やんばるの森と軽石の海 ― 2021年11月16日 13:16
予定外でしたが沖縄に旅行することになり、本島北部・国頭村(くにがみそん)のやんばる国立公園に近い森の中を歩いてきました。もともと佐渡旅行の予定を立てていたのですが、数日前になっても日程の3日間がすべて雨、それもかなりの風を伴う嵐という予報が消えず、やむなく違約金を払ってキャンセルしました。かわりに、キャンセル費用を除いた金額で行ける、晴れ予報の旅行先を探していたら、なんと沖縄のリゾート地行きが見つかったという次第です。
沖縄の亜熱帯の森―いわゆる「やんばるの森」はあこがれの場所でしたが、ハブのいる地域だけにひとりで気軽に歩けるところではなく、それなりの準備をしたツアーでないと無理だと思っていたのですが、もちろん、一般旅行者が行ける範囲ですから限られてはいるでしょうが、その一端を体験することができる機会が得られる、それも格安の企画がみつかり、ちょっとラッキーな感じでした。
格安なのはもちろん格安航空会社いわゆるLCCを使うからで、そのかわり申し込んだらキャンセルはできません。したがって天候が確定する3~4日前に急いで申し込みますのでやりとりはほとんど電子メールなどのネットです。航空券予約番号もスマホの画面です。ただ、LCCはほとんど成田の早朝出発のようで、これだけは大手の羽田便に変えましたので「超格安」とはいきませんでした。それでも不思議なほどの価格です。
やんばるの森
「やんばるの森」とは沖縄本島北部の亜熱帯の森林地帯のことを指します。この地域は国立公園になっていますが、今年になって奄美諸島や西表島と一緒に世界自然遺産に登録されたことであらためてその貴重性がクローズアップされるようになりました。今回訪問したリゾート施設ではこの「やんばるの森」をガイドと一緒に歩くというエコツーリズム企画に申し込めますので、2日目の予定に入れて楽しみにしていました。
コースは2つあり、ひとつは、約3時間で森の中をトレッキングして25メートルの落差があるという滝を目指すという本格的なもの。もうひとつは約1時間半で自然保全地域をまわって動植物を観察するというものです。私は3時間のほうに行きたかったのですが家族が難色を示したので、後者に決定。2日目の午後、海岸で待ち合わせて、用意してくれた乗用車に乗り込みました。なんと参加者はわれわれ2人だけ、ガイドは若い男性でしたが、研修中というもうひとりの青年も加わったのでこれも2名。なんとも豪華なツアーです。
森の中といっても実際は「森林公園」で、もちろん、既定のコース以外は自然のままなのですが、歩道脇には整備された休憩ブースもあり、階段などはありますが小学生でも十分回れる環境になっています。エコツアーとはいえ、一般観光客向けのサービスですからこれは当然でしょうね。とはいえ、柵で区切られた歩道の一歩外側は、林内が見えないくらいに植物が繁茂した急傾斜地がほとんどで、おまけにいたるところに「ハブに注意!」の立て札が立っているので、ちょっと緊張します。ガイドさんから説明を受けて知ったたことでちょっと意外だったのは、このやんばるの森が、大戦終了後の復興時に6割以上樹木が伐採されてしまい、その後の成長を経ていまのような豊かな森になっていることです(森の中には炭焼窯の跡もかなり残っているようです)。また、森を構成する樹木の大部分がスダジイやウロジロガシなどの、わりと本州でもおなじみの樹木種であること。動物種については離島という特性から哺乳類が少なく、ネズミとコウモリそれに小型のイノシシくらいしか生息していないようです。そのためにヤンバルクイナなど飛べない鳥も生き延びられたのでしょう。
