見上げてみればいわし雲 ― 2018年11月02日 14:51
朝、なんとなく外へ出てみると結構寒い。そして見上げると見事にいわし雲。ひつじ曇っていう呼び方もあるらしいけれど秋の空の特徴のようです。いわし雲で思い出すのは馬場のぼるの童話『11ぴきのねこ』の表紙の絵のこと。野良猫たちがうれしそうに空を眺めている―そこには太った魚の雲。
子供のころ、窓から侵入した野良猫が台所においてあった皿の上の魚をくわえて逃げていくというサザエさんの漫画を地でいく光景を目撃したことがあります。昔から家のネコはネズミを狙い、スキあらばおかずの魚にも目をつけていたものです。
今でもネコは魚が大好きなはずですが、最近はキャットフード以外は餌として与えないのだそうです。
一方、狙われるイワシやネズミは数を頼りにしぶとく繁栄をつづけ、世界中の動物世界の生態系を支えています。空の上のイワシは豊穣の海の象徴でもあります。早朝のいわし雲は30分もするとぼんやり拡散してしまいました。
子供のころ、窓から侵入した野良猫が台所においてあった皿の上の魚をくわえて逃げていくというサザエさんの漫画を地でいく光景を目撃したことがあります。昔から家のネコはネズミを狙い、スキあらばおかずの魚にも目をつけていたものです。
今でもネコは魚が大好きなはずですが、最近はキャットフード以外は餌として与えないのだそうです。
一方、狙われるイワシやネズミは数を頼りにしぶとく繁栄をつづけ、世界中の動物世界の生態系を支えています。空の上のイワシは豊穣の海の象徴でもあります。早朝のいわし雲は30分もするとぼんやり拡散してしまいました。
『悲しき熱帯』とは ― 2018年11月11日 11:54
鼻と下唇に飾り羽を差してこちらを睨んでいる恐ろし気な上の写真の人物は南アメリカの原住民・ボロロ族の男性です。撮影者はフランスの民俗学者レヴィ=ストロース。今から80年以上前のことになります。この部族をはじめ南アメリカの、この当時すでに滅び去ろうとしていた先住民族の調査記録を中心とする『悲しき熱帯』(Tristes Tropiques)という書籍(日本語版・下巻)に登場します。
この『悲しき熱帯』は民俗学の記録としてばかりでなく、文明論、社会論としても高い評価を受けている世界的な名作なのですが、なかなか簡単には語れない複雑さと奥深さを持つ書物ということになっています。その理由のひとつはレヴィ=ストロース博士の独特な思考回路とそこから生まれる独特の「文章」にあると思います。ただし、日本語訳で読むしかない我々としては、原文がそうなのかもしれませんが、こなれていないように感じられる訳文にもかなりの問題はありそうです。
さらにわかりにくい原因のもうひとつは、この本が、原作・日本語版ともに、内容はもちろん、その成立も、時間的・空間的な重層性を持っていることです。物語の中心になっているブラジルでの調査研究が行われたのは1930年代のことですが、その後、教授はナチスドイツの手を逃れてアメリカに移住、本の執筆は戦後の1954年から1955年にかけて行われています。しかし、完全な日本語訳が出たのはさらにその22年後の1977年になっています。その10年くらい前に『悲しき南回帰線』というタイトルで部分訳が出ていますが、私はそれを読んだ覚えがあります(探検・冒険のノンフィクションが好きだったからです)。
さらに地理空間の広がりも多面的です。母国・フランスでの研究生活、南米への旅とジャングル奥地での長期間の滞在、アメリカそしてインド、中東での活動。そこで感じたことが時間をかけて重なり合い、その後の独自の世界観と民俗学者としての人生を生み出したことは間違いないようです。フランスから最も近いアフリカのことが出てこないのは、文明によって滅亡寸前だった「新世界」の文化へのあこがれと哀惜があり、これがこの膨大な著作のタイトル=悲しき熱帯=として象徴されるようになったのだという想像ができます。
