伊豆長岡の北条氏の史蹟2020年02月08日 17:18

山の会の新年会で伊豆・大仁に行きました。今は伊豆の国市ということになっていますが、2005年(平成17年)に伊豆長岡町と大仁町、韮山町が合併してできた新しい名前です。一方、すぐ隣の伊豆市も2004年に修善寺町、土肥町、天城湯ケ島町、中伊豆町が合併してできていますから昔の伊豆の町々の名前がどちらの地域になるのか分かりづらいとことです。 隣どうしが似た名前でややこしいのは全国であります。私の地元でも富士見市とふじみ野市という市が合併で誕生して隣接しています。どうしても観光あるいは少しでも有名な地名になぞらえようという理由で似たような市名がつけられる愚行はまだ続くようです。

この伊豆の国市は「伊豆長岡」という場所が中心のようですが、ここは鎌倉北条氏の出生の地として有名です。その関係史跡が随所に残り、さらにこれは偶然のようですが幕末の政治経済に影響を与えた江川太郎左衛門がこの地の代官であったことから西洋文物の導入や反射炉での大砲鋳造を行い、その史跡もあります。こちらのほうはつい最近世界遺産に登録されたりもしています。

反射炉はともかく、ここに鎌倉北条氏が誕生して現在も多くの文化財や史跡が残っているのも、平安から中世にかけてはこの伊豆が離れ小島のように都から遠く隔絶された場所であることが発端です。つまり、ここに源頼朝が流されたことがすべての始まりなのです。

新年会の2日目は大仁から駿河湾に面して伊豆長岡方面に突き出している城山や葛城山という低山ながら火山の様相を十分に見せてくれる山をハイキングしましたが、1日目は少し時間がありましたので鎌倉北条氏の里の雰囲気を味わおうと伊豆長岡まで移動してほんの少しの歴史散策を楽しみました。

狩野川沿いにその史跡(といっても多くは寺院)があるのはわかっていたのですが、時間の関係で回れたのは願成就院というお寺だけでした。この地の有力者でかの北条政子の父親であり鎌倉幕府の最初の執権である北条時政の建立です(お寺の解説パンフレットでは「吾妻鏡」に記載されているそうです)。

往時は奥州藤原氏の毛越寺を模した壮麗な伽藍構成だったそうですが、その後の幾多の戦乱で兵火に見舞われ、昭和30年以降に再建されたのが現在の伽藍です。ただしこの寺に創建時より祀られていた阿弥陀如来坐像、不動明王像など5体の像は一部を焼失していますが無事に残り、東日本に現存する最古の運慶作品としてすべてが国宝に指定されています。

(上の写真は、城山の麓で見つけた子育て地蔵の磨崖仏)