鎌ヶ谷の梨2016年08月21日 17:32


今年も鎌ヶ谷の梨が届きました。鎌ヶ谷は千葉県の東部にあり、松戸や船橋、習志野といった大きな都市に囲まれて目立ちませんが、交通の要衝として発展している場所です。私は、ここに本社をおく会社とはもう25年以上の付き合いがあります。いまでも週に1から2回行って主に社内システムのメンテナンスを行っています。

その関係で、毎年夏になると、名産の「鎌ヶ谷梨」が送られてくるのです。梨は、千葉県の多くの地域で栽培されていますが、この鎌ヶ谷市でも梨が特産品ということになっています。梨畑も多く、宅地化が進み、大分減ってきてはいるようですが、いまでも初夏になると白い梨の花が一面に咲いた果樹園を新京成電車の窓から眺めることができます。

梨というのは季節を感じさせる果物です。盛夏になって、甘酸っぱくさくさくした鎌ヶ谷梨の触感を楽しみながら、この街と、あとどのくらいの付き合いになるのか、考えたりしています。

妙義山の中之嶽神社2016年08月14日 11:27


今年の暑さのピークを迎えようかという8/8に、奇岩で知られる妙義山(群馬県)に行ってきました。先日の霊山(福島県)に続き「岩場・鎖場の体験登山」です。妙義山といえば、長野方面に向かう電車や高速道路の車窓に出現する異様な山容で誰でも知っています。そしてこの山も霊山同様、山岳宗教の修験道の場として有名です。

古代宗教の発祥の源はたいがい、山か海か太陽です。さらに山には巨岩や巨木、湧水というものも含まれますが、そこに存在するだけで計り知れない力=エネルギーをもっている何かを敬い、尊ぶというのはごく自然な意識のように私には思えます。特にこの妙義山は中山道(それ以前は東山道)に近く、ひとびとが往来のたびに目にするだけに、その独特の山の形態はひとをひきつけたのでしょう。浅間山、榛名山という古代からの活火山が一望できる地でもあります(火山もまた信仰の山になります)。

中でも、中腹に連なる巨石の数々は見ているだけで圧倒されるものがあります。石門巡りコースでは中之嶽神社鳥居に立つと、高く険しい石段の向こうに木立を通して蝋燭状の直立した岩がそびえているのがわかります。実は、そこは登山口でもありますが(今回われわれは逆にここが下山口)登ってみると岩の周りには締め縄が張られ(写真)、この巨石がご神体であることがわかります。

なお、妙義山の山頂(金洞山など)を目指す険しい登山道は一般的には登れません。今回も鎖場とはいっても普通のコースでした。

『レイテ戦記』を再読2016年08月03日 17:24


毎年夏になると読みたくなる本があって、暑さであまり外に出かけられないこともありますから何日かを読書で過ごします。ここ数年はウィリアム・フォークナーの名作『8月の光(原作名はLight Of August)』を読むことが多かったですね。これは別に書きますが、もう文庫本が傷んできてしましました。今年は久しぶりに大岡昇平の『レイテ戦記』を読み返しています。たぶん3回目くらいになります。

ご存知のように、1944年11月から約1ケ月半ほどの期間、太平洋戦争末期のフィリピンで繰り広げられた日米の戦闘の記録で、日本の戦後文学の金字塔ともいわれています。

実際は「戦い」というよりほぼ一方的な日本軍の壊滅なのですが、その実に詳細な戦闘記録を積み重ねていく中で、作者は日本とアメリカの兵士たちの「声」を聞こうとしています。もちろん、実際にも一部は生き残った兵士の記録ですが、多くは、死んでいった兵士たちの無言の叫び声です。

『レイテ戦記』は昭和42年(1967年)から数年間にわたって発表されています。この年は戦後22年目です。まだ当時は太平洋戦争の記憶が鮮明なひとも多く、反響も大きかったと思います。それからなんとまた50年近く経過しているのです!。「戦後」という言葉もほとんど死語になり、先の戦争は遠い遠い記憶になりました。

なにしろ膨大な作品ですし、地図などで戦場の位置などを確認していると、再読には時間がかかります。何回か感想を書いていきますが、再読であらてめて思うのは、不謹慎かもしれませんが、作品としての圧倒的な「面白さ」です。心理小説の名手、大岡昇平ですから、全30章は、どんな場合でも冷静な状況分析と、まるで神の眼とも思える徹底的な論理性をもって書き続けられています。まるで、余計な部分は1行もないという感じです。

写真の2冊(上下)はまだ大岡昇平が存命のときに出た「全集」の中のもので、発行は1983年(昭和58年)。亡くなる数年前ですから、いくつかの加筆もあってかなり決定版に近いと思います。

