出羽三山の旅(3) ― 2021年10月01日 16:51
3日目はいよいよ羽黒山です。午前7時過ぎ、昨日と同じコースをたどる定期バスに乗り、途中の<荒沢寺・ビジターセンター前>で下車します。
羽黒古道を歩く 1
多くの観光客が降りる随神門で下車しないでここまで来るのは前回触れた岩鼻通明氏著の『出羽三山』で、ここからの古道歩きコースが「おすすめ」されているためです。このおすすめ古道は、かつて羽黒山の奥の院とされた荒沢寺のすぐ前から羽黒山頂まで続いているのですが、振り返ると、道は反対側の月山方面にも伸びています。今の登山地図でもこの道は掲載されていますので見てみると、羽黒山の山頂から荒沢寺を通って月山半合目(0.5合目)まで続く「東北自然歩道」の一部であることがわかります。この自然歩道はそこから舗装道路(いわば自動車道路)になりますが、8合目からはまた復活します。これが昨日登った月山登山路です。以前は羽黒山からの、足元のこの道が参拝者が一日かけて月山に登るルートだったわけです。ちなみに江戸時代この荒沢寺から先は女人禁制でした。
季節ごとの峯入りなど羽黒山の宗教行事にはこの道が使われると思われますが、確かにそれにふさわしく、道の両脇には杉の巨木が聳え、昼なお暗い荘厳な雰囲気を漂わせています。左右の見渡す限りの羽黒山の深い森も月山と同様にスギとブナなどの多様な木々と豊かな下生えの中、月山竹とよばれる大きな笹も目立ちます。途中、大きな古い建物に遭遇しましたが、これは峰中籠堂とよばれる宿泊施設で峯入りなどの行事に使われるためのものらしいです。ゆっくり坂を登ること約30分で羽黒神社のある頂上に到着します。「東北自然歩道 修験道の道」の石碑が建っていました(上の写真)。
羽黒古道を歩く 2
古道はもうひとつあり、実はここを歩くのが私の楽しみでした。古くから信仰と修行の場であった羽黒山に登るルートとして今では日本海沿いの鶴岡方面から随神門をくぐり石段の参道をのぼるのが一般的ですが、もうひとつ仙台や山形市さらには関東・江戸からのルートとして、最上川を下って川港である清川で下船して東北側から羽黒山に向かう道がありました。月山から流れ出る立谷沢川に沿ったルートで行きつく鉢子という集落からこの古登山道は始まっています。『奥の細道』の旅での芭蕉などもおそらくこのルートをたどって羽黒山方面に向かったと思われます。古くは源義経一行の平泉落ちにさいしても弁慶がこの道をくだったとの伝承記録があります。この登山道の存在を知ったことがそもそも今回の旅の計画の出発点っでした。
頂上から逆に下りることになりますので、その道を探していると、廃仏毀釈を免れた仏像を納めた千仏堂のすぐ裏がルートの開始地点(終了地点?)のようです。たまたまそこに白い装束をつけた神社のひとがいましたので、この古登山道のことを聞いてみると「そういう道はありません」というつれない返事です。「地図(昭文社の山と高原地図)にも出ていますよ」と再度確認すると「実はあまりお勧めしていません」ということ。しかも「途中の舗装道路で終わってしまいますよ」というのですが、責任をもって動きますからということで、山道を下りはじめます。確かに最初はあるかなしかの心細い山道なのですが、すぐにしっかりした登山道になり、ひとが通っている道であることが確認できました。
15分ほど進むと神社の人のいう通り舗装道路で途切れています。しかし見れば明らかにその先にも道は続いています。林の中のその道は古道とは思えないほどしっかりしています。さらに30分ほど進むと、送電線の鉄塔が建っている開けた草原にでました。地図に「見晴らしの丘」と書いてある場所でしょう。簡単なベンチもあり、庄内平野が一望できます。ところがここからの道が問題でした。確かに道筋はついていて迷うことはないのですが、多分、ここ1~2年、ほとんど人が歩いていないのでしょう。ススキやシダなどの丈の高い草が茂り、ポールで払いながら進む状態になりました。その先には湿地もあり、木道が敷かれていますが、やや不安定な箇所もあります。草地を抜けると庄内平野と反対側の斜面に出て、これは麓の鉢子集落を臨んでいるようです。やがて林の中に入るとまた道はしっかりしてきます。人が通らないためか、一か所、熟した山栗の実がたくさん落ちているところがありました。見ている最中にも実が落下してきます。自然に飛び出たきれいな実だけを集めましたが、80個くらいは集められました。思わぬお土産です。
最後は農地も現れ、集落の農道のような感じになりましたが、約1時間30分で、古道の入り口にでました。「羽黒山登山道」という古い大きな標識があり=写真=、その先には真新しいパネルも設置されていますから、先ほどの神社の人の対応が不思議です。実は、この古登山道の地元である山形県庄内町では、地域の観光振興のためにこの道をPRしています。ホームページには「羽黒古道―いにしへへと誘う歴史街道」という以下のような記述があります
[こちら]。
<一部引用>
立谷沢川流域は、江戸時代まで出羽三山詣りの表参道として賑わいました。参詣者は、奈良時代から最上川舟運の水駅として栄えた清川で舟を下り、羽黒古道をたどって、はじめの参詣地である羽黒山へ登りました。/義経記には、源義経が平泉へ逃避行する際、弁慶は羽黒山からこの古道を下り、清川の御諸皇子神社で義経一行と合流し一夜を明かしたと記されています。 地域の仲間たちが復活させた羽黒古道では、蜂子皇子ゆかりの史跡やマンサクといった山野草木に触れながら、登ることができます。
<引用ここまで>
この立谷沢川ルートの出発点となっているのは<鉢子>という集落ですが、出羽三山の開祖として知られ、修験道を広めたとされる<蜂子皇子>と関係があるのでしょうか。また、ホームページには、一時廃道になっていたこの古道を地元の有志の方々が復活して歩けるようになったことも書かれています。この模様は、同町制作の動画『羽黒古道を復元する』[こちら]で紹介されています。復元させたのは「羽黒山修験道を守る会」のメンバー。子供時代を思い出しながら、自分たちの楽しみとして道を開いていったそうです。
休む間もなく登山道を昇り返しましたが、標高差は300メートルもないと思われ、登山道としては物足りません。信仰の想いが薄れてしまった現代でこの道が顧みられないのは仕方ないことかもしれません。
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