「満月ランチ」とは何か2017年02月12日 15:55


今までも何回か登場しましたが「古道探索倶楽部」というマニアックな集まりがあり、今回は「赤山道(街道)大宮道をたどる」というシリーズの2回目の見学会に参加しました。赤山道(街道)とは江戸時代に関東地方開発を行った伊那氏が、その拠点である足立郡赤山(現在の川口市)と現地を結ぶために設けた道路のことですが、台地や低地が複雑に入り組んでいる地形を縫って、水害にも合わずしかも平坦な土地を選んでつくられているため年貢米の輸送路にも使われ、また中山道が川止めになったりした場合の脇往還の役割も果たしたようです。

寒い季節にかかわらずJR東浦和駅前には35名の参加者が集合。中高年が多いのは当然として熱心な方々が多く感心します。ルートとしては、この東浦和駅からJR京浜東北線の与野駅方面にむかいます。いつものように表通りを一歩抜けた場所に古道は残っています。最初の大間木氷川神社、保科正之の養母として有名な見性院のお墓のある清泰寺をへて、いつものように古道の傍らに立つ庚申塔などを見学しながら歩いていきます。

東浦和の周辺は、かなり以前は浦和の田舎という感じでしたが、今では静かな住宅街に変身していました。途中で立ち寄った大間木の高野家の離れ座敷(茶室)では、幕末の蘭学者、高野長英が逃亡の折に立ち寄り数日間滞在した歴史を教えてもらいました。吉村明の小説『長英逃亡』の一場面が浮かんできます。

幸いあまり風もなく楽しく歩けましたが、この日のお昼は、さいたま市緑区の道路沿いにある「豆たぬき」という店にはいりました。なんでも満月というメニューがあり、その名にちなんで満月の日は半額(700円→350円)になるらしいとのことで(この日は満月)ここに立ち寄るように企画したようです。写真の様な感じで、まぁそれほど高級感はありませんがランチには十分でした。

午後2時前に目的の与野駅に到着。解散後、10名ほどの元気組で駅前の居酒屋で慰労会を行いました。

「ひとり出版社」のつぶやき2017年02月10日 19:18


(上の写真は旧川越街道でみつけた巨大なウチワサボテン。内容とは関係ありません)

山岳信仰関係の文献を探していて、ある学会のリンクから岩田書院という出版社に会誌のバックナンバーを注文しました。注文品はすぐに届きましたが、その中に、この出版社の図書目録も同封されていました。

歴史、民俗、宗教などの分野の専門会社らしく、歴史論文みたいな堅い書名が数百点以上紹介されていますが、最後に『新刊ニュースの裏だより』という10ページくらいのちょっと変わった記事がおまけみたいについていました。どうやらこの出版社の編集者が出す自社のお知らせの裏に連載?しているエッセイみたいなもののようです。

これが読んでみると面白い。どうやらこの会社は「ひとり」でやっているようです。当然、協力スタッフやアルバイトはいるでしょうが、基本的に社員はひとり、社長兼平社員ということで、この形態は中小出版社にはかなり多く、俗に“ひとり出版社”といいます。つまり、このエッセイはこの「ひとり出版社」の経営者=編集者である岩田博さんののつぶやきというわけです。

専門書出版経営の難しさ、悩み、楽しみ、研究者に対する複雑な思いなどが、ベテラン編集者らしい、人柄がわかるような軽いテンポで書かれていて、関心のある人なら随所で「わかるわかる」という感じの共感をよぶ読み物です。

同社のホームページを見ると、2013年から続いているこの欄の内容が全部読めます。読者からの同社発行書籍に対する厳しくも暖かい指摘(手紙)が寄せされたという800回あたりが面白いです。代金を支払わない研究者への罵倒も痛烈です。それ以前のつぶやきを含めた、この『新刊ニュースの裏だより』をまとめた『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(無明舎出版)がなんと3冊も出ているとのこと。その世界では有名人なのかもしれません。

同社のホームページの『新刊ニュースの裏だより』
http://www.iwata-shoin.co.jp/backnews/uratop.html

この岩田さんのルポがありました。2014年頃のようですが、事務所の中がすごいです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3698

