まち歩きで小金井公園へ2023年04月14日 11:30


おなじみの県博物館友の会まち歩きクラブで、4月のはじめ、都立小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」という文化施設を見学、午後は近くの玉川上水(用水)を1時間ほど散歩しました。この公園はかなり広大で、四季の草木・花々が有名なようですが、この日も、満開はやや過ぎながらも風情の残


る多くのサクラやこれから咲き始める春の花、新芽が色づき始めたコナラやクヌギといった武蔵野の雑木林が充分に眺められました。中は広いですが、中に入って少し歩くだけで、この公園に似合うのか似合わないのか、戦前の記念物を移築したという豪華な江戸東京たてもの園の入口が見えてきます。


この「たてもの園」は江戸東京博物館の分館として開園した野外博物館で(その前にも小規模な展示場があったようです)現地保存が不可能な文化的・歴史的価値の高い建造物を移築・復元し、保存・展示することにより、貴重な文化遺産として次代に継承することを目的としています。江戸時代から昭和中期に都内にあった民家、商店、住宅など約30棟の建物がまるでテーマパークのように当時の街並みを再現しています。埼玉県の自治体にも民家園はありますが、ここまでの規模と運営体制はありませんので、大変うらやましい施設です。


建物の数が多いことや家屋内は一度に入れる人数制限があることから、見学は少人数に分散して自由に行うことにしました。赤いボタン桜の並木道風の街路に立つ建物はそれぞれ趣があります。入り口には建築時期やかつての居住者などの説明パネルがあり、大体の概要を知ることができます。また、必ず専任の担当者がいますので自由に質問もでき、建築物の細かい仕様や移築にかかわる経緯などを知ることができます。



今回は22名の団体で、園内見学を午後1時までとしましたので、参加者もとうてい全部を廻ることはできませんでしたが、主な建物をあげると―三井八郎右衞門邸、吉野家(農家)、八王子千人同心組頭の家、前川國男邸、小出邸、デ・ラランデ邸、高橋是清邸、西川家別邸、伊達家の門、小寺醤油店店、鍵屋(居酒屋)、子宝湯、武居三省堂(文具店)、村上精華堂、大和屋本店(乾物屋)―などがあります。いずれも面白そうです。本当に全部見学したら1日では足りないでしょう。また、園内にはうどんの店やカフェもあり、ベンチや休憩所も多数設置されています。広い野外にも石造物、古墳など(これも移設)面白い文化財があります。


 午後は玉川上水(用水)を歩く


午後からはたてもの園に残る参加者とふた手に別れ、公園すぐ隣を流れる玉川上水を散策しました。玉川上水(用水)は江戸時代前期の1653年(承応2年)に多摩川の羽村から江戸・四谷までの建設された用水路で全長42.74キロメートルです。玉川上水はすべて現在の東京都を流れていますが、小平市付近で野火止用水を分流し、新座市の平林寺を経て埼玉県志木市の新河岸川に至る全長約24Kmの用水路となっています。野火止用水は、承応4年(1655年)、徳川幕府老中の松平伊豆守信綱によって開削された用水路ですから、玉川上水開削後すぐに作られていますので玉川用水と一体として計画されたことは明らかです。玉川上水、野火止用水など多くの用水路は飲料水ばかりでなく、武蔵野の農地に水を供給し、江戸初期の新田開発によって、農業生産にも大いに貢献しました。


建設当時、この付近の用水路堤防には桜が植えられ「小金井桜」として知られる名所になっていました。堤を押し固めるという効果があったとされていますが、人々のお祭り気分を盛り上げるのに一役買ったのではないでしょうか。


現代の我々はこの遊歩道上を、三鷹浄水場付近のJR武蔵境駅に向かう道まで約1時間、サクラと春の花々を眺めながら歩きました。優雅な散歩ではありますが、気になったのは、遊歩道中盤の用水の管理状況です。篠竹などのうるさい藪が川を覆って水面などまったく見えません。三鷹に近づく頃はモミジなどの植栽も増えてよい感じになってきましたが、市民の関心の度合いが違うような気がしました。

