年の終わりと世界の終わり2016年12月31日 14:23


『空海の風景』(司馬遼太郎)という小説を読んでいるので、この時代を超えた超人伝説の持ち主にちなんでスケールの大きな話をします。

空海が高野山で入定するとき「56億7000万年後に弥勒菩薩とともにこの世にもどる」と遺言したということになっています。56億7000万年とは天文学的な数字ですが、仏教では釈迦入滅後、この時間が過ぎた未来に弥勒菩薩があらわれ人々を救うという思想があります。

この数字に何か意味があるでしょうか。これを仮に「世界の終わり=宇宙の終わり」とすれば、時間と空間が終わるときでしょうから、実感としては想像できません。そこで、密教でいう「大日如来」を常識的に「太陽」のことだとして、世界の終わりは地球の属する太陽系の「太陽」の終わりと考えてみます。理論は別として、太陽の寿命は100億年なのだそうです。その後は、超新星になって爆発?するらしいです。そして、太陽は誕生からすでに50億年過ぎているで、残りは50億年。56億7000万年後というのがなんとなく納得できる数字にみえてきました。仏教はすごい。

しかし、50億年どころか1億年でも、あまりに大きすぎ、遠すぎてわれわれに関係があるようには思えません。そこで、星としての地球の終わりでなく、地球上での人類の終わりと考えると、実はかなり具体的な現象が2つ現実的に考えられています。

ひとつは巨大彗星の衝突です。地球のごく近くを通り過ぎる場合も含みます。これは過去の地球の歴史で何回もあり、想定外ではありません。ただし、現在の天文学では精密な計算ができていて、少なくとの私たちの生きている間には起こらないとされています。

もうひとつは「地震」ではなく「火山の噴火」です。それも通常の噴火ではなくカルデラ噴火とよばれる超巨大噴火です。巨大火山(スーパーボルケーノ)としてはアメリカの「イエローストーン」が有名です。その他にイタリヤ、インドネシア、そして日本にも喜界島、阿蘇、箱根というように大きなカルデラをもった火山がたくさんあります。幸いなことに、人類の文明世界が成立してからは、こうした巨大火山がカルデラごと噴火した事例はありませんが、噴火の予測は(地震同様)、天文学のように数式できちんとあらわされていませんので、可能性は常にあります(詳しくは、以下の「ナショナル・ジオグラフィック」の記事をご覧ください)。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0908/feature03/

なんだか怖い話になってしまいましたが、ようするにこの世界の終わりはいつ来てもおかしくないということです。ただ、たいていの人は<世界の終わり>より先に<自分の終わり>が来てしまいますので(これは確実です)、あまり気にしないことにして、ちいさな喜びをみつけ、ささいな生きがいを糧にして生きている小さな存在なのです。

写真は弥勒菩薩像として有名な中宮寺の木造菩薩半跏像(国宝)