香港で山に登る(1)2016年12月08日 19:32

これが鳳凰山(ランタオ・ピーク)

11月の終わりから12月の初めまで、香港の山岳旅行に行ってきました。地元(朝霞市)の山の会に香港に長くいた人がいて、同地のほとんどの山に登ったという話を聞いていましたので、機会があればみんなでいってみたいということになり、実現しました。参加したのは男性5名、女性7名。50代から80代まで幅広い年代層ですが基本的にはシニア登山隊ということになります。

海外での登山も始めてですが、香港には日本アルプスのような高い山はありません。参加者も何度かは一緒に山行を体験しているひとたちばかりなので、気持としてはかなり余裕がありました。

到着した第1日目、さっそく“100万ドルの夜景”で有名なビクトリア・ピークに登りました。この場所か香港旅行ではだれでも行く「観光地」ですが、実は標高が550メートルもある立派な?山です。ただ、バスやケーブルカーで登る人がほとんどなので登山というイメージがないのです。地下鉄のセントラル駅から遊歩道を登っていくと約2時間。それなりのきつい運動になりました。

2日目はやや天候が悪く、風も強い日でした。登ったのは香港島の西にあるランタオ島最高峰の鳳凰山(ランタオ・ピーク)。香港島からバス、フェリーさらには「ゴンピン360」という30分以上もの長い長いロープウェイを乗り継いで、巨大な天壇大仏のある寶蓮寺に到着します。香港(中国)は基本的に道教の国なのでお寺も仏像も結構珍しかったのですが、古刹の雰囲気はない、何か観光用施設の感じがしてきます。仏像、神像が金ぴかのためでしょうか。

さて、ここからいよいよ登山道を登り始めました。かなり段差のある石段が連続して、歩くのに非常に疲れます。もううだめだと思うころ、通常の山道になりました。しかし、香港の山は数百メートル以上になるとほとんど樹木がなく草原か岩山なので、ここからは突き出ている岩とごろごろする小石のガレ場の道を強風に吹かれながら登ることになりました。ようやく着いた頂上には半分地下の避難小屋もありましたから、夏は雷なども落ちるのでしょうか。

頂上付近で若い登山客たちと一緒になりました。写真を撮ってもらったりしているうちに、日本人の団体とわかると「日本に行きました」など日本語もまじえた会話が始まりました。どうも大学生のようで、とても陽気です。雲にかすんで周囲の景色はあまり見えませんでしたが、楽しい経験でした。

香港で山に登る(2)2016年12月09日 09:16

後ろに見えるシャープピーク

香港山岳旅行、第3日目に挑戦したのは、大陸半島側にある西貢東郊野公園の中心、シャークピーク。正式な山の名前は蚺蛇尖といい、要するに蛇の頭ということらしく、その意味は、頂上付近のとがった岩場をみればすぐにわかります。標高は468メートルと低いのですが、一度、海岸に出てから一気に登るのと最後の岩場の急峻さが難度を高めています。

さすがに経験豊富なベテランも含んだ登山隊ですので、急な岩場もなんのその、往復とも標準タイムをかなり下回る時間で踏破しました。岩場には日本のようなペンキの印や鎖も一切ありませんでしたが、初心者の私でもそれほど問題ありませんでした。

この山は周囲を海岸に囲まれた半島にありますので、眺望がすばらしくいいです。崖を登っている時はあまり気が付きませんが、結構広い頂上に到達すると4周が海という展望が開けます。ほぼ快晴でしたから海と空が溶け合うはずですが、水平線付近には靄(もや)がかかり、海と空の境がわかりません。スモッグのためですが、大陸内部はもっと深刻なのかもしれません。

この山でも登山中に、香港の若い人たちに会いました。どうも香港(中国?)の壮年世代は年金制度のためか、かなり生活が苦しいようで、登山はもとより観光地にもあまり出てこないとのことでした。若い世代はこの山でも、出会うと「日本語勉強しています」「日本に行きます」と明るくあいさつしてくれました。日本人への偏見はほどんど感じませんでした。そういえば、この日の朝、朝食を食べた食堂で店のマスターが、私たちが日本人とわかると写真を持ってきて「女房が日本で寿司の修行をして、免許をとった」とうれしそうに見せてくれました。

