園があります。 亡くなったのは68歳、今の私とほぼ同じ年齢です。今ではこのくらいの歳のひとは登山者の中心ですが、当時では高齢登山者だったでしょう。深田久弥氏は今では日本の登山ブームを生み出した功労者として有名ですが、経歴を調べるとなかなか聖人君子のような人間ではなかったようです。

茅ケ岳の登山道は最初はかなりゆっくりで安心していますが、女岩あたりから岩石混じりの急坂になります。この日は気温も高く、私にとってもいつもよりかなりきつく、頂上間近かのピークに建てられている<深田久弥先生終焉の地>の石碑(上の写真)にはようやく到着したという感じでたどり着きました。1971年当時の栄養状態ではこの辺で脳溢血で倒れる人がいても不思議はないように思います。

頂上付近で休憩後にアップダウンを繰り返しながら、さらに高い金ガ岳から「ふれあいの里」までの下山は、溜まった枯落葉にスリップはしましたが、なんとか大丈夫でした。中央線も甲府より先はあまり本数が少なく、帰りは珍しく特急「あずさ」に乗車してしまいました。

朝霞・根岸台の御嶽山神社2017年04月30日 17:33


朝霞市の根岸台に御嶽山神社があります。朝霞駅東口から黒目川に向かって進み、柊塚古墳と高橋家住宅という朝霞の代表的な2つの文化財の間をを通る谷間の道路をを下り、黒目川に出る少し手前、この辺はいまは撤退していますが積水化学の広大な工場があり、バス停の名前も「積水住宅」となっています。両側を郵便局と住宅に囲まれて赤い鳥居と緑の社叢林が対照的な小さな神社があります。かなり急な崖の上にありますので一見すると本当に小さな山に向かい合っているいるような感じがします。

鳥居から崖までの石段も、それに続く土の参道も急峻でしかも暗い。管理されていない雑木林のような感じで、いくつかの石碑が傾いているのが見え隠れして、さらに放置された神殿の雰囲気を増幅しています。たぶん普通のひとは入りにくいでしょう。参詣道も荒れています。少し進んだ中腹に「板碑供養塔」と刻印された石碑があり、その先には1メートル前後の数十本の板碑がかたまって建てられています。多分、この付近の道路工事などで移動された板碑を一か所に集めたのだと思われます。そして屋根も壁も完全に壊れ、倒壊したと思われる社殿跡の残骸があります。

頂上に近づくとおなじみの木曽御岳山の「山三丸マーク」を刻した石柱も見えてきます。他にたくさんの神々の名を刻んだ石柱があります。新しいようです。いよいよ山頂。しかし、そこに社殿は建てられていますが、すぐ隣には地続きの住宅街。つまりここは山上ではなく、台地の端の段丘崖だったというわけです。鳥居のある低地からのアプローチは十分に魅力的ですが、社殿が置かれた台地上の様相はかなり拍子抜けの感じがいなめません。

よく見ると、社殿の裏には高さ3メートル近くの人工の山(御嶽塚)と思われる高まりがあります。樹木が茂っていてよくわかりませんが、確かに御嶽信仰のシンボルであったように思えます。ここまで熱心な信仰の場があったにも関わらず、今や参詣する人もあまりいそうもない根岸台の御嶽山神社です。

坪山で花と奇妙な樹木を見る2017年04月25日 17:35


おなじみの地元の山の会の方々と、ガイドブックにもあまり載ってないという上野原市の坪山に出かけました。ヒカゲツツジという白い小さなツツジ(実際はシャクナゲの仲間らしい)の群生が見られるというので最近人気があるらしいです。

上野原駅からシーズン中に出ている富士急の臨時バスに乗ること約1時間。相模川の支流を遡って到着する八ツ田という集落が登山の出発点になっています。遅い桜も咲いているのどかな山村です。ただし坪山は登ってみると意外に急な坂道が続く険しい山でした。岩場も多く、その岩の中に目指すヒカゲツツジやイワカガミ、ミツバツツィの花が咲いています。ややシーズンを過ぎていたようですが、花の好きな人にとっては素晴らしい登山道になると思います。

頂上はとても狭く(これが坪山の名前の由来とか)平らな場所に座るのにも苦労します。帰りは阿寺沢川に沿った別ルートで下りますが、岩場も少なく、いくつかのアップダウンもたいしたことはありません。

下山後、駅前でもらった手書きのコース案内(上の写真)をよく読むと、今日登ったコースは地元の人しか行かない道だったようで平成13年から一般登山コースになったようです。途中に黄銅鉱の案内がありましたから、以前は鉱山のための作業道だったのでしょうか。逆に、下りのコースには炭焼きの跡の様な形跡がありましたから、そのための作業道でしょう。途中に奇妙な形をした樹木が生えている場所がありますが、かつての炭焼きの材料のマキを切り出した名残りかもしれません。

「音羽富士」に登る2017年04月17日 17:59


早稲田(東京都新宿区)のほうに行く用事があり、何回かは有楽町線の飯田橋から神楽坂を通っていたのですが、「まち歩き」で都内を歩き慣れたせいか、地図上では意外に近そうなメトロの護国寺駅から講談社のある音羽通りをまっすぐに進むというコースを歩くことにしました。