白幡の六地蔵観音2017年02月06日 20:00


さいたま市のサウスピア(桜区市民センター)に用事があったのでJR埼京線の武蔵浦和駅へ。時間調整のために少し散歩することにしました、この駅は乗り換えでなじみ深い場所なんですが、駅の外には、たまに浦和方面へ歩いて行くとき以外には降りませんので、それほど土地勘はありません。

この日は国道17号線を戸田方面に向かいました。歩いたことのない道です。17号線は埼玉県南部の人には本当に日常の道ですが、広い歩道があり、春先、桜の街路樹をながめながらここから浦和方面に歩くのは気持ちのよいものです。

10分ほど歩いた右側に「白幡観音堂」とかかれた石柱が目に留まりました。両側が大きなマンションや店舗なのですが、やや開けた境内には確かにお堂らしき建物が見えます。なんとなく入ると「足立坂東第十一番」とあり、お墓もありますから、かつては大きなお寺だったのかもしれません。そして左手に見事な六地蔵があらわれました。横には六地蔵を守るかのように、大きな曲がった錫杖を抱えた仏さまを上にいただいた石柱もあります。

六地蔵には交互に茶色と青の帽子、色とりどりのマグカップ、きれいなお花も供えられています。よく見ると造花のようです。多分付近の人がていねいに手入れをしているのではないでしょうか。石柱の側面には「天明四年」と彫られています。飢饉や噴火などの災害が絶えなかった時代にここに地蔵をまつって幸せを祈った人たちの気持ちが受け継がれているようです。

城ヶ崎海岸の松2017年01月31日 19:56


山歩きグループの新年会で静岡県の伊東へ。かなりの格安旅行ツアーですが、私はけっこう満足、他の人もそうだったようです。観光ビジネスではあっと驚くような豪華版からこうした超激安クラスまで相当の格差がありますが、それぞれが利益を出しているのですから不思議なことです。

2日目、朝8時すぎにホテルを出て、伊豆急に乗って城ヶ崎海岸駅へ、ここにある城ヶ崎海岸公園を2時間ほど歩こうという計画です。こうした場合、私はただリーダーについていくだけという主体性のない同行者です。この付近の海岸は火山から流れ出た溶岩と波の浸食で作られたけわしい断崖が続き、平地はほとんどなく、定住生活は大変だったと思いますが、現在は富士箱根国立公園の一部になっていて、観光地・別荘地・保養所として人気があります。私も何回か保養施設にきたことがあります。

この日は季節外れの暖かい陽気で多分20℃くらいの気温はあったのではないでしょうか。もともと暖帯性の気候でヤシの並木やアロエの植え込みなどが目立ちますので、とても1月末とは思えない感じ。風は相当に強かったのですが、少しも寒くはありません。岩場に打ち寄せる波の白さが印象的です。

風景とは別に、この海岸公園では松などの巨木が目につきました。上の写真は、吊り橋から城ヶ崎海岸駅へ向かう途中にある大木です。右の断崖、海岸と対比すると大きさがわかると思いますが、枝ぶりや太い幹の模様もとても美しい。さらに伊豆海洋公園をへて樹林中に静かに建つ蓮着寺へ。日蓮が伊豆へ流されたときに近くの俎岩に漂着したという伝説を持つお寺ですが、山門を入ってすぐにある「日蓮上人袈裟掛けの松」も驚異的な巨木です。本堂横にあるヤマモモの樹は日本一の大きさとの説明があります。その他にもこの公園の林の中には時代を経た巨木が目につきました。もう少し時間をかけて訪れてみたい場所です。

工場見学で見たものは2017年01月23日 20:11

あさか環境市民会議という団体の研修会で2か所の工場施設を見学しました。ひとつは飲料水の宅配方式ビジネスを行っているクリクラ製造工場(埼玉県本庄市)。もう1か所は食品のガトーハラダ本社工場(群馬県高崎市)。利根川の支流である烏川を挟んだ近い距離にあります。

