ある講演会のきっかけ ― 2024年11月11日 12:55

大久保長安は、八王子の街づくりを行ったことが知られていますが、今年世界遺産登録された佐渡金山(今年7月)や石見銀山(2007年)などの開発に手腕を発揮していますが、他にも中山道・東海道など伝馬交通制度の確立や検地・町立など幅広い業績で幕府の基礎を築いたとされます。その一方で、その死後に一族が過酷な断罪を受けるという波乱の生涯により多くの謎を残している人物です。
大久保長安だけでは、関東特に埼玉県のひとにはあまり馴染みがないかもしれませんが、伊奈忠次であれば、利根川や荒川の付け替え(利根川東遷、荒川西遷)、知行割、寺社政策など、江戸時代を超え、現在の関東のインフラをつくったとの評価もあり、埼玉県内をはじめ関東各地には「備前堀」や「備前堤」と呼ばれる用水や堤防が残っていますが、これはいずれも忠次の官位「備前守」に由来しています。
講師の和泉先生は徳川幕府成立期の経済社会史研究の第一人者ですが、特に代官文書などを関東・東海ばかりでなく九州まで後広範に調査・収集解読しています。この日も、大久保長安の甲斐時代から関ヶ原合戦後の関東などの領国支配、金山銀山開発の経過とその推移が及ぼした影響、さらに東海道、中山道などの伝馬・交通政策を詳しく説明。さらに家康大御所時代の「年寄衆」としての役割なども触れ、知られている以上のその実力ぶりを発揮したことに言及しました。さらに最後に、死後の過酷な糾弾には、江戸幕府内の権力争いがあり、それに利用されたとして、その後、幕末以後に大久保長安の功績は見直されているが、現在まで偏見が残っているとして、正しい評価をするべきと述べたのが印象的でした。
この講演会の企画のきっかけですが、たまたま八王子にある揺籃社という出版社が今年(2024年)に『定本・大久保石見守長安』を出版したことを私が知っていて、その著者の和泉清司氏が数年前に『伊奈備前守忠次』という著書を(出版社は違いますが)出していることも知り、この江戸幕府創成期を支えた総代官のふたりを同じ講師で取り上げられるのではないかと考えたわけです。
そして、この揺籃社の親会社は清水工房という印刷会社で、その創業者の清水英雄さんは私が20代のころから知っていて、その後の自費出版ネットワークという団体の活動の中では長くお世話になっていた方なので、今でも情報だけは受け取っており、その中でこの『大久保長安』のことも知ることになったという経緯があります。長い人生の中のいくつかの触れ合いで生まれたイベントということになります。
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