湧水と浄水2019年07月06日 14:27


北海道の利尻島登山のとき、3合目のキャンプ場になっている登山口から500メートルほど入った場所に甘露泉(かんろせん)という清水が湧いている場所があります。小さな谷川の一角から地下水が溢れ出ているだけなのですが、登山道の一部にあるので多くの登山者がここから自分の水筒にこの水を汲んでいきます。利尻山は古い火山ですから、本州の富士山と同じように、山頂や中腹に降った雨雪が地下にしみこみ、この甘露泉のような豊富な湧水を山麓にもたらしているのだと思います。(上の写真)

この甘露泉は利尻島の名所であり観光資源でもあるようで、ガイドブックにも場所が示されていますし、近くにある利尻温泉ではこの水が(運んでくるのでしょう)飲めるそうです。登山者でも、山中のこうした清水を飲まない人もいますが、私はあまり気にせず飲んでいます。川(沢)の水と違って地下から直接湧き出ている水は天然の濾過装置をくぐっているわけですから健康には問題ないと考えていいでしょう。考えてみれば「安全な水」として販売されているペットボトルの水も、もとは天然水。ということはどこかの地下から湧き出た湧水のはずです。

ペットボトルの水が安心といいましたが、実は、安全という意味では、われわれが日常に使っている水道水(上水道から供給されている有料の水)こそ、殺菌・消毒され検査もされた安心な水のはずです。ただ、そこには消毒のための塩素などが入っていますし、川の水に起因する異臭もないとはいえません。そこで現代人は、これを嫌い、わざわざ遠くから運んできた水をビン詰にして購入するということになっています。

私の家でも、家族がボトル入りの水を購入していました。これは購入・移動時の持ち運びが大変なのですが、量販店には常に大量の在庫がありますから、一定の需要があるのでしょう。ところが、つい最近、異音がするということが原因で、キッチンの水道の蛇口を交換することになり、ついでに浄水機能付の製品にすることなりました。蛇口のなかに円筒状の濾過機能をもつカートリッジがあり、水道水がここを通過するときに「浄化」されるというわけです。通常の水道水(源水と表示)と、濾過された水(浄水と表記)は切り替えができます。もちろん、濾過カートリッジは定期的に交換することになります。

私はこれまでも水道水で問題ないという考えでいたのですが、導入後は、外出の際には「浄水」を携帯ボトルに詰めて持ち歩きます。ペットボトル入りの水を買う機会はほぼなくなりました。

文書館とは?2019年07月13日 16:23


浦和駅から西に向かい旧中山道を越え、さらに10分くらい歩くと埼玉県庁に到着します。そこを横目に通り抜けると国道17号線に出ますが、その向側にあるレンガ調の色彩の建物が埼玉県立文書館です。「もんじょかん」と読みます。普通、江戸時代以前の書類を「もんじょ」、それ以後は「ぶんしょ」となりますが、埼玉県の場合は「もんじょかん」、いっぽう、国立公文書館は「ぶんしょかん」です。

この施設を訪ねる人はそう多くないと思います。図書館のように、読んだり見たりすることを前提とした資料が置かれているわけではなく、ようするに、文化的あるいは政治行政的な価値がある文書や図面や写真を保存したり研究したりする施設だからです。ただし、そうした資料や写真類を研究・調査のために使いたいひとは多いわけで、そうした目的でここを訪問するひとにはおなじみの場所なんでしょうね。

実は、私はこの文書館にいったことがありませんでした。先日、博物館友の会の一行とともにここを見学する機会があり、はじめて訪問しましたが、開催中の企画展は意外に(!)面白く、また写真などの資料類の閲覧の方法もわかりましたので、今後も機会があればいってみたいと思った次第。JR武蔵野線の武蔵浦和駅から17号線をまっすぐいけば1時間かからずに到着します。

文書館を訪問した一行は、まず、文書館の加藤学芸主幹から、今年で50周年というこの埼玉県立文書館の歴史と活動内容さらに今年4月に終わったリニューアルのポイントについて説明を受けました。1日10~15人の利用者があるそうですが、その他に行政に携わるひとの訪問も多いようです。この日の参加者にはすでに文書館を利用している人や今後活用したいという希望者も多く、古文書や地図の実際の検索や閲覧の方法について具体的な質問がありました。また、その他の活動としては古文書講座はいつも定員オーバーの人気だそうです。

