130名を超える講演会! ― 2025年02月24日 16:12
業界団体、環境団体、文化団体─今まで私が属してきた団体の中ではかなり多くの「講演会」「研修会」などを企画・実行してきましたが、あまりメジャーな業種やテーマでなかったこともあって、参加者が100名を超えるようなものはほとんど記憶にありません。ところがこの2月の末に埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会が主催した歴史文化講演会は参加申し込み者が140名を突破して、途中で募集をストップするというはじめての経験をしました(上の写真)。
テーマ自体は『伊奈忠次~現代日本の基礎を作った総代官』ということで、人物については歴史好きの人なら知っていると思いますが、そう有名な、歴史の中の大人物でもなく、講師の和泉清司氏(高崎経済大学名誉教授)もわりと地道な研究者でそれほど世に知られている人でもないと思います(先生、すみません!)。それがこんなに(私の中で)当たった(!)というのに特に思い至る理由もありませんが、属する団体でも、あるいは今回、新聞折り込み誌ということで提携してもらったミニコミの読者も、2019年ころからコロナの影響で減少していた集会や講演がようやく復活しはじめ、冬のインフルエンザもひといき、春の予感の中で出かける気になった人が多かったとしか考えようがありません。
博物館の講堂は160名収容可能とのことなんですが、当日、メモ用ひじ掛けのついた座席がびっしりという状態でした。あまりいっぱいだと気が休まらないというか、疲れてしまうんですが、さいわい、途中1回の休憩を挟んで、1時間40分ほどの講演は無事に終了しほっとしました。
伊奈忠次というのは、江戸時代のはじめ、まだ徳川家康が「天下人」となる前の三河時代の忠臣で、秀吉政権時代から優秀な才能を発揮して頭角を現わし、特に、江戸に移ったあと、家康のもとで筆頭総代官として大変重要な検地や新田開発、水運、河川改修に取り組み、幕府創成期の財政・社会基盤確立に大きな貢献をした人物です。戦乱が終わり、平和な時代になり社会の大きな発展が求められていたこの時期、日本中の国土改革に大きな貢献をしました。関東地方でも、俗にいう利根川東遷、荒川西遷という当時乱流していたの大河川の改修・付け替えはじめ、知行割、寺社政策などその果たした役割は江戸時代を超え、現在日本のインフラをつくったとの評価もあります。現在も関東各地に残る「備前堀」や「備前堤」と呼ばれる運河や堤防はいずれも忠次の官位「備前守」に由来しています。忠次の子、忠治も代官として後を次ぎ、伊奈氏は2代にわたり役目を果たします。
この時代の「代官頭」ではもうひとり大久保長安がいます。こちらも街道整備などで力を発揮しますが、特に、石見銀材、佐渡金山などの鉱山開発に名を残しています。この大久保長安については2024年11月11日の「ある講演会のきっかけ」という記事をご覧ください。
この大久保長安の講演会の参加者は60名程度だったので、今回も、少し多いくらいかと予想していましたので、これほど多くの参加者に驚いた次第です。伊奈忠次関連では、講演会から5日後に、陣屋跡が残る埼玉県伊奈町の見学会を開催する予定で、これも現在まで60名の参加申し込みがあり、これも驚きの数字なのです。
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