元旦の富士塚は「赤富士」2021年01月02日 20:07

2021年の元旦はほぼ無風の快晴。遠く新潟の日本海沿い平野や東北の山々は大雪とのことで、強力な寒波襲来という報道のわりには関東の季節風はさほど強くありません。午後、3歳になったばかりの子供も混えて家族で地元・志木市の敷島神社に向かいました。ここ数年、初詣は新座にある大和田氷川神社にいくことにしているのですが、今年は方向を変えてしまいました。わりと近いということとこの境内にある田子山富士塚を見てみようというのが動機でした。(一番近い神社は朝霞市の宮戸神社なのですが、こちらも最近行っていません。すみません)

自宅から出て志木方面に少し歩くと八辻という複雑に道が交差する場所があり、そこに直行するひとつの道が急な下りになり、ここをおります。すぐ近くを野火止用水の分水が流れているのですが(もちろん完全な暗渠)いま歩いているこの道も確か30年くらい前までは畑中を細い流れがうねっているような湿った感じの土地だったと記憶しています。ここに流れがあったことは、現在のこの道がちょうど2つの市を区切る境界線になっていることからもわかります。

そのまましばらく進むと前方に新河岸川の低い土手が見えてきます。土手の下には「富士道」という表示版が設置されています。この「富士」とは駿河の富士山ではなくこれから行く敷島神社内の富士塚のことで、近在の人たちがこの道を通って富士塚やあるいはそれを目印にさらに遠くへ歩いた道であることを示しています。この道をいけば当然、神社・富士塚にいけますが、われわれは新河岸川を見るために土手に登ります。東京へ向かい、やがて隅田川となるこの川は、護岸の冬枯れの芝草の下で流れていないようにみえるほどゆったりしています。川岸には桜の老木が細い枝をつきたて悠然と立っています。富士下橋という名のここも富士塚由来の名を持つ歩行者専用橋を超えると志木市の親水公園があり、そこから敷島神社に入ることができます。

この神社は正面の鳥居をくぐると目の前に巨大な富士塚があり、社殿よりはるかに目立つという特異なつくりになっています。富士塚あるいはこの富士塚内の板碑に示されるように神社の起源は富士塚にあるのかもしれません。この富士塚は昨年、国の重要文化財に指定され(県指定からの昇格!)、市内ではますますその存在感を大きくしています。国の文化財指定を受けている富士塚は埼玉県、東京都に複数ありますが、私のみるところではこの志木市の富士塚が市民から一番大切にされているように見受けられます。

残念なことに時間制限で登参することはできませんでしたが、夕日に染まる赤富士はなかなかきれいでした。