浜名湖の姫街道を歩く(2)2024年03月29日 11:49


 2日目


2日目はいよいよ本坂峠越えです。朝、7時半ころ、浜松駅から東海道線で新所原駅に向かい、そこから昨日乗った天竜浜名湖鉄道で三ケ日駅へ向かいます。三ケ日駅の目の前が「姫街道」ですから、ここを豊橋方面へひたすら歩くのは予定の行動でした。街道には、昨日同様、まったく人影は見えません。静かな町をひたすら歩き続け、小さな橋を越えるあたりで前方に目指す本坂峠方面と思われる山々が見えてきました。山並みの南は湖西連山に連なっているはずです。1時間ほど行くと右に登っていく道路脇に「姫街道」の標識があります。緩い坂を上るとここに「本坂の一里塚」がありました。道の両側の塚がきちんと残っているのはこの街道でもめずらしいようです(上の写真)。するとここが姫街道の旧道ということになりますが、道は少し先でまたもとの舗装道路(現街道)にもどってしまいます。



やがて道が次第に緩い登り坂になっていきます。地図で確かめてみると、もう少しで「本坂トンネル」に着きそうですが、もちろんこれは現在の街道の話、旧道はこのさらに上の中腹を通っています。そこにあるのが「旧・本坂トンネル」で、私はそこに向かうのですが、昨日に続き、旧道の近くにある古道がすぐに見当たらず、少し遠回りですが「椿の原生林」と標識があるあたりまでは舗装路を進みました。「椿の原生林」は最近あまり花が多くないという情報を聞いていましたが、着いてみると確かに山の南斜面を通る古道の両側にはツバキを主体とした常緑樹林のようですが、花は探さないとほとんど見つからない感じです。この山全体も昨日の引佐峠と同じで、スギやヒノキはありますが主体は常緑樹林で、関東(以北)の山々のようにクヌギやコナラといった落葉のブナ科の木々はほとんどなく、林内は暗く、落ち葉も少ないようです。


ここでツバキの道が古道になっていることがわかりましたが、それほど大きな回り道でもないので、昨日のように時間がかかることを考えて、トンネルを越えるまでは旧道をいくことにしました。ところが簡単なはずの旧本坂トンネル越えが結構大変。というのは、トンネル内の道はほぼまっすぐのようで出口の明かりははっきり見えているのですが、中に入って20メートルも行かないうちに周囲が全く見えない状態になりました。私と違って目のそれほど悪くない人でもおそらく同じでしょう。かつて車も走っていた道でしょうから下は平坦だとは思いますが、ストックで前を探りながら歩き始めると、なにか溝のようなものにあたります。これは危ないということで一層慎重に前をたたいて探りながら一歩ずつ歩きます。下ばかり見ていると方向が狂います。今回、ヘッドランプを持ってきていなかったのですが、いざとなればスマホのライト機能で10分や20分は乗り切れると思ったのが間違い。新しいスマホにライトアプリを入れていませんでした(自動移行はしていなかった)。ここでダウンロードなんてのんきなこともできないので、将来のさらに目が不自由になった時のために(?)ストックによる手探り歩きの体験ということで数分の恐怖の時間を過ごし、なんとかトンネルを抜けました。ここは基本的に自動車が通る可能性もあるわけですから、ひとり旅の用意という教訓を得ました。



地図によると、トンネルを抜けると古道があります。これならツバキの道からトンネルの上を通ってきた方がよかったとも思いましたがあとの祭り、こういうところが初めての場所の難しいところです。まぁ、心霊スポットの噂のある真っ暗なトンネルを歩いたのも面白い経験でした。難関の本坂峠を越えたのであとはこの古道を下り、元の姫街道(新道)に戻るだけですが、途中いくつかの興味深いポイントがあったので立ち寄ることに。まずは「嵩山蛇穴(じゃあな)」という恐ろしげな名前の遺跡があります。これは街道から少しはずれるのですが、地図を見ながら進んでいくと、女性の登山者に出会いまし。ここまでほとんど人に会わなかったのでよい機会と、写真を撮ってもらうことにしました。女性も撮ってほしいということで、こういう出会いがうれしいのは人の少ない道ならではです。さらに蛇穴目的地付近まで来て、場所を確かめていると、そこに2人の女性登山者が現れました。そこで蛇穴の場所を訪ねると、少し行き過ぎていたらしく、ひとりがわざわざ、分岐点にもどり、すぐ先の崖下にある洞窟まで案内してくれました。どこでも登山者はやさしいひとばかりです。蛇穴とは崖下にある洞窟で、説明によるとかなり深い鍾乳洞のようで、縄文時代の住居跡。かなり長期間にわたって使用されたようです。この洞窟のすぐ下には小さな池もあり、この低山にはシカ、イノシシなどの獲物も多くいたでしょうし、なにより豊かな浜名湖があります。ここは気候も温暖で、古代から暮らしやすい場所だったでしょう。かつて考古学界をにぎわせた「三ケ日原人」もどうやら旧石器時代人だったということで、なんだか納得できます。


さらに元の姫街道(古道)に戻ると、浅間富士浅間神社があります。高く険しい石段とその上の社殿が残ります。頭浅間・足浅間・腹浅間の三社三神元からなる大きな神社で、明治の棄却を乗り越え、地元の信仰を集めてきたことがうかがえます。この石段を下りると、峠道も終盤に差し掛かり、一路歩くだけなんですが、山の上であった数組の登山者以外にはここでも人が見当たりません。本坂峠は「豊橋自然歩道」が南北に交差していて、私がはじめ歩こうとした湖西連山(浜名湖アルプス)につながりますので歩く人がいるのでしょう。時間はまだ十分あるのですが、早く姫街道(本道)に出たかったので、近道でもあれば聞こうと思い、誰かいないかと探しますが、いません。延々と続くミカン畑の中、地図を頼りになんとか現在の街道に出ました。この道をこのまま歩けば、豊川稲荷の駅につきます。あと2~3時間でしょうか。これが当初予定した街道歩きのフルコースなんですが、昨日の7時間以上の街道歩きで左足の小指が靴擦れをおこして歩くたびに結構痛いのと、疲れてきたこともあり、弱気を出して近くにあったバス停に寄ってしまいます。幸い、あと数十分後に「豊橋行き」があります。


近くの畑の中の草原で休み、ようやく来たバスに乗車。乗客は一人ですが、やがて乗る人が増え、豊橋駅に着く頃には都会のバスになっていました。今回いくつかの反省点もありましたが、旧街道ひとり旅を楽しむことができました。

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