65年ぶりの清水公園2025年06月10日 19:04


おなじみの『まち歩き』で千葉県の野田市へ行きました。野田といえば「キッコーマン」で有名な醤油の町で、私も工場見学ツアーに参加したことがあります。今回は、醤油工場とは関係ない「博物館」や「市民会館(茂木家旧宅)」「流山街道」などをめぐったのですが、博物館は醤油づくりの歴史や醸造用製品の展示が大半ですし、茂木家は亀甲満の創業家です。流山街道を歩けば大正から昭和初期の❝醤油景気❞を象徴するように壮大な3階席の豪華なホールを有する興風会館や醤油銀行の語呂合わせ?という旧商誘雄銀行などの歴史的建造物が残り、その間に、とても美しいガラス正面のキッコーマン野田本社があるなど、どこに行っても「醤油の街」です。


ところで、野田といえば私の思い出はなんといっても小学校の遠足で訪れた「清水公園」なんです。10歳くらいの時だと思うので、もう65年も前(!)です。思い出というと、途中の電車(東武野田線)の窓から見た田園風景や渡った何本かの河川の様子がかすかに記憶に残るばかりで、肝心の野田公園の様子は本当にまったく覚えていません。子供なんてそんなものでしょう。


ということでほとんど始めて訪問した清水公園なんですが、あらためて都市公園としてみてみると、江戸川(かつての利根川)の旧流路であり、それ以前は東京湾が入り込んでいたという海岸線の段丘地形の高低差を活かした池と周囲の草花豊かな平地、それを取り囲む樹林という自然を利用した広大な庭園風の公園であることがわかります。これは本多静六博士が自然公園として大幅な拡張して造成したものですが、現在はその池部分には丸木材を使った非常に高度なフィールドアスレチック施設がつくられ、その上の台地には「花ファンタジア」という庭園が造られています。どちらも有料施設になっていて、レストランやガイド施設もある雰囲気のいい公園になっています。


わたしは(他の多くのまち歩き参加者もそうでしたが)どちらの有料施設も入場せず、まずは、公園入り口の「清水公園貝塚」を訪ね、ここが海岸だった頃の地形を想像したり、園内では、公園化以前よりある「今乗院」という野田市で一番古いという寺院や仁王門を見学したりとちょっと場違いな行動をとりました。貝塚は野田市指定遺跡なのですが、指定の標識も説明版も古びてほとんど文字が見えません。現在、これを目当てに来る人はほとんどいないのでしょうが、野田市駅前の「弁財天の池」があまり清掃されていな印象を受けたのと同様に「古いものを大事にしない」まちなのかなとやや悲しくなりました。


ついでに、この公園に「富士塚」があり、浅間様とよばれていることを聞いていたので確かめました。これは市が発行した清水公園マップにも掲載されていましたから、貝塚のようなひどい扱いはないと思っていたのですが、ガイド施設で聞いてみると若い女性スタッフはよく知らない様子。後ろにした年配男性が「浅間様のことですね」といって場所を教えてくれましたが、目の前の公園地図にもそれらしきものは見当たらず、教えられた方向に、薄暗い樹林の中を歩きまわり、ようやく小高い山を発見しました(写真)。



数メートルとはいえ、確かに山です。ただし、きちんとした階段状の登山道はつくられていましたが、頂上には予想した浅間神社はなく、2メートルほどの石碑が建てられているだけでした。あとで調べると「参明藤開山碑」という文字が彫られているようで、下の台座(写真)には山を現す文様(この地の富士講のマークと思います)が刻まれていました。「富士」ではなく「藤」とされていますが、調べてみると「藤開山」とは富士講の言葉で「富士山を開く」あるいは「富士山信仰を広める」ことを意味する言葉とのこと。富士講の開祖である角行が唱えた「明藤開山」という言葉があるそうで富士講の行者たちが「参明藤開山」などと唱える際に使われたようで、珍しいことではないようです。
(参考:千葉県立関宿博物館研究報告第11号 [こちら]


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