これも森の成立と関係すると思いますが、大木はあまりなく、切株から数本の若い木が成長しているような独特の構成も多です。これは関東地方の里山の状況と似ていますが、違うのは落葉樹がほとんどなく秋の風物詩である紅葉・黄葉や落ち葉がありません。森全体が暗く黒みを帯びた感じです。ただし、沢沿いの湿地帯には、数多くのシダ植物が茂る、ヘゴのような木性シダや巨大な葉をつけたイモ科の植物など亜熱帯を感じさせる景観がみられます(上の写真)。見かけた生物は溜池でのトンボ類に水中のイモリとオオバンくらいなものですが、楽しい体験ができました。
海に漂う軽石
今回、沖縄にくるとは思っていなかったのですが、小笠原海底火山からはるばる沖縄の海岸に漂流してきている軽石のことは報道などで気になっていました。那覇空港から送迎バスで北部にあるホテルに向かう途中、名護市付近の海岸にはそれらしきものは見当たらなかったのですが、途中の本部半島付近から海岸線を通る国道を通過した際に何カ所かの海岸や沖合の海に著色い塊が浮かんでいるのが確認できました。ライトグリーンの海の中を波に乗ってただよっている軽石がはっきり目につき、さらに磯の岩場や砂浜の上に漂着してゴミのように付着している軽石もはっきりわかります。ちょっとひどいなというのが第一印象でした。
到着した奥間海岸のプライベートビーチには真っ白な砂が敷き詰められているのですが、ここには軽石はほとんど見当たりませんでした。しかし、翌日、自転車に乗って海岸線を走り、隣の奥間漁港付近に出ると、波にただよう軽石が目につき、特に海に突き出た防波堤の横は海流が停滞するのか、砂浜に数十メートルにわたり軽石が打ち上げられ、さらに波に乗って新たな石が吹き寄せられていました(上の写真、下は手にとったところ)。地元の人の話では、軽石は海流の関係で増えたり減ったりしているようですが、ここにきての季節要因の北風もあって内湾に入り込んだ軽石はなかなか出ていくことはないようで、その除去は大変な作業のようです。地元のテレビニュースでも毎回このことを放映しています。直近の問題としては漁船が出せないなどの漁業被害が大きいと思いますが、最終的には沖縄経済の大きな柱である観光業への影響などが懸念されます。すでに実害が出ていると思いますが、今後、コロナ禍からの立ち直りの中で来春以降の旅行需要がどうなるか、地元の方は心配しているようです。
基本的には自然現象なのですが、小笠原沖の海底火山は今も新しい島を形成するほどの活発な活動を続けていますので、今後、この軽石のような火山性の噴出物による海洋汚染が続き、これは沖縄に限りません。さらに、日本は火山の国ですから、富士山や浅間山などの噴火がいつ起こるかわかりません。これはある意味で地震より深刻な被害を引き起こすと思われます。登山をしている時、山は壮大で美しい存在と感じますが、このような面を持つ大自然だということを忘れてはいけないと思います。
ガジュマルの大木
旅行中、何カ所かでガジュマルの樹を見ましたが、一番みごとだったのは糸満市の「ひめゆりの塔」のすぐ近くにある樹でした。ガジュマルの名の由来は垂れ下がった気根や幹の「絡まる」姿からきたという説があるらしいです。直径数メートルの非常に大きさな姿で樹齢も相当のものでしょう。近くにあるひめゆりの学徒や兵隊が逃げ込んだ沖縄陸軍病院第三外科豪での悲劇も見ていたことになります。
寄居の小さな山城 ― 2021年11月21日 09:30
私が子供のころはなかったのですが、11月14日は埼玉県民の日になっています。明治初年に行政上の「埼玉県」が誕生した日だということです。この日に合わせて(埼玉県内に限りますが)私鉄の割引切符が発売されますので、地元の山の会でもそれに協力(便乗)して東武東上線で一番遠い寄居駅まで行って近在の山を歩くという企画を毎年やっています。今年は陣見山という低山の典型のような山が目標ですが、その途中に、虎ケ丘城(円良田城ともいいます。円良田は地名)という山城があり、縦走コースの途中であり、休憩施設もありますので、いつも立ち寄ります。
