コロナ騒動の中、旧道を歩く2020年03月10日 17:57


3月になってからも「新型コロナウィルス騒動」は収まるどころか大きくなるばかりのようです。公共施設だけでなく民間の文化・スポーツ施設も相次いで休館になり、影響は加速度的に肥大化しています。私などはすでにたいした仕事もしていないで直接的な生活への影響はたいして考えなくてもよい世代ではありますが、講演会やまち歩きさらにスポーツジムまで行けなくなるという情けない状態です。ほとんど「空騒ぎ」状態であることはわかっていますので、今はこの社会の空気をゆっくり観察しながらどう収束するのかを見ることを「陰気な楽しみ」に変えて我慢するしかなさそうです。

先週は、このコロナ騒動で中止になった「まち歩き」の日にひとりで山歩きにでかけました。場所はおなじみの高尾山ですが、一度も歩いたことのなかった小仏峠からの旧甲州街道を下るというルートに挑戦しました。2月末の山行が中止になったためもありますが、じつはここ1か月ほど運動のメインを「散歩とスクワット」から近くのスポーツジムでの「トレッドミルと自転車漕ぎ」に変えていますので、その効果を実際の山で確かめてみるという意味もありました。

いつものように中央線・高尾駅から甲州街道を歩いて高尾山登山道の稲荷山コースに直行し、ほぼ休まず小仏城山まで約2時間半でした。特に疲労はなく、ジムでのトレーニングでも支障はないようです。この日は快晴でしたが冬季ですので登山者数は多くありません。ただ、「全国一斉休校」のためなのか、小学生か中学生と見られる少年たちと一緒の登山者が目立ちました。もみじ台と城山の茶店は休みでした。

昼食後、景信山方面に歩き始めて15分ほどで木々に囲まれた薄暗い印象の小仏峠に到着します。景信山方面と逆に下っているのが今回初めて歩く旧甲州街道ということになります。地図で見るとくねくねした登山道のように描かれていますが、名前の通りの街道でした。狭くて舗装もされていないものの、ある程度整地された山道なので、簡単すぎてあまり面白くありません。20分も下ると広い駐車場にでます。ここに車を停めて登山開始という人も多いのでしょうか。その先は舗装された林道で、さらに行くと景信山からの下山路がつながっています。ここからは小仏バス停までおなじみの道で案外あっけない。そこで今回はバス停からバスに乗らずに(時間があわなかったこともありますが)高尾駅まで街道を歩くことにしました。

気候も良く、そこここに満開の白梅、紅梅が咲き乱れ、梅の里などというバス停もありまして気分は上々なのですが、なにせ道は単調で、どこかに古道を思わせるような石仏や史跡がないかと探していたのですが、結局、蛇滝方面への分岐付近の「高尾山道」という道標しか見つかりませんでした(上の写真)。他には旧駒木野宿場跡に隣接する小仏関所の遺構らしきものがありましたが、1時間ほど歩いて新しい甲州街道との合流手前で折よくやってきたバスに乗って高尾駅にもどりました。

9年前の出来事2020年03月14日 20:58


新形コロナウィルスの流行と株価の暴落で大騒ぎの現在ですが、思い起こせば9年前の3月、東北大地震と福島原発の事故でこの日本は現在の「騒動」とは比較にならないほどの危機的状況にありました。地震と津波で1万数千人の人が一挙に亡くなったことももちろん日本の歴史に残る大災害なのですが、直接その被害にあわなかった私などにすると、福島原子力発電所事故の記憶のほうが恐怖感をもって思い出されます。

もちろん、テレビのニュースや新聞記事でしか事情を知りえないわけですが、現実に原子炉のメルトダウンという現象が起こりうるということがわかってくると、実感をともなわないながらも、なにか、経験したことのない悲惨なことが起こるかもしれないという恐怖ともあきらめともつかない気持が湧き上がってきたのを覚えています。その後、現在も含めてそこまでの思いをしたことはありません。

今年の春が別の「非常事態」になることは予想できなかったでしょうが、偶然にこの9年前の福島原発事故を描いた日本映画『Fukushima50(フクシマ・ヒフティ)』が上映されていて、東京のソメイヨシノが開花し同時に雪がふるといういう不思議な日に見てきました。「2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故で、未曾有の事態を防ごうと現場に留まり奮闘し続けた人々の知られざる姿を描いたヒューマンドラマ」とはこの映画のPR文の冒頭です。さらに「現場の最前線で指揮をとる伊崎に佐藤浩市、吉田所長に渡辺謙という日本映画界を代表する2人の俳優を筆頭に、吉岡秀隆、安田成美ら豪華俳優陣が結集」という豪華版の作品。上はそのポスターです。

