槍ヶ岳に登る2019年08月15日 18:35


その鋭く切り立った山頂の姿から「槍ヶ岳」と呼ばれる山は日本中にいくつかありますが、何といっても、その本家は北アルプスにある3180メートルの高峰です。この槍ヶ岳に登ることは最近数年の私のひとつの目標になっていたのですが、この8月初旬、おなじみの地元の山の会の山行で、念願のこの槍ヶ岳登頂に成功し、穂先と呼ばれる尖った山頂にも登ることができました。

この山行の経緯は、別のブログに掲載しましたので、時間がありましたらお読みください。(https://00418964.at.webry.info/201908/article_1.html

槍ヶ岳について書かれた山の体験記などを読むと、特に、手足を使って登らなければならない穂先について、最近は、「みかけよりはやさしい」「中級レベル」というような意見がけっこう目につきます。たしかに、目の前に現れる100メートルのほとんど垂直の大岩壁はとても攻略できそうにありませんが、近づくと、いたるところにクサリや鉄の梯子がかかっていて、ある程度の岩登りを経験したひとなら、すごく難しいということはないようです。事実、私の実感もそうでした。

ただし、それは「クサリや鉄の梯子がかかっている」ためで、その基本ルートから外れれば危険な岩場であることにかわりはありませんし、頂上付近から下を見れば、高所に弱い人は足がすくむという感じになりそうです。事実、下りの階段に手をかけながらなかなか一歩を踏む出せないひとの姿もありました。なお、これは登山道全般のようですが、名山と呼ばれる山の厳しい登攀地点に、これは親切のためでしょうが、多くの補助的なクサリなどが増設されて(何もなかった往時に比べて)比較的、登山が容易になっていることも事実のようです。

別に山男でもない私が槍ヶ岳に登ったからどうこうありませんし、次にもっと難しい山を目指す気もありません。実は「穂先」よりも、山頂目前の急傾斜のほうがよほどきつかった。70歳を目前にして、自分の体力のひとつの目安がわかったという安心感があります。

念願だった、北アルプスの氷河地形とその痕跡を、実際に目で見て、歩けたことも喜びでした。

千駄ヶ谷の新旧文化2019年08月21日 17:05


10月開催予定のまち歩きの会で「東京の富士塚」を廻る企画があり、ちょうど都内に出る機会があったので、その中のひとつである『千駄ヶ谷の富士塚』に寄ってみました。場所はJR千駄ヶ谷駅から5分ほど、神宮外苑の一郭といっていい場所にあります。したがって東京都体育館が目の前にありますが、そのもうひとつ隣には現在も建設中の新国立競技場―いわゆるオリンピックスタジアムがあります。

一方は寛政元年(1789年)の都内でももっとも古いと思われる富士塚、一方は最新の建築技術で造られつつある巨大建築物。この2つの新旧構造物が一緒に見学できる面白い場所になっています。

千駄ヶ谷には「谷」とついていますが、元は“千駄の茅(せんだのかや)”の意味で、この土地が、湿地帯で萱が生えていたような場所であることを示しています。渋谷川の水源のひとつでもあったようで(隣の新宿御苑なども一緒か?)都内の中の高地です。当然、江戸時代にはかなり眺めがよく、富士山も美しく見えたに違いありません。そこに神社や富士塚がつくられるのは当然かもしれません。

さて、駅からほどなく、入り組んだ小路のあちこちにカフェや小さなレストランの点在するにぎやかな場所に位置する八幡神社に出ます。鳥居をくぐると、すぐに現れる富士塚、そして、その隣にあり塚の土台を掘り出した跡といわれる葦の茂った小さな池の醸し出す雰囲気はなかなかのものです。この富士塚は関東大震災時の復旧を除いてほぼ江戸時代の原型を保っているとされ、そのため、東京都の有形文化財になっています。柵やロープで囲まれることもなく自由に登山し頂上への参拝もできます。多分、新年や山開きなどの行事以外には訪れる人はそう多くはないのでしょう。

