彰義隊と知られざる人物 ― 2026年10月05日 21:11


前の記事で触れたWebサイト「寄居の古文書」に関連した研究会をやることになりました。単なる古文解読講座ではなく、ここに公開されている古文書から見えてくる寄居というか北武蔵地区の江戸明治期の歴史について学んでみようという趣旨で考えています。


詳細はまた触れることがあると思いますが、慶應年間から明治という当時の地域史の中で何といっても大きな出来事は戊辰戦争から明治改元にいたる政変でしょう。内藤氏の古文書記録でも、慶應4年(明治元年)の新政府軍と幕府軍の争いのひとつの頂点である「江戸城開城」を巡る中山道、東海道筋などの東征軍進軍に関するおびただしい命令文書が解読され、当時の関係村々のあわただしい動向がわかります。その詳細は今後学んでいくとして、この「江戸城開城」とその後の新政府軍と幕府の戦いや敗走、解体に関する流れの中で、私の現在住んでいる埼玉県朝霞地区に地縁のある人物が、その舞台の裏でひそかに活躍し、死んでいます。歴史的に無名というわけではありませんが、20年ほど前に一度調べたことを思い出し、記録しておきたいと思います。


その人物は覚王院義観といい、幕末に上野東叡山(寛永寺)真如院の住職を継いでいましたが、慶応3年(1867年)に輪王寺宮執当職に就き、寛永寺の寺務を統括するとともに、公現法親王から「覚王院」の号を与えられます。輪王寺宮というのは、江戸時代に日光山輪王寺や東叡山寛永寺などの住職を務るために京都から代々派遣される皇族のことです。幕末のこの宮様が最後の輪王寺宮となりますが、明治天皇の義理の叔父(甥)という皇族です。おりから慶応4年には、前年の大政奉還を受けて徳川慶喜は寛永寺で謹慎していました。幕府は薩長との直接交渉も試みていますが、徳川家では家の存続(慶喜の助命)を願って、皇族である輪王寺宮にも助力を頼み、江戸城総攻撃の意思をもって東上していた朝廷側の東征大総督・有栖川宮熾仁親王に面会するなどの行動を行います。この時に、幕府と輪王寺宮の仲介を行い、時に宮の意思を代弁するなどの重要な役割を担うことになったのです。


義観についてはこうした歴史的な活動は知られていますが、新政府軍・朝廷側からみると幕府の裏の代理人(黒幕)のような存在であり、結果として輪王寺宮は北に逃れて東北・会津戦争まで抵抗することになるため「賊軍」となり、最後は拘束され、囚われの中で死にます。覚悟の餓死だったと伝えられています。その生涯についてはそれなりに知られているようですが、人物の詳細は、出生が武州新座郡根岸村(現在の埼玉県朝霞市根岸台)であることがわかる程度でした。しかし、最近、朝霞出身の経営者である長島進氏が2005年に発行した研究書『覚王院義観の生涯─幕末史の闇と謎』でその一生を綿密に追っています。


(上の写真は、寛永寺真如院=omairi.clubサイトより=。彰義隊の戦いと米太平洋先生の空襲により2度焼失して再建されています。下の写真は朝霞市根岸台の坂と斜面林。いまは住宅街ですが、当時は閑散とした農村ですが、重要文化財の農家が現在まで残るなど豊かな一面もあったようです)


 義観は正当に評価されていないのか?


この長島氏とは15年以上前、経緯は忘れましたが、一、二度電話で話をする機会がありました。朝霞の旧家のひとらしく、義観関連の現子孫とも面識があるようなので、明治維新史で正当に評価されていないことへの不満が本を出す動機だったと思われます。


覚王院義観は本名を金子劇三(劇蔵とも)といい、10歳で江戸上野寛永寺の大慈院尭覚に師事するというほどの秀才だったようです。この金子家は現存ですが、金子姓の旧家は朝霞に多く、金子坂という名の急坂道が地名に残っています。根岸村は黒目川という川に面しており、当時は純農村地帯ですが、新河岸川を経由して浅草・上野方面にはわりと簡単にいける地域でした。


この義観が時代の流れの中で政治の争いに巻き込まれます。先に述べたように、寛永寺は徳川将軍が代々が帰依する寺院であり、一方、輪王寺宮という皇室との関係も強く、徳川家の存亡危機の中で頼りになる存在でした。薩長を中心とする朝廷軍は徳川幕府を滅亡させ、慶喜は切腹させるという過激な(ある意味では当然な)意見を持つ者も多く、慶應4年、鳥羽伏見の戦いの後、江戸に逃れた慶喜は寛永寺で謹慎状態で、東海道、中山道、北陸道から武装した東征群が進撃してくるという中でした。


この時に、通常の歴史の上では幕臣の勝海舟の命を受けた山岡鉄舟が駿府にいた西郷隆盛と対面して、その意を伝えて了解を得て直後の品川での勝・西郷会談で江戸の無血開城が決まったということになっています。この山岡・西郷の対面は3月17日なのですが、実はまったく同じ日に、輪王寺宮やその対弁者である義観も東征軍総督の有栖川宮熾仁親王や参謀の西郷隆盛と面談して、慶喜の助命は確認されているようなのです。長島氏はこの部分を、内容が掲載された『復古記』(東京大学史料編纂所)所載の「自証院記」より転載して強調しています。