海外での登山も始めててしたが、いわゆる「ツアー」でなく自分たちだけで計画して行動する旅行もはじめてでした。短い期間でしたが、思いでの多い旅になりました。

高尾山 裏から登り、裏から下る2016年12月12日 20:28


今年最後になると思いますが、高尾山にいきました。おなじみの地元の山の会のメンバーです。ベテランばかりなので、通常のコースはとらずに、今回は高尾駅から日影沢を超えて城山に登り、帰りは金毘羅神社(金毘羅台)から甲州街道に抜ける旧道を通るコースになりました。

高尾山の北側に連なる山々や谷筋を「裏高尾」というようです。すると南高尾は「表高尾」ということになるのでしょうか。この南北という言い方はどうも単なる方角を指すだけでなく、日本人のもっと深いセンチメントに訴えるようで、演歌で男が帰るのはたいてい「北」で、「北の国」といえばはるか離れた場所だという以上に厳しく悲しい響きがあります。さらにこれが「表裏」となれば、差別用語?だとして最近は「裏日本・表日本」という言い方もしないようになっていますから、単に地理上の用語問題には収まらない文化民俗学上のテーマにもなりそうです(思い出しましたが、駅の乗換口でもこの南北問題があってどうも北口は嫌われ、無理矢理に東口などと呼んでいるところが私の地元にもあります)。

ともかく、今回は、登山地図に載っていながらこれまで歩くことのなかった2つのルートを体験できました。日影沢を超えて城山までのコースには道標もなく、途中のピークには<日影乗鞍>などという面白い場所もありました。また、下山時の金毘羅神社から甲州街道落合に至る道は古道の雰囲気をかなり残しています。甲州街道との分岐点には「高尾山入口」と刻まれた石の道標(上の写真)がおかれ、街道を徒歩で歩いてきた人にはここが薬王院への最短ルートであったことがわかります。

西浦和・御嶽神社の火渡り神事2016年12月19日 18:23

このブログですこし前に、山岳信仰とのかかわりで、さいたま市・旧浦和地区の「御嶽神社」のことに触れました。木曽御岳王滝口の開祖である普覚行人が修行したことで木曽御岳神社の分社となっている神社ですが、12月19日の午後、ここで恒例の冬の神事「鎮火際」が行われました。

同様の火(炎)を中心とする行事は各地にあり、神社によりいろいろな言い方はありますが、私は、いずれも、もとは修験道の修行の一環だったものだろうと思っています。この浦和御嶽神社では、木曽御岳神社分社にふさわしく、薪炎上のさいに唱える呪文に盛んに六根清浄などの言葉や山々の名前が出てきます。神社自体はあまり大きくありませんので参列者も氏子や御嶽講の信者と思われる人たちに、市の広報や私のような野次馬を含めて100名に満たなかったと思います。

ワラや竹の周りをスギ、ヒノキなどの葉で覆った2メートルほどの小山になった薪を前に、祝詞やいくつかの神事を行ったあと、おもむろに点火。白煙が収まり、次第に強くなる炎は5、6メートルの高さに上がり、生き物のようにくねって動き回るさまは、昔の人でなくとも不思議な霊力を感じるのに十分な迫力です(写真)。

完全に火が収まるまでは30分くらいでしょうか。鈴の音と呪文だけが流れる静かな時間です。鎮火後、導師を先頭に、参加者が暖かい灰の上を裸足で踏んで健康を祈ったことと思いますが、私は途中で失礼しました。