「Kindle」で読む吉川英治2023年04月25日 13:49


作家・吉川英治は、戦前から戦後までの長期間にわたり『宮本武蔵』や『新書太閤記』『三国志』など、大衆小説の歴史的古典といっていい多くの作品を生み出してきましたが、現在その作品の多くは非常に安価に購入し読むことができます。吉川英治は 1962年〈昭和37年〉に亡くなっていますので、2012年(死後50年)に全著作物の著作権が切れています。その後、青空文庫などの活動により作品の多くがパブリックドメインの形で公開されるようになったためです。なお、その後の2016年にTPP条約締結に基づく法律整備で著作権の保護期間は作者の死後70年にまで延長されていますが、その前に適用された作品は除外されるのであやういところでした(私見ですが、この著作権の延長が本当に文化の振興になるのかどうかあやしいものだと思います)。


さて、私は高齢になるにつれ、知力・視力が衰えさらに緑内障ですから左目で文字を読むのが不可能という情けない事態に陥っておりますので、仕事や趣味の活動でやむを得ない場合以外は細かい文字は見ないことにしていて、もっぱらBSテレビのドラマやドキュメンタリ番組、パソコンを相手にして「YOUTUBE番組」を楽しむという情報生活をおくっています。しかし、小学生のころから読書が趣味であり情報収集のツールでもありましたので、活字の世界を離れるのは何とも悲しく寂しい。そこでもう相当前に購入していたAmzonの読書端末「 Kindle」を思い出し、昨年から、この吉川英治の小説を安価にダウンロードして読んでおります


この「Amazon Kindle」は、2007年に最初の機種が発売され新時代の電子書籍としてかなり注目を集めたデバイスでして、私は多分第2世代機を購入していますから、2010年くらいでしょうか、その頃、何日か入院した時にこれで『宮本武蔵』を読んでいたことを思い出しました。その後のインターネット、スマホの台頭の中で、このことはすっかり忘れていたんですが、ベッドの上で「YOUTUBE」が見たいので適当な機器を探していると「Kindle Fire」というのが一番安いという噂をきき、購入しました。確かに、1万2000円くらいでインターネットがつながり、Radikoなどの一部アプリも使えます。やっていませんがメール接続機能もありますから、WIFIが使える環境であれば役に立ちそうです。さて、到着したこのデバイスで最初に個人認証を行うと「あなたの2台目のKindleです」という案内が出ました。


ここで、すっかり忘れていたKindleを探し出し、電源を探し出して充電してみると、復活、昔の機種なのでカラー画面ではありませんが、読書には最適なペーパーホワイトの画面が現れました。私のアカウントは無事に保存されていたわけです。13年前のパソコンなんてもうありませんが、このへんはクラウドの良さで、設定もそのまま保存されていました。ちなみに新しいFIREはカラー液晶ディスプレイですが読書には向きません。やはりペーパーホワイト画面のほうが目に優しくいいようです。


これで何を読むかですが、費用をかけずに面白いものと考えれば必然的に、上記の著作権切れの作家の作品となります。幸いなことに18世紀から20世紀初頭には日本に限らず数多くの巨匠と呼ばれるにふさわしい大作家が輩出しています。漱石、鷗外、芥川などの有名どころから南方熊楠、寺田寅彦、中島敦などなど。あまり難解な作品を読む根気と視力を失っておりますので、ここはまたしても吉川英治となった次第。中国の史書『三国志』は今なお人気が衰えずにいますが私は読んだことがないのもで、これをまずは99円でダウンロードして読み始めました。吉川英治の小説は、通俗文学だの娯楽小説だのと揶揄されますが、その文章力と表現の巧みさは驚くほどで、確か戦前に新聞連載が始まっていたと思いますが、古さや文学的破綻はほとんど感じさせません。短いエピソードの連続で読者を飽きさせることがなく、当時、人気があったというのもわかります。テレビのない時代の連続アクションドラマみたいに感じでしょうかね。