のちに公開される勝海舟の『慶應四年戊辰日記』などの資料ではこうした義観などの働きは失敗し、その失望から上野での反乱やそれ以降の反朝廷運動に乗り出すということになっています。しかし、事実はそうでない。しかも同じ日に駿府城にいて輪王寺宮などに会った様子もない─長島氏にいわせれば、これが幕末史の「闇と謎」だというわけです。この辺りの真実確認は難しいですが、武力による徳川領土の奪取を目指す岩倉具視らにとっては、上位皇室である輪王寺宮が京に上って直接、慶喜の助命などを要請されるのは余計なことなので、それを阻止するために急遽、山岡鉄舟を動かしたという陰謀も考えられなくもないでしょう。


その後、義観は江戸にもどりますが、情勢は逼迫しており、義観は寛永寺に立てこもる彰義隊の支えとなり、輪王寺宮とともに5月の上野戦争に突入して、敗走、逃走を重ね、羽越列藩同盟などで戦火を交えますが、8月の会津落城とともに9月には輪王寺宮が新政府・総督府に謝罪し、逃亡は終わります。輪王寺宮とともに義観にも蟄居命令がでます。その後、皇族である輪王寺宮は明治2年には罪を許され、皇族に復帰します。しかし、厳しく責任を問われた義観は宮の行動はすべて自身によるものだとして責を一身に負い獄中で亡くなります。46歳でした。


現在の歴史の流れの中で覚王院義観は「幕末の英傑」とはいえない評価をされています。これが不当かどうかは別にして、埼玉(当時は武州)の田舎で生まれた農家の一少年が尊敬される高僧となり、時代の波の中で、自身で望んではいなかったかもしれませんが、幾人かの生命の危機を救い、時代の覇者だった西郷隆盛や勝海舟と渡り合ったという事実を知って、私は誇りに似た気持ちのよさを感じます。


この時代を描いた吉村昭の歴史小説『彰義隊』(2006年)には、戊辰戦争とその後を生き抜いた輪王寺宮を中心にした幾多の人物がいきいきと描かれています。従来あまり触れられることのなかった覚王院義観の活動もかなり詳細に、明治政府の視点ではなく、客観的に書かれています。機会がありましたらお読みください。


世の中を騒がせるPHPとは ― 2026年10月26日 14:27


最近、AI(人工知能:Artificial Intelligence)に関するニュースが多くなりました。大体は、自動運転などのこのAIがもたらす明るい未来予想と逆にAIがネットやコンピュータに与える悪影響─の2つになります。特に、情報サービス企業へのネット攻撃に始まる企業や自治体組織などの広域ネットワークへの侵入による被害はかなり深刻で、日本中の各方面に現れているようです。


身近な例では、先週行こうとした東武動物公園の公式サイトが「システム障害」で現在(2026/10/26)も閉鎖されたままです。なんと茨城県庁のホームページも2週間以上閉鎖され臨時のページが表示されるという事態です。大手のサイトがこんなに長く停まるのは異常なことかもしれません。(上は政府の警告サイト=情報処理推進機構 下は東武動物公園の障害お知らせぺージ)



ところがここにさらにもうひとつ、このAI」はどうも情報ネットワークやその中で動くプログラムの中に入り込んで、それまで知られていなかったソフトウェアやシステムの弱点を探り出すことができるらしいのです。もちろん、そこには人間が裏にいるわけですが、一度弱点(脆弱性という)が分かってしまうと、攻撃者は増加し、情報の流出や利用者の実質被害など大きな事件になりかねません。


この10月21日に起きた「PHP騒動」もそのひとつで、PHPという専門家でしか知らなかったプログラム言語があっという間に世間に広まりました。通常は多くの情報ネットワークのサーバの中でひそかに活動しているものですが、(多分AIを使ったのでしょう)そこに隠れていた「脆弱性」という欠点が発見されてしまいました。しかも、その欠点を修正する前に公開されるという事態になってネット上が騒然とします。現代ではネット空間は世界共通のプラットホームの上に構築されていますから、事情も同じで、とうとう各国の政府機関まで緊急声明を出すという事態になり、日本政府も21日に「緊急アピール」を出しました。


今回の「PHP」がこんな大きな問題になったのは、これが個人や中小企業も含めて現在の多くのWebサイトで使われているからで、さらにそのサイトが利用しているネット上のサーバーシステムでも使えるるケースがほとんどです。今回緊急アピールの対象になったのもこのサーバです。何かがあっては困るからさっそく修正したい、しかしシステムを停止するということはそのままユーザーに迷惑をかけることです。そう考えていたところに政府が「とめなさい」という発信をしてくれたのですから、これまでやや躊躇していた各サイトもためらうことなくネットを切断し、修正作業に入った─ということでしょうか。


当然、これでかなり多くのサイトが一時的にせよ切断され、利用者が慌てるという場面が各方面で出現しました。私の身近な例では、運営に協力している会のホームページが接続されなくなり、これは1日置いた22日の午前に関係者からの電話で知りました。サイトを借りているサーバのページを調べて、こういう事情は分かりましたが、どうすることもできません。ただその日の午後には通信は再開しましたので一安心。ただ、関係あるのかどうか、使用しているメールソフトでの送信がうまくいかず、これは「暗号化」の設定を変えるという対応で解決しましたが事情はわかりません。 (実は、サーバ側での対応は終わったとして、私が管理しているサイト内のPHPはこちらが修正する必要があります)


さらに、最近使用している「古文書カメラ」という、これはトッパンが運営しているスマホでのサービスですが、このサイトも通信できなくなり、調べるとここもやはりPHP対策で、今(10/26現在)もつながりません。私の場合は趣味で使っているものですからいいとして、もう少し切実な人もいると思います。


AIに代表されるコンピュータや情報通信の発展は、確かに便利で、今までできなかったことができるようになったりということがあるのですが、環境破壊や人間関係の変化など、難しい課題も生み出したようです。