山上の小さな社2016年07月24日 16:04


福島県の霊山(りょうぜん)という山にいってきました。知る人ぞ知るという名山のひとつだと思いますが、名前からも想像がつくように古代からの山岳宗教の聖地だったようです。かつては険しい岩山に囲まれたこの山の中に平安時代初期に開かれたという天台宗の拠点があり、数千の僧房があったとされ、また中世の南北朝時代には南朝方の山城があったとも伝えれています。

登ってみると、いたるところに奇岩、奇石が点在していて「天狗の相撲場」とか「猿飛岩」などの観光スポット?とともに「物見岩」や「護摩壇」など、この地の実際の歴史と文化を感じさせる地名が次々に登場します。「親不知・子不知」「蟻の戸渡り」などのスリルのある岩場もありますので、もうすこし首都圏に近ければ登山者も飛躍的に多いと思われます(それでも秋の紅葉時にはかなりにぎわうようです)。

今回は、ここにある岩場登山用の金属製の梯子が北アルプス槍ヶ岳のそれと似ているということで「予行」演習のためにというのが目的でした(私はいきませんが)。標高は850メートルで、この季節ですから、相当暑いだろうと予想していたのですが、なんと半袖では涼しいというくらいの気温で水もあまり必要ではありませんでした。

日本の名山といわれる山の多くは、このように、多くの修験者が開いた信仰の山です。この霊山でもいくつかの遺跡が残されています。<写真>はそのひとつで、橋がなければとうてい渡れないような天然の岩屋の中に祭られている小さな社です。この上奥にももうひとつあります。「大山祇神社跡」との説明がありました。こうした山全体あるいは岩全体を信仰の対象とみる祭祀場は日本全国に無数にあると思いますが、いつ、誰が、どのようにしてこうしたものを祭り始めたものでしょうか。起源はそうとうに古く、神社の始まりとともにあるような気がします。大宮の埼玉県立歴史と民俗の博物館で今年中に「祭祀の起源」という講演が行われる予定になっています。こうした自然崇拝と宗教の関係が語られるでしょうか。

今年もスイレンの花が2016年07月21日 12:54


関東地方はまだ梅雨ですが、ずいぶん暑い日もあります。見た目の涼しさを求めて小さな水盤にスイレンを一株入れたのは数年前のこと。メダカが数匹いたりいなかったりしていますが、毎年、夏になると小さな花を咲かせています。最初の白い花がきれいだったので、もう一株いれて翌年は白と赤紫の競演になりましたが、次の年からは白は芽を出さなくなりました。

土壌の違いなのかわかりませんが、何しろ肥料もなしでほおってあるだけですから枯れた理由はわかりません。ヒメスイレンという園芸品種と思いますが、ともかく今年も初夏になると、浅い水の底から小さな丸い葉を広げはじめ、次第に大きくなって水の上に顔を出し、7月初旬には蕾を持った花芽が水面から10cmくらいまで伸びます。午前中は咲いていますが、夕方には蕾を閉じてしまい、やがて枯れます。すると下からまた新しい蕾が上がってくるという感じです。

「蓮の花」というのは、泥のたまったあまりきれいでない沼地のなかにありながら実に清らかな花を咲かせますので、東洋では仏の象徴です。西洋でもlotus(ロータス)は「その実を食べると苦しみを忘れ楽しい夢を結ぶと考えられた想像上の植物」という聖なる意味を持つようです。そういえば 「lotus123」というMS-DOSの時代に一世を風靡した表計算ソフトがありましたね。

アリゲーターガーを発見!2016年07月06日 23:20

池の中に見えますね

7/3の午後、とても暑い日でしたが、さいたま市の大宮公園内にある「瓢箪池」で話題の外来魚、アリゲーター・ガーを発見しました。

博物館で開かれる講演会に参加するために、午後2時頃、氷川参道から公園に入り、競輪場の前の道路を歩いていた時、なにかあわただしい人の動きが目に入りました。「ほら、あそこにいる」という女性の声も聞こえます。みると、池のそばにおおきな魚網をもったカーキ色の作業員や投網と思われる道具をもった人もいます。服装からして全員、公園管理事務所のひとのようです。そして、その人たちの視線の先、岸から約10メートルくらいの池の中にあやしい黒い影が見えました。1メートルくらいでしょうか。鯉よりも細くとがった形でじっと動きません。全体の様子から、これは今話題になっている外来魚「アリゲーターガー」だということはすぐにわかりました。

投網を持った作業員が岸をまわって歩き、一番ちかそうな場所で網を放り投げましたが、魚はあっという間に消えたようで「だめだ、逃げられた!」という声だけが聞こえました。水面の波が収まっても当然先ほどの魚影はありません。浅い池ですが逃げるところはたくさんあります。最近はガマなどの水生植物の茂みも増えていますので探すのは大変でしょう。