そして、次に読み始めている『私本太平記』は晩年の大作らしく、余裕をもって古典を自分なりに解釈してみせる作品で、ストーリーの途中に作者が自由に表れて解説を始めるという、まさに古典文学の良き時代を感じさせる読み物になっています。あいかわらず話の運びはうまいです。(吉川先生に尊敬をこめて)こんなものを読んでゆっくりした時間を持てるのも人生のひとつの幸福だと、この年齢になって感じるようになりました。


先日、栃木県の足利市に行く、行道山という山に登ったついでに、駅の近くにある「足利市旧宅」によって来ました。堀にか囲まれた中世の豪族屋敷の区画がそのまま残り、今は氏寺だった鑁阿寺(ばんなじ)の敷地になっていますが、この鑁阿寺が、上記『太平記』の冒頭に登場します。そのことを書こうと思っていたら、別の記事になってしまいました。


足利市にある行道山・両崖山2023年04月30日 18:42

前の記事で書きましたように4月の下旬に栃木県・足利市にある行道山・両崖山に登り、下山後には歴史の旅も楽しみました。足利市は皇海山を主峰とする足尾山地が関東平野まで南北に突き出た先端にあります。背骨のような山稜に囲まれた平地には渡良瀬川などいくつもの川が流れ海岸線のように入り組んでみえる山と川の街です。われわれは東武足利駅からバスに乗り行道山の麓に到着。いたるところに「浄因寺」への目印がありさながら参道の雰囲気です。説明版によれば「関東の高野山」と呼ばれかなり繁栄した禅宗の寺院のようですが、現在は無住だそうで時代の虚しさを感じます。


低い山並みながら日光・足尾山地から続くこの山々は「秩父帯」と呼ばれる相当に古い火成岩・堆積岩で成り立っている岩稜地帯なのだそうで、登山道にもいかにも硬そうな岩石が連続しています。少し進むと断崖絶壁の上に立派な木橋がかかり、見上げる巨岩の上には静かに立つお堂がありました。これは清心亭といってこの山の名所だったようです。かの葛飾北斎が『足利行道山雲のかけ橋』という浮世絵に描いているそうですから当時の人気がわかります。この上から展望や反対側にそそり立つ絶壁の趣もかなりいいように思いますが、残念なことに、現在は立入禁止となっています。災害のためと思いますが、せっかくの絶景地なので、なんとか修復してもらいたいものですが、どうも今では参詣客が少ないようです。


ここから本格的なコースになります。アカマツやスギもありますが、ブナ科の広葉樹が主体のようで、新緑がすばらしいです。冬場の展望も人気というのがわかります。この登山道は「関東ふれあいの道」に指定されています。確かに、険しくはありませんが、けっこう続く石段とアップダウンのある尾根道はなかなかに登りがいがあります。寝釈迦など石仏も多く、飽きさせません。市民の山ということで、随所に休憩用の立派なベンチが置かれ、さらに展望のいい場所には広々としたテラスまで設置されています。トイレも数カ所あります。途中、随所に出てくる岩壁や大岩その中に隠れるような立派な毘沙門で有名な天最勝寺を超え、足利城址に設置された足利の街を一望する展望台を経て、両崖山に至り、縦走すること約5時間、満開のツツジにあふれた公園に続く最終地点の織姫神社に到着。ここは「恋人の聖地」とかで、もう平地なので大人気のようでした。



足利氏の拠点は今や「足利氏旧宅」という観光地になっていて、中世の豪族屋敷をしのばせる周囲の石垣と堀さらに立派な門があります。中に残っているのは小説にも出てくる鑁阿寺だけですが、有名な銀杏の大木がそびえています。屋敷のそのすぐ隣にはこれも観光地の「足利学校」が残されています。ここは足利観光の目玉でこの日も観光客でにぎわっていました。駅に歩く途中の路地で「尊氏くん」の色鮮やかなノボリが風に揺れていました。歴史に残るこの複雑な人物も今や明るいイメージキャラクターなんですね。