この文書館には歴史的文化財である多くの記録(古文書から近年の文書まで)や絵図、地図、写真が保存されていますが、その中のいくつかを展示し解説するための展示室は今回のリニューアルで充実したということです。

そのため、1年間かけて4つの企画展が予定されており、この日は最初の展示『埼玉の“ふみくら”』が開催されていました。文書はどうしても平面的にしかならないので、視覚的に工夫し、興味深い展示になるようにしてあるようで、そのいくつかを説明していただきました(上の写真)。江戸城・天守閣の絵図面や大塩平八郎の手配書、黒く色を変えられた朱印状や異国人が描かれた文書など、県内各地に保存されていた文書を見ながら江戸から明治への時代の変遷がわかる大変面白い展示になっています。来年5月まで今後4回の企画も楽しみになってきました。

川苔山の滝2019年07月19日 18:59


梅雨の晴間をぬって奥多摩の川苔山へ山仲間と2人で出かけました。青梅線の終点、奥多摩駅からバスで「川乗橋」へ向かいます。この山は気持ちのよい渓流をながめながら多摩川の渓谷を遡っていくのが人気の山なのですが、今年の長梅雨ですし、この日も早朝には雨が降っていましたから、バス停で降りたのはわれわれの他には単独行の男性2人だけでした。

歩いていくうちに次第に晴れてきましたが、登山道は濡れています。いくつもの滝や沢を越えて名所の百尋の滝に到着。轟音を立てて流れているのですが、私はどうしても最初に訪れた際の感動を思い出してしまいます。ここから急坂になります。滑らないように注意して約3時間、山頂に到着しました。

途中から日差しが出てきたといいましたが、するとたちまち蒸し暑くなるのは仕方ありません。これからの登山は暑さとの戦いです。

梅雨明けでしょうか?2019年07月24日 13:45


今年もようやく梅雨が明けそうです。いくら雨期とはいえ7月の天候が不順でしたから、暑い夏の到来を歓迎といいたいところですが、今度は9月くらいまで散歩ができません。最近は家でのスクワットと2時間ほどの散歩を交互に実践しているのですが、またスポーツジムに通うことになるのでしょうか。

このブログの中で、ほんの少しですが、浄土教のことやその開祖といわれる法然について書いたことがあります。仏教あるいは仏像についてならもう少しあると思います。宗教のブログではありませんから仏像は趣味のひとつとして考えていただければ幸いです。また、『平家物語』など日本中世の古典を楽しむためには鎌倉仏教の知識が必要になるという面もあります。

季節とは無関係なのですが、ちょうど梅雨の始まる5月頃から丹羽文雄の小説『親鸞』を読み始め、ひと月かかってようやく読み終わりました。2段組みの上中下の3巻というかなりのボリュームですが、それよりも、確かに「小説的」なストーリー展開の場面はいいとして、問題なのは、いわゆる親鸞の人間的な生涯とは別に、浄土教をはじめ仏教(ばかりでなく時にキリスト教)の教義や作者(丹羽文雄)の解釈がけっこうな分量で展開されることです。浄土教などの内容がそのまま引用されている部分も少なくありません。

そういう解釈困難な部分は飛ばしてしまうことで、なんとか読了はしましたが、疲れました。「あとがき」によれば丹羽文雄は浄土真宗の寺に生まれ、自身も僧侶であるようです。大衆小説の大家としてさまざまなベストセラーを生み出していきますが、人生の後半にいたって親鸞に対しての思い入れが強くなってきたようで、この小説の他にも親鸞についてのいくつかの著作を発表しています。

難解なことで定評のある『歎異抄』などは(世界観が変わっていますから)500年後のわれわれが本当に理解するのは多分無理でしょう。また、そのためには、この鎌倉期初期に起こった文化の転換点(加藤周一氏による)に発生した浄土教自体の理解が必要となればなおさらです。『平家物語』の愛好者としては、こうした宗教思想も理解しなくてはならないのでしょうか。時間だけはあるのでゆっくり考えたいと思います。

(上の写真は、自宅近くの雑木林の中のヤマユリの花です。斜面の夏草に埋もれるように咲いていました。ただし、撮影者は私でなく、あさか環境市民会議のAさんです)