クリクラ本庄工場は2015年に完成したという新工場で、広い敷地の中にあざやかなデザインの事務所棟と工場が並んでいます。工場正面には「クリクラミュージアム」の文字があります。つまり、ここははじめから訪問者に見学してもらうことを予定して建ててあるということです。産業観光開発に力を入れている埼玉県本庄市との協力体制のもと、この施設も本庄市の新たな観光資源として活用されているようです。

工場では月産100万本の宅配水を生産しているとのこと。説明をうけ、生産設備を見学しましたが、驚くのは工場内にまったく人がいないことです。水の浄化、充填、容器の搬送などはきれいな流れ作業なのですが、完全にオートメーションです。次工程の出荷用のラックの倉庫は天井が見えないほど巨大な立体構造の建物ですが、ラックを探して運んでくるのも、そこに詰め込むのもすべて産業用ロボットです。

午後にたずねたガトーフェスタハラダは、ラスクなどパンから作った洋菓子の専門メーカーですが、この工場も2年程前に完成した新工場で外観が西洋のお城の陽なっているので「シャトー」の名称がつけられています(写真)。ここでも、説明のあと、工場2階、3階の生産ラインを見学しましたが、白衣をきた作業員の姿は本当に少なく、製品の検査や選別、袋詰めなどがほとんど自動化されています。検査や選別の仕事はおそらく少し前まではベテラン作業員がやっていたものと思いますが、こうした最新工場での省力化の波はすごいものがあります。

2つとも完成したばかりの新工場だからかもしれませんが、われわれがよく知っている自動車や鉄鋼業などの大工場だけでなく、こうした比較的小さな、手作業主体だと思えるような日常消費用品の製造ラインまでこうしたセンサーやロボットによる無人化が進んでいることにあらためて驚きます。現在では、製造後の発送、輸送行程でも自動運転技術みたいな無人化が進んでいるようです。もちろん、どこかに人間が必要なことはわかっていますが、単純に「工場新設=雇用拡大」にならないことは確かです。

寒波来襲の日に奥武蔵の山を歩く2017年01月16日 16:10


今年一番の寒波が来襲して北日本から西日本まで雪景色になってしまったという15日に、地元の山の会のメンバーで秩父郡横瀬町のあしがくぼから丸山をまわるという山歩きをしました。コース全体に高い山はありませんが、積雪や凍った山道を予想してアイゼンを持っていきました。

西武飯能線のあしがくぼ駅から登山道に向かう道路では1週間ほど前に降った雪が歩道に除雪されていて凍って固まっていました。そのため山道に入ってすぐにアイゼンを装着。私を含め、その使用に慣れていないに者はけっこう大変。

標高が高くなるにつれて、次第に登山道に雪と氷が増えてきます。本当の雪山ではないので、それほどたいしたことはないのですが、アイゼンに慣れていない私には、引っかかるようで歩きにくく、ポールも雪に刺さって引き抜きにくいということで、ただ歩くだけで疲れます<上の写真>。

この日の最高点、丸山(960メートル)は登山地図に<奥武蔵随一の眺望>と記載されてます。この日は天候もよかったので確かに素晴らしい眺めでした。空気が澄んでいるせいか、秩父の市街や眼前の武甲山、両神山などが目の前のようにくっきりと見えます。武甲山の石灰岩砕石跡はいつ見ても印象に残ります。

個人的には、身体全体の防寒は大丈夫だったのですが、手袋がだめでした。寒さを甘く見てはいけませんね。

立川談春の落語をきく2017年01月14日 19:13


品川に立川談春の独演会をききに行きました。家族がファンなので以前にも一度付き合ったことがありまして2回目。ご存知のように立川一門は寄席には出ないのでこのように独演会を行います。当然、音楽会のように事前にチケットを申し込んでおくのですが、談春は現在一番人気のある落語家とのことで券は申し込み1名につき2枚、そして会場に本人がいかないと入れない。一度会場に入ったら出られないという厳重な管理体制になっています。不正転売を防ぐためだそうですが、こうしてなんとかホテルの一室に設営された「寄席」に入場できました。

