浦和で「旅鰻」の話を聞く2016年11月22日 20:18


浦和の三室にある浦和博物館(元は浦和市立博物館)の訪問は初めてです。今回、『旅鰻献上』というテーマで企画展が開催されていることを知り、有名な浦和の鰻の歴史の一端がわかるかとしれないと思い、出かけることにしました。

しかし、この博物館は交通の便の良くない場所にあります。三室というだけで私などには「野田の鷺山」が浮かびますが、要するに昔から浦和の田舎といったイメージです。10年ほど前。この付近を通って岩槻に向かっている日光御成道のことを調べたとき、鳩ケ谷を通ってこの付近まで歩いたことがあります。それ以前というと、はるか20代の頃にさかのぼります。

今回は、武蔵野線の東浦和駅から、駅前の大通りをまっすぐ北上し、見沼低地の直前で西に向かうというコースを歩きました。約1時間くらいでしょうか。この道は逆に進むと芝川の八丁橋に出ますので、昔の「赤山街道」の道筋と思われます。確かに、ときおり、江戸時代から続く和菓子屋さんや庚申塔などが目にとまります。イチョウやハナミズキの並木がつづくきれいな通りでとても気持ちがいいです。

この博物館は上の写真のような、かなり凝った洋風建築物です。『鳳翔閣』という明治初期に埼玉師範学校の校舎として建てられた洋風建築物の一部が復元されたものだそうで、古風な内装ともども独特の雰囲気をもっています。

本題ですが、今回の展示のテーマである「旅鰻」とは、江戸時代に紀州徳川家の鷹場であったこの浦和地区で収穫して紀州藩主に献上した鰻のことをいいいます。これは味がよいので一般庶民用にも出荷され、当時の「江戸前の鰻」に対して、こういう呼び方がされたようです。

鰻は笊(ざる)に入れられ、飛脚便(籠)で運ばれたそうですから、当時から高級な食べ物であったことがわかります。