時間がないのでそのままそこは立ち去り、午後4時半過ぎ、帰りに通りかった時には池の周りにはもう誰もいませんでした。この怪魚は最近日本のあちこちに出没するようで(つまり誰かが放流するわけです)、そう珍しい光景でもないようです。

目黒の富士塚はマンションに2016年06月29日 19:12


目黒区の目黒川に沿った地域で、地名をたよりに、かつての風景を訪ねて歩きました。「浮世絵クラブ」のまち歩き&見学会(2016/6/24)です。

参加者は20名。目黒駅西口に集合。さっそく駅前から始まる急な坂(行人坂)を下ります。かつて、この付近から眺める風景は雄大に展望が開け、夕陽の名所であったとの説明版が目に留まりました。坂の途中には大円寺があります。遠く江戸城まで延焼したという行人坂火事(明和9年)の火元となったそうで、五百羅漢などもあります。そのすぐ下は目黒川。ここにかかるのが「太鼓橋」(「第111景 目黒太鼓橋夕日の景」)です。建て替えられた橋は当然「太鼓」状ではありませんが、今回の散歩で唯一の「実在物」ですので、ここで記念撮影。

目黒川におりて遊歩道をゆっくり上流へ。田道橋からまた坂道を登り、「第84景 目黒爺々が茶屋」の舞台へ向かいます。この付近もマンションや住宅地に囲まれていますが、急坂の続く旧道は昔通りのようです。道は狭く、住民は歩くのも大変そうですが、なんとなく浮世絵の雰囲気はわかります。当初、行く予定ではなかったのですが、近くということで「第23景 目黒千代が池」の舞台も訪問。団地のわきの崖線が池の名残りだそうですが、雰囲気はまったくありません。こんなに良い地元自慢があるのにもったいない話です。

さらに、少し歩いて旧参道沿いの「馬頭観音」や「道しるべ」を眺めながら「第24景 目黒新富士」の舞台へ向かいます。ここもまた大変な急坂ですね。崖面に置かれたいくつかの庚申塔がわずかに時代を感じさせます。ここは 目黒の新しい富士塚で、続に「黒新富士(東富士とも)」と呼ばれるようになったそうです。富士塚のあとはマンションになっています。

最後に、目黒元富士(西富士とも)へ向かいます。場所は代官山の交番脇でしたす。またしても、ここでも巨大なマンションが建っていて、富士塚どころか、ほんものの富士山も見ることができないようです。眺望のよい西南向きの台地ですから、江戸の人は富士山を偲ぶ小山を作り人をあつめ、現代のデベロッパーは「眺めのよさ」を売りに高級住宅ビルを建てて入居者をつのる。案外、その発想は似ているのかもしれません。

最後に、この目黒元富士近くにあった「朝倉家住宅」(都の重要文化財)を訪問しました。東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年(大正8年)に建てられた大正期の和風住宅と回遊式庭園を見ることができます。庭園は、かつては富士山をのぞむ眺望を借景にしていたと思われます。この地の移り変わりを感じさせる場所ではあります。

大三島のクスの巨木2016年06月19日 06:19

人物と比べると大きさがわかります。

6/12(日)~14(火)の予定で四国に旅行。小豆島をメインにしたツアーを探したのですが、結局は<しまなみ海道>を通って松山方面にいくことになりました。最初の小豆島は初日午後から雨。オリーブ園はともかく、島の中央山地にある寒霞渓に着く頃には天候が最悪になり、乗ったロープウェイのゴンドラから外が全く見えないという状態でした。翌日、雨もなんとか上がり、島を縦断。世界一狭い海峡を渡って土庄町へ。


小豆島は現在では<オリーブの島>といイメージですが、江戸時代以来、醤油醸造所が多く丸金というブランド名が各所で目につきました。バスの車窓からの観察ですが、醸造所の建物は木材を主調とした落ち着いた雰囲気の建築物ですが、そのほかにも壁に明るい茶色の木板材を使用した民家や商店が狭い街道沿いに並んでいて、とても良い景観です。少なくとも大都会圏では失われてしまった、こうした懐かしい景色を楽しみにこの島にくる人も多いようです。

港からフェリーで瀬戸内海の島々を眺めながら岡山へ。山陽高速道をへて尾道へ。ここから四国・今治まで<しまなみ海道>とよばれる6つの島をそれぞれの橋で結んだ連続連絡橋を通ります。連絡協の通過する島はそれぞれ独自の文化を持っていますから、立ち寄って、歴史や風景を楽しむための観光ルートということなのでしょう。サイクリングルートもあります。