それでも400名くらいの人数に制限されていますので、以前の公会堂の大ステージよりは聞きやすかったです。談春の弟子という2人の若い女流落語家が前座みたいな芸を披露した後、談春が登場。リラックスした感じで自分の体調や弟子の話、他の芸人の話など思いついたように話すのはいつものことでしょうか。談志の様な「毒」がありませんので客も屈託なく笑っていられます。他の落語家をあまり知りませんが、たぶん既成の寄席の古典落語家とは違うのでしょう。

この日も2つの噺をやりましたが、本題は『居残り佐平次』という廓話の一席。舞台は品川の遊郭ということになっています。金を持たずに大散財するという正体不明の男の立て板に水の口上はさすがにうまいものです。しかし、噺が終わったあと、これは会場がファンだけという安心感からと思いますが、時代が変わってしまって、特に廓噺などをやるのは難しいという意味のことを漏らしていました。この日の『居残り佐平次』でも最後の「裏を返す」という下げの意味がほとんどの人にはわからなくなっています。親切に説明をしてくれたのですがそれでもわからない人はいたようです。

古典落語も時代考証が必要な時代なのかもしれませんが、人情や性愛の問題に属することも多く、公娼制度のことも今や体験者はほとんどいません。そこに十代の女性演者が登場する。こういう芸能はどうなっていくのでしょうか。

府中の熊野神社古墳2017年01月10日 17:47


8日、9日の両日、大宮の氷川神社と府中の大國魂神社に参詣。武蔵の国一の宮と武蔵の国の守り神、2つの神社はともに出雲系の由来を持つ歴史のある神社です。8日の大宮氷川神社は冷たい雨の中でしたが、多くの人で賑わい、9日の大國魂神社は成人式の晴れ着の女性が多く華やかでした。

府中の方では時間があったので少し歩いて興味のあった熊野神社古墳へ行ってみました。大國魂神社前の旧甲州街道を西に進みます。両側に残る旧家のたたずまいに街道の雰囲気を楽しみながら歩くこと20分ほど、京王線・分倍河原駅を通り過ぎ、新鎌倉街道を超えたところに熊野神社の鳥居が現れます。小ぶりな社殿の後ろに巨大な石造りの古墳が見えています。

この現代に再現された墳丘が、数少ない上円下方墳として、なんと平成になってから再発見された熊野神社古墳です。もともとこの神社の裏の小山は古墳ではないかという説があったそうなのですが、整備のための発掘により3段構造で石室を持つ上円下方墳と判明し、しかもこの種類の古墳としては最大規模であることもわかったのです。10年前に国指定史跡に指定され、神社の敷地内に展示館や石室の復元施設も併設されました。

府中は古代東山道が通った武蔵国の国府所在地ですが、付近には、主に多摩川の崖線沿いに、たくさんの古代遺跡が発見されています。多摩川は今よりはるかに巨大な河川でした。夕陽を受けて輝いているこの古墳も、かつて多摩川を行く船の上からまばゆく見えたに違いありません。

ところで、この熊野神社古墳展示館の女性係員はとても熱心に説明、案内をしてくれました。再現石室の内部にもライトをもって同行していただきました。もっと勉強してからくればよかったと思った次第です。

トレイルラン2017年01月07日 11:15


1月3日、あまりに暖かい陽気の中、初詣気分で高尾山へ。薬王院は混雑していましたが、行列に並んでいる人たちの話を聞いているといわゆる世間話の連続で、真言宗の大本山に参詣しているという意識はほとんどないようです。高尾山に限らずどの山も寺院もいまや信仰とは無縁の観光地になっていますが、この日くらいはスマホから離れてもう少し気宇壮大な話ができないものかと思った次第です。

登山道に抜け出ると人出は多いですが普通の休日くらいの感じでしょうか。静かな冬の山の気配を感じることができます。ゆっくり歩いていると、後ろから走ってきて「すみません」と抜いていく人がいます。いわゆるトレイルラン(正式にはトレイルランニング)の愛好者です。登山道を軽快ないでたちで走り抜けるというこのスポーツが一般的になってきたように思います。

