懐かしい街を歩いていたら2018年12月23日 11:46


日本橋のほうに仕事があり、その帰り道、靖国通りに出てから、神田駅周辺を通って秋葉原、御茶ノ水、水道橋と廻りまた神保町へ降りて、九段、飯田橋を経て最後は神楽坂から早稲田まで歩きました。

この日歩いたあたりは私が20代の頃から40歳代まで、勤めていた会社があり、その後も仕事やその他もろもろの用事でさんざん歩き回った場所です。どこにいっても思い出の街角や路地、建物が視界に入り、数十年前の記憶がそのまま蘇るような風景が次々に展開していく、懐かしい映画を見ているような不思議な感じでした。

東京都内に行くことはよくありますが、たいていの場合は目的や何かの用事があり、終わればそのまま帰るあるいはどこかの店か施設によっていくだけということがほとんどです。何も考えず、ただ東京の街をゆっくり歩くということはあまりありません。

今でも自宅の近くの街中や自然の中を歩く「散歩」やいわゆる「まち歩き」でも同じように昔から見慣れた中を歩いているのですが、多分、そこで目に入るものは、私の中の生き生きした体験が投影されている風景ではないのでしょう。そうしたノスタルジアを感じることはほとんどありません。

老後の楽しみのひとつに「思い出」があるといわれます。過ぎ去った過去の記憶も私たちの貴重な財産です。これは経験を重ねなければ蓄積されません。思い出すのは楽しい。たとえ当時は苦しく悩んだことであっても過ぎてしまえば懐かしいだけです。

その思い出の街の中では私はすでに現在進行形で生きているわけではないのだと気づくとやや寂しいですが、人生とはそうしたものでしょう。

さて、歩いている途中、神保町の古書店街(靖国通)を通りました。街の雰囲気はあまり変わっていません。いくつもの古書店の店先に、1冊100円以下の古書が乱雑に陳列されています。ふと見るとどこかで見たような書籍が…。私が出版の仕事をしていた時に出した『世紀末文化論』という本です(上の写真)。20年以上前で著者は私の友人でした。特殊な本で多分200冊も流通していないと思います。それがたまたま歩いていた私の目に留まる場所にあったのはまさに奇跡です。厳松堂という大きな古書店でした。