近畿の旧街道が結ぶ文化 ― 2025年06月25日 14:13
いずれも堺から奈良方面に東西に伸びている「竹内街道」に交差する形で南北に走っています。さらにその東になると「奈良街道」「上街道」などと呼ばれるようになるみたいですが、大きくいって近畿の南北方向の道は高野山をめざすか、奈良・桜井(明日香)を経て吉野を目指すかになるようです。その先は熊野・那智の深山ですが、これは信仰・修験の路となります。
上の図は『高野街道を歩く』(森下惠介著)に掲載の「高野街道と機内主要街道」という地図ですが、これだけの多くの道を無数の人が歩いていたのでしょう。この中で中央の太い線で記された道を見ると、堺を通る西高野街道と古市を通る東高野街道という2つが「河内長野」で合流しているのがわかります。合流した道は「紀見峠」という河内と紀州の間の峠を越えています。この峠が金剛山、葛城山を結ぶ紀州山稜に繋がっているのもよくわかります。
こうして大きく見てみると「堺」と「古市」に巨大古墳群が築かれ、その間を、横に竹内街道、縦に東西の高野街道が貫いているという構図が本当に興味深く思えてきます。関東地方にも、信仰や政治の中心地に向かう特定の道を「鎌倉街道」や「日光街道」「大山街道」といった言い方で呼んできた歴史があります。日本だけでなく、ヨーロッパの例を出せばローマの「アッピヤ旧街道」やスペインの「サンチャゴ巡礼道」などがあり、これは多分世界中にあります。
どこであれ、こうした古道を目にしたり実際に歩いてみたりするとき、私たちは、ほんの一瞬ですが、あわただしい現在にいることを忘れ、数百年、数千年の歴史の流れに入り込んだような気分になります。路傍に置かれた古い石造物や道標があればその趣はさらに深まります。
今回訪れた堺市は、そうした意味では、古代の古墳や旧街道から中世の国際貿易都市、幕末の緊迫した雰囲気までの重層的な時間を閉じ込めた不思議な場所で、しかも現在も工業・商業・観光の町としての活気と雰囲気を失っていないように見えます。
古墳めぐりの合間に、旧堺港の先端に建つ日本最古の様式木造灯台(明治10年建築で昭和40年代まで使用されていたようです。その後の修復で美しさをとりもどしています)や海岸の運河に架かる「南蛮橋」にたたずむ不思議な西洋人?、街の中心地の紀州街道に残る「鉄砲鍛冶屋敷」や中世に「東洋のベニス」とも称された自由都市の面影を伝えるいくつもの堀割やその跡など、近代化した堺の一歩下に埋もれた文化財を発見することが可能でした。
上に書いたように、近畿の古道マップ(上記『高野街道を歩く』)によると、東西の高野街道は「河内長野」で合流してから「紀見峠」を超え、高野山に向かうことがわかりました。今回、偶然ですがこの東西の古道をほんの少しですが歩きました。多分、来年になりますが、この道を通ってから高野山の「町石道」を登ってみたいと思っています。
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