志木市宗岡の浅間神社 ― 2018年12月16日 12:10
私が自宅から簡単に歩いていける富士塚が2つあります。いずれも隣の志木市内にあり、ひとつは「田子山富士」として埼玉県の重要文化財になっている敷島神社内の富士塚です。これは志木市本町という場所にあり、江戸時代以来の新河岸川舟運で栄えた引又河岸のすぐ上の台地上にあり、運河を行きかう船人からも良く見えたと思われ、かなり大事にされているという感じです。
もうひとつは、そこから徒歩で30~40分ほど離れた荒川土手沿いの浅間神社の中に立っています。昨日久しぶりに行ってみましたが、土曜日というのに訪れる人もなく(寒さもありましたが)、神社前の狭い道路を爆走する車の騒音だけが響いていました。さらに、目の前に見える荒川の巨大な土手とそれに直行して羽倉橋に至る県道463号線(通称浦所バイパス)が北と東の視界をふさいでいて、なんとも可哀想な限りです。
それでも敷地内の2カ所になんとなく誇らしげに掲げられている説明版によれば、この浅間神社は建久4年(1193年)の源頼朝が行った富士山麓での巻狩に由来するということが記載されいます。神社の歴史的な起源がはっきりわかるのは珍しい。隣の富士塚は明治になってからの建立のようですが、これも説明版によれば、幾度も繰り返されたに違いない荒川の氾濫を耐え抜き、流路の変更さらに道路整備などにより2度もその場所を変えて造り直しながら、現在まで維持されてきたとのことです。地元の人の神社や富士塚に対する愛着がしのばれます。
この富士塚はかつては(いまの堤防ができるまでは)もっと荒川に近く「樹木を多く植えて近隣の景勝地となっていた」そうですが、現在はかなり乾いた感じの岩石のみの御山になっています。少し前、保護のためとは思いますが表面の表土をコンクリートで固めました。妙に白く、そこに黒い溶岩でおかしな感じがしましたが、久しぶりにみるとコンクリートは歳月で黒ずみ、かなり自然な感じになっています。
敷島神社の富士塚に比べ、保存会などもないようです。これも歴史と人びとの素朴な信仰の象徴として大事にしたいものです。
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