 フェイスブックに動画を掲載しました。
 https://www.facebook.com/video.php?v=1075855685858641

武蔵野の鉄塔2016年12月29日 11:48


『鉄塔 武蔵野線』という小説をご存知でしょうか。1994年に発表され、映画にもなりました。この作品のモデルになっているのが実在する東京電力の送電線網で、そのうち、武蔵野線というのは埼玉県南西部の新座変電所から東京都北部の武蔵野変電所あたりまでの鉄塔群のようです。小説はフィクションで、また当時とは鉄塔の位置もちがうようですが、20年以上たっても、この付近は野菜畑や雑木林が広がる武蔵野の原風景を残している地域です。

私は散歩コースのひとつとして志木市を経て新座方面に向かういくつか道を歩きます。そのなかで、この時期(晩秋から真冬)になると、余計な色彩が薄れるためでしょうか、風景のなかでこの送電線と鉄塔が目につきます。

上の写真は北風が強く青空がきれいな日(12/28)に撮影したものです。場所は、新座市、平林寺付近の野火止用水に面した場所で、たぶん、この場所のすぐ左側に新座変電所があり、右の林は用水に面した農家の防風林です。空の青く高いこと、一帯に高い建物もないので鉄塔と送電線の印象が強烈です。

鉄塔も送電線も新潟、東北方面からの電力を東京に供給するための人工の施設にすぎませんが、人間と自然が相互に依存しあって作りだす「景観」の一部になっていることに不思議さを感じます。

年の終わりと世界の終わり2016年12月31日 14:23


『空海の風景』(司馬遼太郎)という小説を読んでいるので、この時代を超えた超人伝説の持ち主にちなんでスケールの大きな話をします。

空海が高野山で入定するとき「56億7000万年後に弥勒菩薩とともにこの世にもどる」と遺言したということになっています。56億7000万年とは天文学的な数字ですが、仏教では釈迦入滅後、この時間が過ぎた未来に弥勒菩薩があらわれ人々を救うという思想があります。

この数字に何か意味があるでしょうか。これを仮に「世界の終わり=宇宙の終わり」とすれば、時間と空間が終わるときでしょうから、実感としては想像できません。そこで、密教でいう「大日如来」を常識的に「太陽」のことだとして、世界の終わりは地球の属する太陽系の「太陽」の終わりと考えてみます。理論は別として、太陽の寿命は100億年なのだそうです。その後は、超新星になって爆発?するらしいです。そして、太陽は誕生からすでに50億年過ぎているで、残りは50億年。56億7000万年後というのがなんとなく納得できる数字にみえてきました。仏教はすごい。

しかし、50億年どころか1億年でも、あまりに大きすぎ、遠すぎてわれわれに関係があるようには思えません。そこで、星としての地球の終わりでなく、地球上での人類の終わりと考えると、実はかなり具体的な現象が2つ現実的に考えられています。

ひとつは巨大彗星の衝突です。地球のごく近くを通り過ぎる場合も含みます。これは過去の地球の歴史で何回もあり、想定外ではありません。ただし、現在の天文学では精密な計算ができていて、少なくとの私たちの生きている間には起こらないとされています。

もうひとつは「地震」ではなく「火山の噴火」です。それも通常の噴火ではなくカルデラ噴火とよばれる超巨大噴火です。巨大火山(スーパーボルケーノ)としてはアメリカの「イエローストーン」が有名です。その他にイタリヤ、インドネシア、そして日本にも喜界島、阿蘇、箱根というように大きなカルデラをもった火山がたくさんあります。幸いなことに、人類の文明世界が成立してからは、こうした巨大火山がカルデラごと噴火した事例はありませんが、噴火の予測は(地震同様)、天文学のように数式できちんとあらわされていませんので、可能性は常にあります(詳しくは、以下の「ナショナル・ジオグラフィック」の記事をご覧ください)。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0908/feature03/

なんだか怖い話になってしまいましたが、ようするにこの世界の終わりはいつ来てもおかしくないということです。ただ、たいていの人は<世界の終わり>より先に<自分の終わり>が来てしまいますので(これは確実です)、あまり気にしないことにして、ちいさな喜びをみつけ、ささいな生きがいを糧にして生きている小さな存在なのです。

写真は弥勒菩薩像として有名な中宮寺の木造菩薩半跏像(国宝)