当日、目的の陣見山は頂上に大きな鉄塔が立っていて自由な場所は非常に狭いので写真だけ撮って早々に休憩予定の虎ケ丘城址に向かいます。稜線歩きのアップダウンで大槻峠を経てやや行くと、行く手の尾根にはっきりわかる深い切れ目が現れました(上の写真)。これは山城の防御用につくられた空堀に間違いなく、虎ケ丘城址到着です。
虎ケ丘城には地元の美里町の造ったパネルが設置してあり、不明な点が多いとしながらも、鉢形城への食糧供給を担当したことや天正18年(1590年)の豊臣の鉢形城攻撃の際に真田昌幸の軍に攻められ20日間の戦いの末落城したいう情報がけっこう詳しく書かれています。説明にもあるように、この付近には、やや東の鐘撞堂山とその尾根続きに猪俣城、麓の街道沿いには花園城さらに他にも本城である鉢形城の枝城がたくさんあります。中世の寄居が軍事上あるいは経済上の重要な場所であったことを示しています。
ただし、ここで出てくる猪俣城も登山コースからは外れていて、道もなく通常では行けません。またかなりの部分がゴルフ場に浸食されているようで、とても文化財とは呼べません。花園城は少し前に行ったことがありますが、標識の立つ本廓はもちろん、途中の堀も繁茂した草木でほとんど歩けない状態でした。
虎ケ丘城に話をもどすと、城域内の微高地からは東北側の見晴らしがよく、赤城山や日光・男体山も見えます。ここからなら南側の荒川添いの秩父街道を見張るにも好立地だったのでしょう。余談ながら、この場所から波久礼駅への下山途中には、毎回のように立ち寄る温泉施設「かんぽの宿」があります。今年はもお風呂などは入らず、男性のみが表敬訪問、缶ビールで乾杯、送迎バスで寄居まで送ってもらいました。
金時山から見る箱根カルデラ ― 2021年11月30日 13:31
昼間は暖かいが夜になるとぐっと冷え込んでくるようになった11月下旬、神奈川県箱根の金時山(1212メートル)に登山。金時山は40万年以上前の大規模火山噴火でできた箱根カルデラの中にあり、一見すると、その火口壁上の外輪山に見えますが、実際はカルデラ内に噴き出した火山だそうです。
人気のある山で、この日もかなり多くの登山客で山頂はまるで真夏の湘南海岸のような混雑ぶりでした。スニーカーなど軽装の人も多く、八王子の高尾山のようです。ただし、そこは火山ですから、最上部はごつごつした火成岩の岩場で大空に屹立しています。この山頂部の姿からかつては「猪鼻嶽(いのはなだけ)」と呼ばれていたそうで、山頂の小さな神社の石碑には「金時山 猪鼻神社」と刻まれています。ただし、そのすぐ横に公衆トイレ、左右に茶屋があるというおかしな立地です。
この日は快晴とはなりませんでしたが、金時山の山頂から、南西の方角に頂に壮大な雲をたなびかせた富士山が鮮やかに見え、下方に目をやると、はるかに芦ノ湖や相模湾を臨み、大涌谷からは白い噴煙が立ち昇る箱根カルデラが一望できます。それにしても茶色の芝が特徴なゴルフ場の多いこと。カルデラ面積の半分くらいになるんじゃないでしょうか。
この箱根火山の巨大さから考えて、今はのんびりしていますが、ふたたびかつてのような噴火が始まったら首都圏に大打撃を与えるでしょう。これは眼前にそびえたつ富士山も同じことです。われわれは地殻変動のほんの隙間の平穏な時間を過ごしているだけなのだと思います。
この金時山は、箱根山の中でも目立つ山だけに、江戸時代になるとこの山について「坂田金時(坂田公時とも)の故郷が足柄山である」という「金太郎伝説」が生まれ、山は金時山(きんときやま)と呼ばれるようになったようです。さらに明治時代に童謡「金太郎」がつくられ、広く知れ渡るようになったわけです。坂田公時はどうも実在の人物ではないらしいのですが「公時」のほうが格が高い?のかどうか、ここにある神社の正式名は公時神社で、登山道入口の石碑にも大きな文字でそう書かれています。ただし、登山地図には「金時神社」と書かれていますから、うっかり、ここは違うと誤解する人もいそうです。
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