都留アルプスは発電の道2023年02月28日 12:09

上の写真は山梨県都留市にある水力発電用の道路喬で、橋上には10メートルほどの幅の水路で水が勢いよく流れています。明治の終わり、日本の水力発電の黎明期に造られたもので、桂川(相模川)の支流である鹿留川(ししどめがわ)という川に架かっています。


この橋のある山梨県都留市が水力発電で町おこしを狙い市役所構内や小学校に小型の水力発電所「元気くん」を設置していることは知っていましたが、2月の終わりに山遊会で「都留アルプス」と名付けられた市内山間部を縦断するトレイルコースを歩くことになり、あらためて調べてみると、この地が日本の水力発電の歴史を刻むような重要な役割を果たしていることがわかり、街を見下ろす山塊に散在する水路橋や送電線を結ぶような登山道歩きを楽しむことができました。


トレイル開始はJR大月経由で到着した富士急行の都留市駅です。駅を出て左右に延びる道路に立つと西方向真正面に純白の富士山が圧倒的な迫力でそびえています。本当に富士山の裾野のまちという感じです。そこからほんの数分歩くと見えてくるのが斜面を斜めに下っている巨大な円筒状の導水管で、これが谷村発電所です。導水管を通してこの発電所に落ちている水は、今回の登山コースの反対側にある鹿留川方向から一気に山中を貫いて流れてきているのです。登山はここから出発して都留市の中核部分と並走するように北東から南西に向かって横たわる山塊を越えていきますから、コース自体が発電用の導水路の流れとほぼ同じであるのは地形の関係で必然です。さらに発電施設は電力の道でもありますから送電線で結ばれています。この送電ルートも導水管と並んでいるので、随所に巨大な高圧線の鉄塔が立っていて、ちょうどその鉄塔を結ぶような形にもなり、まさに電気の道をたどるコースともなっています。


この豊富な水の流れを運ぶ導水路は元をたどると富士五胡のひとつである山中湖から取水されてここまで来ているのですが、ここで終わりでなく、さらに桂川に並行に流れ続けて最後は上野原方面まで続きます。地図で辿ってみると、この谷村発電所を下った水路は桂川を経由して川茂ダムに溜まり、そこにある川茂発電所で利用されたあと、九鬼山の中腹をトンネルでくぐり抜けていきます。その直前にあるのが赤煉瓦の落合水路橋。明治40年(1907年)の建設で国の重要文化財(近代化遺産)になっていて今や都留市のお宝です。


私はここで、かつて富士急の田野倉駅から九鬼山に登ったとき道路右手にこの優美な橋が見えたことを思い出しました。さらに、水路は続き、桂川(相模川)近くの駒橋発電所につながっています。これも、大月の百蔵山からの帰りに名所の「猿橋」に寄った時に見かけました。川を超えてトンネルの中に吸い込まれていく急流の水路─これが駒橋発電所へ送られる発電用の流れだったのです。思い出がつながりました。この駒橋発電所は現在も使われていますが、日本で最初に長距離送電(山梨から東京まで)が行われた発電所として有名です。こうしたことから都留市は水力発電の町というキャンペーンを行っているようで、都留アルプスはその象徴みたいなところがあります。


山としての「都留アルプス」は最高でも700メートルを超える程度の低山ですから名山が群雄するこの地域では目立ちませんが、市内駅からすぐに登れるハイキングコースとして都留市が登山マップも作成してPRにつとめています。ただし、まだ寒さの残る日だったためか行きあった登山者は多くありません。小さな山塊のアップダウンとその間を結ぶ緩やかな尾根道が続き、眼下には樹林越しにいつも都留市内が見えています。山自体は秩父のようなスギの植林地ではありません。主体はブナ科の木ではないみたいですがヒノキ、クヌギ、ヤマハンノキ、ヤマザクラやホオノキなどの広葉自然林が主体で登山道には落ち葉が積もっていました。アカマツ、スギなどの針葉樹が多い斜面もあり、都留市の木はアカマツだとあとで知りました。今回、季節の関係で下草が目立ちませんでしたが、春秋の花も多いはずです。



電気の道ということでは、特に前半に関連施設が目立ちます。樹林の斜面を横切る送水管やピーヤと呼ばれる巨大な水道橋などはここのシンボルのようです。2時間ほどで尾崎山分岐に到着、ここから斜面を超えていきますが、途中にあるミツマタの群生地はまだ時期が早くて青いつぼみでした。さらに下ったいくと山腹に造られた楽山球場という施設につながる地点を通過します。きれいなバイオトイレもあるのでここで休憩・昼食。町の人がウォーキングに来るような場所で、この山がいかに街に近いかがわかります。


あとの登山の詳細は省略しますが、登山道が終わり、小さな集落に出るとすぐに見える鹿留川の渓谷はなかなかの水量で、小さな淵を造っていて、不幸な女性が身を投げたという伝説の残る「おなん渕」というようです。この淵のすぐ下流にも煉瓦造りの水路喬があり、上は10メートルほどの幅の水路で水がすごい勢いで流れています。この橋もかなり古そうですが文化財にはなっていないようです。水は遠く富士五湖から流れてきたものですから、この地域の水力発電が富士山の湧水によって成り立っていることがわかります。

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