どうも「観客は絶賛、批評家は酷評」というのがネット上の声のようで、確かに現場と本社・政府の対立、登場する家族の愛憎と和解―など突っ込んでいけば画一的な物語構造が目につきます。しかし大作とはだいたいそうしたもので、日本人の多くの感情に訴えることがなければ成功はしません。ここは、未曽有の災害に立ち向かった無名の戦士の物語でよしとしましょう。

コロナウィルス騒ぎの中で2020年03月19日 17:50


2月初めからの新型コロナウィルス騒ぎの渦中ですが、地元の山の会は継続しています。今回は東京のソメイヨシノの開花が発表されながら平地でも雪になるという不思議な天候の翌日でした。出発は6時57分北朝霞駅発というゆっくり旅。集まったのは8名。奥多摩の二俣尾という無人駅に8時30分過ぎに到着、やや寒いかなと思いますが風はありません。

駅前から歩き始め、まずは多摩川に架かる奥多摩橋というきれいな橋を渡ります。赤く塗られたトラス構造の橋脚で建築遺産にもなっています。橋から下を眺めると水量は少ないのですが、昨年秋の台風の影響はこの日もあちこちで目にしました。梅園に咲き残る梅を見ながら道路から石段を登り愛宕神社の境内に入ります。この神社の奥社があるのが愛宕山です。神社右側にある沢沿いの道を歩き始めましたがどうも荒れています。元気そうな高校生のグループが先に進んでいきますが、何か難航している様子。地図を確認すると左側に正規の登山ルートがあることがわかり再出発。

愛宕山には四国八十八ヶ所札所巡りを気軽に達成するための札所巡り石碑が登山道のそこここに建てられています。われわれは五十五番の石碑からこの札所に遭遇しましたが正式なルートから登れば全部廻れるわけです。

この札所巡りは正式には「愛宕山内新四国八十八ヶ所霊場」といい、江戸時代末期の動乱の時代に開かれたという歴史を持っていて、各地にある同様の札所巡りの中でもかなり立派なものです。スギに覆われた単調な道が続きますので、こうした目印は楽しみになります。ゆっくり歩いてみたいものです。

地域の産業でもあった林業のために植林スギはかなりの大木もあり、梢に積もった昨日の雪が歩くたびに上から絶え間なく落ちてきてまるで雪が降っているかのようです。八十八ヶ所目の大きな石碑の前では先ごろ四国八十八ヶ所を回ってきたK会長が感慨深げに写真を撮っていました。黙々と進んでいると、途中の藪の中から先ほど別ルートを進んでいった高校生グループが出てきました。この程度なら面白いアドベンチャーでしょうかね。10時20分頃、騒がしい声が聞こえると思ったら愛宕山頂上(534m)の愛宕神社奥社の前の広場に10センチくらい積もった雪で遊んでいる若者?の声でした。奥社は山門を備えた立派な建物です。

ここからは日の出山に向けてのアップダウンになりますが、急な傾斜はほとんどありません。途中にルートから少し外れた三室山というピークがあり、10分ほどの岩稜登り。岩に雪がはりついているのでやや気を使います。山頂からは東京方面が眺められます。標高は648mと手書きの修正がありました。温度計が吊るしてあり、見ると2~3℃! 寒いわけです。

本道に戻り、ところどころで展望が開けますが、ぬかるんで滑りそうな林中の尾根道を進んでいきます。右側(南)に形の良い山が見えてきましたがここではなさそうです。1時間半くらい歩いてようやく日の出山の頂上らしき場所が見えてきました。登山者が多いようで木材(間伐材?)を使った階段がとても多いです。頂上(902m)は整備されていて、石垣を組んだ屋根付きの展望台があり日曜日のためか、新型コロナウィルスで行くところがないためか、寒さにもかかわらずかなりたくさんの登山者が休憩していました。ここは眺望の山です。少し雲が多くなってしまいましたが、東北方面の眺めはよく、新宿新都心から東京スカイツリーまで遠望できました。

ここからつるつる津温泉までは40分ほど、整備された道になります。途中、道路上に机を置いて登山客を停めている人たちがいます。まさか飲酒検査ではないと思いましたが、地元で観光開発を行っているNPOの人たちの登山に関するアンケートでした。ここからは右に見えるのが先ほど目についた麻生山で、つるつる温泉ではなく、この山にも登山客を呼ぶための調査のようでした。ほどなくコロナ禍で閉館中のつるつる温泉に到着し、登山靴についた泥を落とし始発のバスに乗って武蔵五日市駅に向かいました。