おしゃもじ山とは2018年03月19日 14:09

天候がよさそうなので、友の会の次回の「まち歩き(5月)」で予定している毛呂山町と鳩山町の鎌倉街道沿いを歩いてみました。よければ今週の「武蔵浦和まち歩き」のときにお知らせしたいと思っています。いつも相談している2名にはすでにここにしたいと希望を述べてはいましたが、やはり大勢での行動となると参加者に失望させないような保証が必要です。

実際の場所は、東武越生線の川角駅から毛呂山歴史民俗資料館を通って鳩山町のおしゃもじ山までの「鎌倉街道」で、ここを約2~3時間かけて歩きます。『比企の中世・再発見』(嵐山史跡の博物館発行)というこの地区の史跡巡りのガイドブックに掲載されているコースで、鎌倉街道上道を歩いた人なら必ず通る道でしょう。埼玉県の歴史の道の中でも、旧道そのままの雰囲気を残している数少ない貴重な箇所だと思われます。

単なる散歩としてもじつに面白いところです。私も1度(あるいは2度?)歩いたことがあるので大体の様子はわかっているのですが、ひとりできままに行くのとグループ行動とは違うはずで、そのへんの細かい確認ということなります。

以前も間違えた気がしますが、肝心の鎌倉街道へ入る道を間違え、遠回りしてしまいましたが、どうやら以前に比べ、鎌倉街道などの文化財に関する標識が増えているようで、結果的には通常の道路でなく河川沿いにいく道なども発見し、退屈しないまち歩きができそうな感じになってきました。鎌倉街道旧跡や林の中の古墳群もかなり整理されていました。越辺川の河川敷はウグイスが鳴きキジが飛び出してくるなど自然の宝庫です。

今回はあまり長時間の歩行は考えていませんので、上記のガイドブックの後半部分、笛吹峠を通って武蔵嵐山駅まで歩くという部分はカットし、鳩山町のおしゃもじ山で一応の終わりにしたいと思っています。多分ここでお昼過ぎになるでしょう。おしゃもじ山とは面白い地名ですが、鎌倉街道が越辺川を渡った場所にあり、標高は90メートルの小丘です。けっこう急な崖もあり、比企丘陵の最先端にあるだけに見晴らしもとてもいいです。戦国時代の物見跡などもあるようですが、地名のもとになっているのは山の入り口にある「御杓文字(おしゃもじ)神社」です。上の写真で右端に小さく映っているのですが、可哀想なことに、最近ではお参りする人もいないようで満足な道もつけられていませんでした。

いつのころからか、世の中の苦難からひとびとを「救って」くださいという願いを込めて。この神社におしゃもじを奉納するようになったのでしょう。ちなみにおしゃもじは漢字で「御杓文字」と書きますが、「杓」は「しゃく(し)」と読み、この女性語(女房詞)が「しゃもじ」で、ほぼ同じことを意味しているようです。先端が丸くなっているのは「お玉杓子」で蛙の子はこれに似ているころからついたのでしょうね。この「お玉」を奉納している神社も見たことがあります。民間信仰というのはこのように単純なものが多いようです。