時間は30~40分くらいでしょうか、途中に江戸川公園があり、ここは『浮世絵を歩く』で目白から歩いて下った道であることに気づき、頭の中の地図が完成しました。

こうなると次は池袋駅からで、これも都電の東池袋を通り雑司ヶ谷墓地を過ぎるとすぐに護国寺の杜が見えてきます。早稲田までは合わせて約1時間強です。まぁよい散歩道ですね。

駅名ではなく、途中にある護国寺ですが、実は境内に入ったことがなかったので、桜が咲き終わろうかという先日、参詣に。真言宗豊山派の東京大本山、江戸時代にはもっとおおきかったのでしょうが現在でも周囲を圧倒する迫力があります。特に早稲田の方から見ると、つまりは当時の江戸の中心地から参詣に向かうという視線ですが、目白台の高みにまさに山のようにそびえているためか、相当の威厳がただよいます。

珍しい緑色の桜などを眺めて帰ろうとすると、一角に「音羽富士」の場所を示す掲示板があります。山門から見て右手の方向に少し進むと、石の鳥居があり、その向こうにそれらしき高まりが見えてきます。孤立した山ではないのであまり目立ちませんがこれが音羽富士の異名を持つ富士塚のようです。敷き詰められた大小の岩、合目を示す石柱、胎内くぐりの入り口とおぼしき穴の跡(ふさがれています)。ゆっくり登ると頂上には浅間神社がまつられていました。

数メートルとはいえ、もともと台地の高台にある場所からさらに高く、頂上からの富士山の眺めは相当に良かったでしょう。同じく『浮世絵を歩く』では目黒の富士塚跡にもいきましたが、目白と目黒はいずれも同じような信仰の人々が生きていたわけです。

戸田市を「まち歩き」2017年04月10日 09:42


埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会という団体に入っていますが、この会のクラブ活動のような形で「大江戸名所百景を歩く」という見学会を2年程のあいだ主催してきました。一応の区切りがついたので、今年度からより自由な形で「まち歩き研究会」という名称に変更して、埼玉県内外の知っているようで知らない「身近な街」を歩きながら、その地域の歴史や文化、生活風景を楽しもうという活動を続けていくことにしました。

その最初の活動をこの4月7日(金)に開催しました。場所は戸田市です。予想外の32名が参集、はじめての参加者も多いようです。戸田のボート場も初めてというひとが大多数でした。近くにありながら意外に知らない街がたくさんあることを実感しました。実は私の初めてだったのです。

集合した浮間舟渡駅を出ると目の前に「浮間ケ池」があります。ここはかつて蛇行して流れていた荒川の旧流路で、河川改修を繰り返したこの土地の歴史がよくわかるように説明版が置かれています(やや見にくい)。駅前を離れ、埼京線の高架をくぐるとにぎやかな国道17号線に出ます。昔の中山道です。道路に沿って歩き、荒川に架かる戸田橋を渡り、土手の下を右に進むと水神社の前に出ます。

向かいの旧堤防の上と思われる場所に「渡舩場跡の碑」がありました。(上の写真)。その前の変哲もない路地が旧中山道とかで、現在の国道と少しずれているようです。

堤防上の道路を反対に上流に進むと戸田親水公園に出ます。戸田漕艇場(ボート場)のある公園です。細長い池のように見える、おだやかな水面がひろがって、大学生やシニアの皆さんの競走用ボートが流れるように移動しています。岸辺には大学のボート部の合宿所や艇庫がいくつも並んでいて、まさにボートレースの聖地の雰囲気です。ここで休憩がてらの散策タイム。隣接する戸田公園の桜並木も満開、楽しい時間を過ごしました。

次いで、戸田公園駅から戸田駅まで電車で移動。戸田駅前で昼食休憩後、戸田市立郷土博物館を訪問。連絡をしていたので学芸員の方の出迎え(?)を受けました。3階にある博物館で約1時間、戸田市の古代から近世、現代まで、ジオラマなど館内の展示品を見ながら見学と説明をしていただきました。こんな具合にゆっくり街を歩くことを続けていきたいと思います。

大宮公園の桜と松2017年04月08日 12:54


さいたま市の県立大宮公園は私にとって子供のころからなじみの場所です。大宮を離れてからも、ここ数年は。主として博物館に行くためですが、月に数回行く場合もあります。普段はただ通過するだけですが、昨日(4/5)はこの大宮公園の桜が満開になった日ということもあり園内を散策。平日というのに大勢の人でにぎわっていましたが、私はこの公園ではいつもアカマツなどの松の木の美しさを楽しんでいます。

特に、瓢箪池の向こう側の緩やかな崖の上は、下草の笹と松のコントラストがきれいです。その上にある歴史と民俗の博物館の2階ロビーからこの場所を見た景色も大変気にいっています。大宮公園は“松の公園、にぎやかに~”と大宮音頭にも歌われているように昔から松の名所だったように思います。桜を植えたのはそんなに古いことではないのではないでしょうか。