この神社を出てすぐ前の坂道通りをそのまま下ると、数分で建設中の新国立競技場が出現します。いろいろと悶着があった末に日本人建築家によるデザインで造られることになったのが3年前のことです。現在、外装もほぼ完成、内装や周辺の整備が行われているようで、周囲の工事用フェンスはまだ外されていませんが、その概要は十分見ることができます。

特長の丸く張り出した屋根と3段の木目調のテラスに配置された植栽の緑があざやかで、この建物の大きな特徴であることはひとめでわかります。この植栽のおかげなのか、見ていても、巨大な建築物の威圧感はあまり感じません。なかなかいいデザインかなというのが私の感想です。

このスタジアムを訪れたひとのうち、何人かは、八幡神社の富士塚も参拝するでしょう。日本の江戸文化の一端も理解してほしいものです。

「青春18きっぷ」で清里へ2019年08月27日 20:18


八ヶ岳や南アルプスが一望できる清里は今でも避暑地として人気がありますが、ここを走るJR小海線は日本で一番高い場所を走ることで有名です。小海線で、清里駅から隣の野辺山駅までの間に最高地点があり、駅としては野辺山駅が最高地(1346メートル)です。

清里から行ける山としてはなんといっても八ヶ岳なのですが、その小海線を挟んで反対側にはは飯盛山(めしもりやま)、平沢山というゆるやかな山頂をもつのどかな山があり、ここを縦走するハイキンググコースを、当初予想より天候の回復したこの土曜日に歩いてきました。飯盛山の標高は1643メートルですから、数字だけをみると(関東近辺なら)それなりの山になるわけですが、そもそも出発点の駅の標高が1300メートル前後ですからほとんど登山というほどのことはありません。それでも、それなりの運動量にはなります。

飯盛山には樹木がありません。以前は牧場だったようです。名前の通り、山盛りのご飯のような丸い山容で、展望が売り物だけあって、広い頂上に立つと八ヶ岳の巨大な山塊が驚ほど間近に迫ってきます。赤岳、横岳、権現岳やその間のキレットなど、見るだけで、険しい岩場が想像できますし、静かに座って、ここで起きたはるか昔の大噴火を想像すると雄大な気持ちにもなります。そして、小海線の走る谷間まで、下降する曲線を描いて伸びる裾野が気持ちの良いほど長く続いています。目を少し左に転ずると、遠く南アルプスの峰々がかすんでいます。反対側にはいつもながら形のいい富士山。

途中に平沢山を通過して、最後は野辺山駅まで歩きます。この日は参加者8人で、「青春18きっぷ」という、5枚セットの割引乗車券を使ってきたため、ここからも全員一緒にその切符で乗車。小淵沢駅経由で埼玉県まで帰りました。

下町の富士塚2019年08月30日 13:54


先日の千駄ヶ谷富士塚に続き、「江古田富士」、「下谷坂本富士」、「東京富士塚(十条富士)」の3箇所を回ってきました。東京富士塚(十条富士)は塚自体が富士神社ということになっているようですが、他の3つは、神社の中に保存され、大事に守られているようでした。

このうち、下谷坂本富士だけは武蔵野台地の外側、いわゆる下町にあります。すぐ西側には寛永寺を中心とした上野の山があり、かなりの標高があると思われますが、塚の上からは、それを超えて本物の富士山が臨めたのでしょう。

「富士講の一派入谷東(山東)講によって文政11年(1828)、小野照崎神社の境内に築造されたもので、高さ約5㍍、直径約16㍍、塚全体を富士の熔岩でおおっている。塚の上の登山道に合目石を建て、一合目の岩屋に役行者像、五合目付近に富士講の祖と崇められる藤原角行(1646年没)の像をまつる石祠を置く」(文化遺産オンラインより)

江戸時代の富士塚の形式をよく保存していることから国の重要有形民俗文化財に指定されています。