五日市憲法草案を見る2016年11月08日 17:19


上の写真は奥多摩、五日市町(現:あきる野市)にあった豪農、深沢家の土蔵です。現在は取り壊されてありませんが、1968年(昭和43子年)この蔵から発見されたのが、明治10
年台にこの土地の文化人たちによって起草された日本帝国憲法草案―いわゆる五日市憲法です。

江戸から明治になり、旧封建国家の体制を一新し日本国の形を整えるために、憲法を作り国会を開設しようという動きが起こります。自由民権運動です。この運動は全国におこりますが、この時に薩長土肥や士族・寄贈だけでなく、ここ奥多摩や秩父など従来、山間僻地といわれた地区の民衆の中にも知識をもとめ、政治に目覚めた人たちがいました。その経済的な基盤は豊かな森林からの木材、薪炭そして絹織物などでした。いまでは想像できないほど豊かな土地であったようです。五日市の深沢家はその代表でした。

この憲法草案は非常に先進的な内容を盛り込んでいましたが、残念なことに旧帝国憲法制定の過程で生かされることなく、むなしく、土蔵の中で朽ち果てていくところでしたが、多摩地域の自由民権運動の研究を進めていた東京経済大学の色川大吉氏などの活動によって発見、解読され、他の活動資料ともども世にでることになりました。

発見された憲法草案などの文書はほとんどそのままでは手に取れないほどの悪い保存状態になっていましたが、専門家による修復を経て、ほぼ全文が明らかになり、東京都の重要文化財として保存されています。年に一回、11月の文化の日前後に、一部分ずつ公開され、見ることができます。5日にあきる野市中央図書館で開催された今年の展示解説展に参加して、話だけをきいていたこの憲法草案の現物を見ることができました。

あきる野市図書館の会議室に展示されている草案の現物の第一印象は「なんとうまい字だ」ということ。想像で下書きあるいはメモ書きのような感じと思っていたのですが、細かい文字で和紙24枚に整然と清書されています。実際の執筆にあたったのは当時同地の農学校の教員だった千葉卓三郎という人物です、31歳で逝去していま。和紙に筆で書かれた精緻でていねいな文字に当時の人々の教養の深さと真剣さが示されているようです。同時に展示されていた勉学ノートの筆跡からも同様の印象を受けました。

パソコンやスマホで簡単に文字を打ってしまう現代、明治の先人たちの肉筆に感動しました。

コメント

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