高尾山 裏から登り、裏から下る2016年12月12日 20:28


今年最後になると思いますが、高尾山にいきました。おなじみの地元の山の会のメンバーです。ベテランばかりなので、通常のコースはとらずに、今回は高尾駅から日影沢を超えて城山に登り、帰りは金毘羅神社(金毘羅台)から甲州街道に抜ける旧道を通るコースになりました。

高尾山の北側に連なる山々や谷筋を「裏高尾」というようです。すると南高尾は「表高尾」ということになるのでしょうか。この南北という言い方はどうも単なる方角を指すだけでなく、日本人のもっと深いセンチメントに訴えるようで、演歌で男が帰るのはたいてい「北」で、「北の国」といえばはるか離れた場所だという以上に厳しく悲しい響きがあります。さらにこれが「表裏」となれば、差別用語?だとして最近は「裏日本・表日本」という言い方もしないようになっていますから、単に地理上の用語問題には収まらない文化民俗学上のテーマにもなりそうです(思い出しましたが、駅の乗換口でもこの南北問題があってどうも北口は嫌われ、無理矢理に東口などと呼んでいるところが私の地元にもあります)。

ともかく、今回は、登山地図に載っていながらこれまで歩くことのなかった2つのルートを体験できました。日影沢を超えて城山までのコースには道標もなく、途中のピークには<日影乗鞍>などという面白い場所もありました。また、下山時の金毘羅神社から甲州街道落合に至る道は古道の雰囲気をかなり残しています。甲州街道との分岐点には「高尾山入口」と刻まれた石の道標(上の写真)がおかれ、街道を徒歩で歩いてきた人にはここが薬王院への最短ルートであったことがわかります。