南米奥地への旅やそこでの数々の経験は「冒険」の名に値するもので、これは確かに余計な注釈なしに面白い。それ以外の箇所では私はしばしば理解に苦しむ箇所に遭遇しました。最初にいったようにこれは翻訳の問題なのかもしれません。どうも、このレヴィ=ストロース教授の思考にはそういうところがあるようで、訳者(川田順三)自身が、冒頭に置かれた「二十二年ののちに」という前書のなかで「事物の時間・空間の中での位置や展開、物の作り方についての記述には、どれほど注意深く読んでも、私(訳者)には結局わからなかったところが何カ所かある」と書いているほどです。これでは読者にわかるはずがありません。
最後の第9部その最後の2章は、イスラム教、キリスト教、仏教の宗教や世界とのかかわり対する教授の考え方(それは仏教に対する深いシンパシーを含んでいるようです)をあらわしていて非常に内容の濃い文明論になっています。現在の宗教・民俗対立の中で、示唆に富む一冊と思います。
寄居・少林寺の羅漢像 ― 2018年11月23日 16:10
地元の山の会では、毎年、11月14日の「埼玉県民の日」には東武鉄道の特別乗車券を利用して寄居・秩父方面に出かけます。今年行ったのは、寄居から最も近い鐘撞堂山という面白い名前の山です。寄居には25日にも行くことになっています。なぜか、こういうふうに重なってしまうときがよくあります。
寄居で秩父鉄道に乗り換え、桜沢駅近くの八幡神社裏手から登山を開始しました。ここから鐘撞堂山一帯は民家に近いためと思いますが、スギ林などの植林ではなく、クヌギやコナラにヤマザクラなどが混じる落葉広葉樹林=里山の雰囲気です。
鐘撞堂山からの下山途中、羅漢山という箇所があります。そこを超えればそのまま円良田湖へ行けるようですが、その山のふもとに少林寺というお寺があり、その途中の急な崖面の藪の中にたくさんの石仏=羅漢像が顔をのぞかせています。これが少林寺の五百羅漢で、多分、このためにこの山を羅漢山というのでしょう。
羅漢(阿羅漢)とは、釈迦・文教の教えを実行した聖人ということらしいですが、各地の羅漢像(五百はたくんさんという意味でしょうか)を見ていると、どうしてこんなに個性的に造形するのだろうと思います。ここ寄居の羅漢像はあまり派手な観光地でないせいか、林の中で静かにこちらを見つめ、通り過ぎる我々の方が見られているようです。
一里塚はどこ? ― 2018年11月28日 18:13
博物館友の会の「まち歩き研究会」で甲州街道を歩きました。11月16日ですから、本来なら集合場所のJR高尾駅付近から八王子追分までのイチョウの並木は黄葉の盛りのはずですが、今年は少し遅いようです。それでも歩き始めには見事な景観が見られました。やがて八王子の市街地に近づくほどイチョウの黄色は少なくなっていきます。まるで都市の温暖化の見本のようです。
今回歩いた高尾駅付近の甲州街道は、八王子宿から次の小原宿まで中間にあたりますので、実はあまり古い商店や民家が見当たらない地域のようです。それでも『甲州古道』という観光地図を参照しながら歩いていくと、歩き始めて15分くらいの場所にある八王子市役所横山事務所付近に「新地の一里塚」の跡があるように記載されています。しかし、何も見当たりません。実は、一度下見に来た時に、この横山事務所で聞いてみたのですが、どうもこの一里塚のことをご存知ないようでした。紛らわしいことに、この事務所の敷地には、オオツクバネガシという市指定の天然記念物の大木がこんもりとした塚の上に堂々とそびえています。
何気なく通るとこれが一里塚の跡のようです。しかし、上の写真にあるように説明版では何もふれていません。情報を総合すると、少なくともこの場所、あるいはこのすぐ近くに一里塚があったことは確かなようです。戦災や道路拡張工事の時に跡形もなく消えてしまったのだと思います。
貴重な甲州街道の歴史の雰囲気を残しているのですから、掲示板を立てるか、あるいはこのカシの木の説明版の中にひとこと説明するくらいはしてほしいものです。
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