現在でも、薄いピンクの桜の花の間からアカマツやクロマツの幹や青い枝葉が見える場所がかなりあって、この公園の特色ではないかと思いっています。きれいな松は特に「裏参道」付近のあまり人の多くない場所に残っているようです。写真は、満開の桜の間に顔を出すアカマツの樹ですが、桜だけが咲きほこっているよりも味わいがあります。

今年も桜の花を訪ねて歩く人がたくさんいます。ただ、なんとなく、年々、その花の色の鮮やかさが失われていくような気がするのは、私の「目」の能力が失われているためでしょうか。

彩湖で水防遺産?を見る2017年03月27日 11:20


JR武蔵野線で浦和から府中方面に向かうと荒川の手前に大きな貯水池が出現します。これが荒川第一調節池内貯水池、通称「彩湖(さいこ)」です。少し前に、2020年の東京オリンピックのボート会場の候補地として名前があがりましたが、半分くらいが、かつてのオリンピックのボート場と同じ戸田市にあり、水系がつながっています。

頻繁に車窓から眺めているわりにはあまり行かない場所なんですが、先週、地元の見学会でここを歩きました。秋ヶ瀬橋を渡り、荒川の土手上にあるバス停「サクラソウ公園」から、ビオトープのヨシ原を見ながら彩湖西岸へ。一帯は彩湖公園というけっこう大きな公園になっているんですが、その入り口付近で自転車レース団体のイベントが行われているようで、かなり高度なマニアの姿が目につきます。おまけに4月にはこの公園内で公式のマラソン大会が行われるとのこと、この日はわれわれの周りを練習するランナーが次ぎ次ぎに通過、周回道路上はけっこうあわただしいです。

湖岸の近くに寄ることはできませんが、周辺の自然はかなり残されています。遊歩道の左右には、ここにかつて存在した村=大野新田を囲む土手の跡地と思われる微高地が、よく見ると連続して残っているように見えます。本当なら一種の文化遺産です。

その他にも、残された雑木林や竹薮が続き、ウグイスなど鳥の鳴き声が響きます。さらに、この彩湖のほぼ中央付近を通る外郭環状道路の幸魂大橋より先は完全に自然保護区になっていて人の立ち入りができませんので上流に隣接する秋ヶ瀬公園(ここもかなり広いです)と一体になって首都圏では有数の自然環境になっていると思います。

ここもあまり人がいきませんが、少し離れた所に「彩湖自然学習センター」があります。戸田市の管理ですが、1階から3階までは彩湖の自然環境、5階の展示室は国の荒川河川管理のための学習施設になっていて彩湖周辺の立体模型や実際の洪水時のビデオ映像など通して、この彩湖の歴史と機能がわかるような施設になっています。屋上からはすぐ隣にある外環自動車道路の幸魂大橋や彩湖全景が見渡せ、雄大な気分になります。

柳瀬川の「淵の森」を歩く2017年03月23日 10:25


暖かい陽気の中、昨年秋に続いて志木市の環境団体主催の「柳瀬川ぶらり散歩」の2回目(3/20)。今回は、所沢市の空堀川と柳瀬川の合流点付近から西所沢駅まで5時間あまりのやや長い行程を歩きました。志木駅前から路線バスで前回解散地近くの台地上へ、ここから見下ろす柳瀬川低地はかなり迫力があります。崖下の柳瀬川・空堀川合流点へ。この場所が前回の最終地点で、今も河川改修作業が続いてるようです。現在の空堀川の一部を新柳瀬川と結び、蛇行している柳瀬川を直線化する洪水対策ですが、残った旧柳瀬川もそのま残すということで結構複雑な工事になっています。

この改修工事ではなるべく川岸の自然地形を残すようにと要望したそうですが、受け入れられたのは空堀川部分だけだったようです。見慣れていないせいか、水のない空掘川はかなり異様な感じです。その後、旧空堀川の流路を利用した「せせらぎ公園」や「中里緑地保全地域」を見学し、市民の努力によって貴重な自然が守られていることに感心しました。

ついで空掘川をはなれ秋津駅方面へ。この付近の柳瀬川もくねくねと蛇行していますが、川岸ぎりぎりまで宅地化されていて、遊歩道もありませんが、改修は不可能のようです。西武池袋線を超えたところの秋津公園で昼食休憩。

その後、安松橋を渡って柳瀬川を降りると、貴重な自然林に囲まれてゆっくり蛇行する水の流れがあります。ここが「淵の森」です(上の写真)。一時、宅地化の危機がありましたが、多くの市民の活動で公有化され、この貴重な景観が「トトロのふるさと基金」により保存されたのは有名な話です。河畔林もかなりの部分が保全されています。私は以前、鎌倉古道の探索会でこの上の神社まできましたが、川には寄りませんでした。関心の持ち方で地域の自然や景観の見方も変わりますが、柳瀬川沿いは古代からの関東地域の文化の交流地でもありました。