そういえば、お正月のテレビのBS放送でもユーロッパアルプスを舞台にしたこのトレイルランの世界的な大会の模様を放映していました。他にもアマゾンの密林や砂漠も含めて、体力の限界に挑むようなレースの放送がいくつもありました。8月には、日本アルプスを舞台に2年一度開かれる「トランスジャパンアルプスレース」という超人的なレースがあり、これも放送されていました。富山湾からはじめ、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを次々と縦断して駿河湾までの約415㎞を8日間以内で踏破するというとんでもないものです。

最近のブームかとおもいきや、調べてみると日本の山岳レースの嚆矢ともいえる富士吉田市の「富士登山競走大会」は1948年(昭和23年)に第1回が開催されています。私が生まれる前! 食料も満足でなかった時代にたいしたものです。いまでも過酷なレースのようで、山頂コースは半分ほどしか(制限時間内の)達成者がいないようです。

現在では、東京地方だけでも、この高尾山系もそうですが、奥多摩、奥武蔵、青梅丘陵など、自治体や企業主催のトレイルラン大会がたくさんあります。

どんなスポーツでも、やっているうちにより早く、あるいは競争したいという気持が生まれてきます。トレイルランもランニングから移行する人、登山から移行する人があると思いますが、いずれにしろ、季節の風景や動植物などの自然を楽しみながら歩く「登山」とは少し違う楽しみ方といえそうです。

自然の植生に悪影響を与えたり、思わぬケガをする確率も格段にあがります。気をつけてください。

 写真はNHKのホームページからです。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3326/2379259/

年の終わりと世界の終わり2016年12月31日 14:23


『空海の風景』(司馬遼太郎)という小説を読んでいるので、この時代を超えた超人伝説の持ち主にちなんでスケールの大きな話をします。

空海が高野山で入定するとき「56億7000万年後に弥勒菩薩とともにこの世にもどる」と遺言したということになっています。56億7000万年とは天文学的な数字ですが、仏教では釈迦入滅後、この時間が過ぎた未来に弥勒菩薩があらわれ人々を救うという思想があります。

この数字に何か意味があるでしょうか。これを仮に「世界の終わり=宇宙の終わり」とすれば、時間と空間が終わるときでしょうから、実感としては想像できません。そこで、密教でいう「大日如来」を常識的に「太陽」のことだとして、世界の終わりは地球の属する太陽系の「太陽」の終わりと考えてみます。理論は別として、太陽の寿命は100億年なのだそうです。その後は、超新星になって爆発?するらしいです。そして、太陽は誕生からすでに50億年過ぎているで、残りは50億年。56億7000万年後というのがなんとなく納得できる数字にみえてきました。仏教はすごい。

しかし、50億年どころか1億年でも、あまりに大きすぎ、遠すぎてわれわれに関係があるようには思えません。そこで、星としての地球の終わりでなく、地球上での人類の終わりと考えると、実はかなり具体的な現象が2つ現実的に考えられています。

ひとつは巨大彗星の衝突です。地球のごく近くを通り過ぎる場合も含みます。これは過去の地球の歴史で何回もあり、想定外ではありません。ただし、現在の天文学では精密な計算ができていて、少なくとの私たちの生きている間には起こらないとされています。

もうひとつは「地震」ではなく「火山の噴火」です。それも通常の噴火ではなくカルデラ噴火とよばれる超巨大噴火です。巨大火山(スーパーボルケーノ)としてはアメリカの「イエローストーン」が有名です。その他にイタリヤ、インドネシア、そして日本にも喜界島、阿蘇、箱根というように大きなカルデラをもった火山がたくさんあります。幸いなことに、人類の文明世界が成立してからは、こうした巨大火山がカルデラごと噴火した事例はありませんが、噴火の予測は(地震同様)、天文学のように数式できちんとあらわされていませんので、可能性は常にあります(詳しくは、以下の「ナショナル・ジオグラフィック」の記事をご覧ください)。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0908/feature03/

なんだか怖い話になってしまいましたが、ようするにこの世界の終わりはいつ来てもおかしくないということです。ただ、たいていの人は<世界の終わり>より先に<自分の終わり>が来てしまいますので(これは確実です)、あまり気にしないことにして、ちいさな喜びをみつけ、ささいな生きがいを糧にして生きている小さな存在なのです。

写真は弥勒菩薩像として有名な中宮寺の木造菩薩半跏像(国宝)