このうち、印象に残ったのは因島の「村上水軍城」と大三島・大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)です。「村上水軍城」には博物館もありそれなりに面白いですが、いわゆる<観光城>で歴史的な遺産ではありません。大山祇神社は山の神でありながら、渡しの神でもあり、瀬戸内海海上交通の守護神として崇敬されてきた相当に格式のある神社です。ことに、境内のご神木は樹齢2600年以上というクスノキが実に立派です(写真)。どの巨木もそうですが、もはた人間的なスケールを超えていて、それどころか生物という範疇をも超えた自然の奇跡という感じをもちます。ちなみに日本一のクスノキは、鹿児島県姶良市蒲生町上久徳の蒲生八幡神社境内にあるクスノキですが、これは日本で一番大きな(太い?)巨木でもあります。ただし、樹齢としてはこの大山祇神社の樹のほうが上かもしれません。とにかく、南国にあるクスノキは大きくなります。

松山・道後温泉はきれいな観光地になっています。道後温泉は『坊ちゃん』ですが、松山では最近は『坂の上の雲』の町というイメージを出しているようです。

日光・赤薙山でカッコウを聞く2016年06月17日 14:26

カッコウは左の梢に小さく見えます。
6/11(金)に日光・霧降高原の赤薙山(あかなぎやま・2010m)に登りました。6/9に予定していた山行が中止になり、急遽6名で行くことになったものです。5時半に朝霞駅に集合、1台の車に全員同乗して、和光から東北自動車道を経て日光駅へ。そこからの曲がりくなった道を登って霧降高原(レストハウスと駐車場がある)についたのが9時半ころ。

元はスキー場のゲレンデだった場所ですが、キスゲ平とよばれる草原の中央に<天空の階段>という名称の1445段の一直線の急な階段があります。階段の最後が<小丸山>で、ここから赤薙山になります。登りは、階段は使わずに斜面に沿ってつけられてた徒歩コースを歩き、途中の丸山(1689m)によってから、この小丸山に進むことになりました。コースの絵地図でみるとなだらかに見えますが実際は歩く人が少ないせいか、道は荒れていて、雨水の浸食による窪地やササが茂って下が見えない箇所もあります。結構な起伏があり、大きな石の間を注意しながら歩く感じです。いつも思いますが、登山はバランス感覚ですね(どうもこれが弱っているような気が?)。おまけにこの日はとても暑く、風もほとんどないので、私はすぐに汗をかきはじめ帽子からは汗のしずくが落ちるほど。大事をとって途中で少し(10分ほど)休憩をさせてもらいました。

小丸山についてから振り返って丸山を眺めるとほんとうに丸いきれいな形の山です。目的の赤薙山が目の前に見えます。草原状の尾根道が続いていますが、反対側には急峻な谷が刻まれていてところどころ崖崩れのあともあります。これが<なぎ>という地形だとのこと。ここには何人かの登山客が休んでいて、すでに下山してくるひともいます。このまま日光駅まで歩くとか。私は一行の最後、武部会長のあとにつき、大小の岩石や絡みあった木の根につかまりながらゆっくりした歩きで進みました。約90分ほどで頂上へ。ここまでくるとさすがにやや冷気を感じます。

どこでも、下りは一気に降りる感じ。小丸山まで少しのところでカッコウ(鳥・郭公)が近くの木の上で鳴いている場所に差し掛かりました。足をとめ全員で「観察」しました(写真)。20年くらい前まで、自宅の近くの雑木林でも初夏になるとこの声が聞こえたものです。続く下山では本当に長い<天空の階段>も利用しました。この<階段>のせいなのか、二日ほど筋肉が痛みました。

鎌倉街道中ツ道の最終地点2016年06月07日 01:55

長久寺は一遍上人の開いた時宗のお寺です。
埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会の古道探索倶楽部が2年程前から行っている「鎌倉街道中ツ道歩き」に何回か参加しています。

6/4に開催された今回の<街道歩き>は、前回に引き続いて「引又道」を南西に進み、所沢市・久米川町にある長久寺付近で「勢揃橋」という鎌倉古道の伝承地にいたりました。写真の場所からやや下ったところです。

柳瀬川に架かるこの小さい橋は、鎌倉時代末期の新田義貞の鎌倉攻めの際に軍勢がここで勢揃いしたと伝えられる場所だそうです。

長久寺の門前にはご覧のように「古鎌倉街道」の碑が建っています(ただし樹脂製?のはりぼてのようです)。また、付近にはその雰囲気を残す切り通しの道もみつかりますし、ここから鎌倉街道上にある小手指や久米川の古戦場まではほんの少しの距離です。

「道」は軍事のためだけでなく、生活や文化の伝搬にも重要な役割を果たしますが、この地ではさらに古代の東山道大道の遺跡も発見されています。日本歴史の交差点のひとつということでしょうか。