松下裕の〚日本の十代古典〛2021年02月08日 13:47


松下裕(まつしたゆたか)の名前を知ったのは、かなり以前に読んだ〚チェーホフ全集〛(筑摩書房)の翻訳を通じてです。松下氏は、全部で12巻にもなるこの個人全集を一人で訳し、すべての作品についての詳細な書誌的解説をつけています。この全集は現在でも「ちくま文庫」で入手できます。チェーホフの小説を最初に読んだ時の静かな興奮を今でも忘れていません。嘘のようですが、本当に<こんな面白い小説を読めるなんて、生きていてよかった!>と思ったのです。〚かわいい女〛や〚決闘〛あたりの中編だったと記憶しているのですが、その他も、ドキュメンタリーまで含めてチェーホフの作品はすべてがすばらしく、とにかく一度は読みべき人間精神の宝だと思います。

チェーホフは19世紀のロシアの作家でまた優秀な医師でもありました。したがってその作品をわれわれは翻訳を通して読むことになります。いうまでもなく、チェーホフが面白いと感じたのはその翻訳も素晴らしいからです。この松下裕氏についてはあまり知る機会がなかったのですが、翻訳ではない、松下氏の残した作品を読んでみようということで、探しましたら〚日本の十大古典〛と〚ロシアの十大作家〛という本が図書館にありました。予想通り、わかり易く、興味深く、しかもそれぞれの作品とその作り手へのへの深い愛情を感じさせる内容でした。ロシアの作家は、松下氏の専門分野なのであまり日本人になじみのない人も(少なくとも私には)あるかもしれませんので、〚日本の十大古典〛の内容を簡単に紹介します。

〚日本の十大古典〛は筑摩書房の〚国語通信〛という、多分、教科書に関係する準専門的な雑誌に掲載されたようで、読者は中学や高校の教員が多かったのでしょうか、学生に古典の楽しさを教えるときに参考になるような配慮も感じられます。取り上げる古典も〚万葉集〛〚古事記〛〚枕草子〛〚源氏物語〛〚今昔物語集〛〚平家物語〛〚徒然草〛〚西鶴〛〚芭蕉〛〚近松〛というように、まさに正統中の正統という作品ばかり。それでもこれらが、どんな角度・思想から選んでも日本の古典の代表であることに異議をとなえるへそ曲がりはいないでしょう。そしてどの教科書にもその一部くらいは掲載されていると思います。

それでは、全部ではありませんが、いくつかの作品のなかでの松下氏の印象的な言葉を拾い出してみます。

「(権力を失った)これらの人々の束の間の栄光の日々のことは〚枕草子〛に詠嘆を込めて、この上なく美しく書きとめられている。反面、清少納言は、はげしい権力争いと悲しい没落の過程については、かたく口を閉ざし、楽しい日々、美しいことのみ書いている。〚枕草子〛は定子後宮の公式記録としての役割から少しもはずれていない。〚枕草子〛に(中宮)定子没落後の事件はひとつも含まれていないという。そういう意志的な態度と裏表をなしているはかない思い、そこからこそとぎすまされた彼女の美の感覚が生まれたのではかったかと私は思う。そのために、彼女の明るいユーモアの中に、あるいは容易にうかがうことのできない影がさしているかもしれないと私は想像する」(57頁)

「(今昔物語集の)選者は整然とした構成で自分たちの世界を把握しようとしている。選者がやがて来たるべき武士の世の中を予感し、摂関政治の堅固な動かない世と思われていた時代の下にカオスの揺れうごくのを感じとっていたことは確かである。その時代に生き生きと動きまわり、この膨大な説話集にその姿をあざやかにとらえられた人々の姿が、八百五十年ほどたった今日もわれわれの心を打ち、かつ楽しませてくれる。」(98頁)

「(〚平家物語〛の)作者には、時代を動かす諸勢力の動きは見えにくく、全体の力関係を解きあかすことはできなかった。個人の手には負えないような世の移りゆきの中で、精いっぱい生きる人びとを生き生きと描くことこそが彼の役目でもあり、得意わざでもあった。そして、この混乱の時代に根かぎり生きかつ死んでいった、法皇から牛飼い、浦の男までのひとびとの姿をあきることなく語りつづけた。(略)このような深くて大きな文学は、このあいだの太平洋戦争についてはまだ生まれていないのではないだろうか」(115頁)」

「西鶴は物事の相対化ということを常に考えているようだ。(深刻な話を笑いで結ぶような)そういう態度は、彼の文学が滑稽を絶えず心がける俳諧から出てきたからに違いない。だが、それは元はといえば、社会の最下層と位置づけられていた商人層の代弁者としての西鶴のたどる論理の必然だったのだろう。西鶴は、盤石のように思われていたに違いない徳川幕府百年目の武家社会を、相対的な目で眺めることによって、社会の枠組みを無意味なものとしているといっていい。」(149頁)

「(芭蕉は天の川が膨大な数の星の集まった銀河系宇宙であるというようなことは知らなかった)しかし彼は、この『荒海や佐渡によこたふ天の川』の句で、宇宙と自然と、佐渡が島にまつわる人間社会の歴史と、自然に比べてのその卑小さを一挙につかみとってわれわれにさし示した。われわれは、新しい知識にもとづいた宇宙に対する現代人としてのイメージを、この句に感情移入して読んでいるが、芭蕉のこの句がまたそれを受容するだけの大きさと現代性をもっている。」(167頁)

「(〚女殺油地獄〛の)与兵衛はお吉に対して心の奥底では恋情をいだいていたのかもしれないが、ここには、ちょっと見には、痴情、物取り、怨恨からの殺人ものではない、いやかえってそれらすべてのからまった殺人かもしれぬ複雑で不思議な人間関係による殺人劇がくりひろげられる。近松は最後には、そういう現代的なすぐれたドラマを書いている。近松劇の世界は、こんにちのわれわれと決して無縁ではない。現代人の生活のなかにもさまざまな別の形をとって日々生起するような世界である」(184頁)

以上の紹介でもわかるかと思いますが、松下氏が述べているのは、私たちが古典を面白く感じるのは、その新しさにあり、それがまた古典の存在意義でもあるということです。現代に生きる人間も、古典の中の言葉に共感し、自分の生き方を見直すようなことがあるのです。

上の写真は「旅館番頭の佐渡観光情報ブログ」(https://itouyaryokan.com/blog/)より

〚桜の園〛のサクラとは2021年02月24日 11:23


上の写真は私の自宅近くの幼稚園の庭に咲いているアタミザクラです。この早咲き種のサクラは花弁が赤く、それが冬の青空によく似合います。季節はまだ2月の下旬ですから、日本で一番多いサクラの品種であるソメイヨシノの樹の蕾はまだ固いままですが、来月中旬には関東地方でも開花するだろうとの予報がすでに出ています。ソメイヨシノの開花は春を告げる風物詩として開花時期を予想するほど人々の関心を集める日本ですが、最近、この植物は海外にも合法的に移植され、かなり多くの国で開花しているようです。寒いロシアのモスクワでも評判の場所があるようですが、19世紀末から20世紀初頭のロシアの作家、アントン・バーブロビッチ・チェーホフが〚桜の園〛という作品を書いていることは有名です。

チェーホフは小説の他にたくさんの演劇の台本―戯曲も書き、今でも世界中で上演されています。〚桜の園〛はそのなかでももっとも有名なものですが、チェーホフのこの作品が完成したのは1903年10月のことで、発表はその翌年、この年はチェーホフの亡くなった年ですから、まさに作家人生最後の作品であり戯曲でるわけです。その年1月の初演の時、すでに身体の衰弱していたチェーホフは「ようやく立ち上がって人々のお祝いの言葉を受けた」とされていますから(全集第10巻、松下裕氏の解題)本当に絶筆です。さらに、この日がチェーホフの44歳の誕生日だったのですから、この短い生涯に残された多くの作品にあらためて感動します。

〚桜の園〛は日本でも上演されています。私は観たことがありませんので戯曲で判断するしかありませんが、ストーリーは単純ながら、19世紀後半の帝政ロシア末期の状況がわからないと内容も理解できないような気がします。経済政策の混迷の中で没落しつつある地主階級と農奴解放で勃興する新興事業家。それに気づかぬ保守貴族と寄生してきた学者、教師、医者などのインテリ階級、貧しい農民。桜の木々が茂る農園は地主の借金のために新興商人たちの別荘地として売りに出されますが、他人ごととしてしか感じられない女主人はこの期に及んでも散在をやめません。その土地を買い取るのはかつての農奴の息子。美しい〚桜の園〛は、競売で売られ、ひとびとは離れななれになります。その最後の瞬間を描いたのがこの戯曲ということになりますが、チェーホフの戯曲の多くはこうした古い地主階級と新興商人階級の対立を自らの劇の思想的背景にしています。彼はまさにこうした時代に生きていたからです。

ところで〚桜の園〛というと、現在の日本人は美しい花が咲き乱れる観光パンフレットの表紙みたいな風景を想像してしまいますが、どうもこの桜は、見て楽しむのではなくその実を採取するためのようです。劇の第一幕の季節は5月、まだ霜が降りるほどの寒さながら桜はすでに満開という設定なのですが、桜並木の美しさはひとこともありません。サクラの実はいうまでもなくサクランボで、日本では生食が有名ですが、ロシアではつけものとして加工される「サワーチェリー」が多いようです。現在でもロシアが、このサワーチェリーの生産量1位だそうです。劇中で(意外に重要な役を果たす)フィールスという農奴を解放されながらもそのまま雇い主の屋敷に住み着いている老人が「―昔はサクランボを乾したり、砂糖漬けにしたり、ピクルスにしたり、ジャムに煮たりしてモスクワやハリコフへ出荷したものです」と述懐する場面が出てきます。この土地の桜は農産物だったということですが、手入れもしないうちにダメになってしまったということでしょうか。

この『桜の苑』も訳者によっては『さくらんぼ畑』という日本語の題名をつけているものもあるので、本来はそういう意味合いのほうが強いのかもしれません。『桜の苑』は、売られてしまった土地から桜の木を切る斧の音が遠く聞こえてくるという、いかにも象徴的な場面で終わるのですが、このへんの感覚は日本人と(少なくとも当時の)ロシア人ではずいぶん違っているのでしょうね。