東京の人工島―地誌が面白い2020年08月19日 15:42

“島国日本”といわれますが、この日本列島に存在する島は全部で6800もあるとのことです。そのうち人が住んでいる有人島だけで430近くになるらしいです。とにかくこの国には、4つの大きな島の他に相当に多くのアイランドがあることはわかります。そんな日本の小さな島々(離島というほうが感じがでますかね)を撮りづける写真家にしてエッセイストの加藤庸二氏の著書『東京湾諸島』(駒草出版・2016年)を手に取りました。上の情報もこの本によるものですが、本書によると、実は東京湾だけも70以上の島が存在するようです(上の図、本書の口絵)。ただし、そのほとんどが「人工島」という人間が作り上げた島で、本当に自然の島というのは横須賀沖の猿島だけだそうですから、これも驚きです。われわれが知っている佃島も平和島も月島も八景島も、みな人の手が加わってできた人工の陸地だったのです。

そして、それだからこそというべきか、それぞれの人工の島には造られる社会的な理由があり、短いけれど現在に至る歴史をもっています。こうした人工の陸地の誕生と成長にはどれも興味深いエピソードがあるわけで、著者はそれを丹念に調べ、現地まで歩き、そこに居る人々に会って、ひとつずつの短いストーリーにまとめ上げています。その文章は、学術論文のように硬くもなく、といって週刊誌記事のようにくだけすぎもせず、こうしたやや社会的な記事を好む人には本当に楽しい読み物になっています。

とはいえ、本書だけでこの東京湾諸島の75すべてを取り上げるのは無理わけで、加藤氏はこれらの島々をいくつかの切り口で章に分類して、全体を俯瞰しながら、個々の島の成り立ちや地誌を記述していきます。そのなかで私が興味を持った3つの章をとりあげてみます。

●人工島の地霊と伝説

地霊とは、大地に住む精霊のこと。すべての自然に神が宿ると考える日本人の素朴な宗教感情ともいえるものです。地球の営みの中では、ほんの短い歴史しか持たない人工島でも、人々は神を感じ、敬い、祀っています。江戸時代から延々と埋め立ての続く江東区の深川地区(今では島とは思えないこうした地続きの場所も多い)には有名な富岡八幡宮があります。天王洲には牛頭天皇伝説が残っています。今や大空港となってしまった羽田には土地づくりの成功を祈願した穴守稲荷が建てられ、その大鳥居は数々の祟り伝説を生んでつい最近まで移転されませんでした。人の住むほとんどの島にこうした神社があります。政治的な理由で作られた大寺院と異なり、地域の小さな神社に素朴な宗教観を感じるのは私だけではないと思います。


●開拓者と京浜マニュファクチャ

われわれの印象では、東京湾岸の埋め立て地は大工場地帯です。江戸時代初期から始まる東京湾の埋め立て事業は、明治に入って加速し、戦前戦後を通して、最終的に京浜・京葉一帯の大工業地帯の形成につながっていきます。この現代日本産業発展の土台ともいうべき埋立と港湾・工場建設事業の完成には無数の人がかかわっているでしょうが、中でも幾人かの強力な推進者が存在することを知る必要があります。その筆頭は、後の浅野セメント創業者の浅野総一郎です。明治初期、燃料事業で身代を築いた浅野は欧米の実情を視察して日本の港湾施設の貧弱さを痛感し、渋沢栄一や安田善次郎(安田財閥創始者)らと共同し、東京―鶴見間に大規模埋立事業を行ったのを皮切りに、京浜臨海地区に、鉄道敷設を含む巨大な港湾施設を次々に造り上げていきます。現在のJR鶴見線に、志半ばに不慮の死(暗殺)を遂げた安田善次郎を記念した安善駅と浅野駅が並んでいるというのはあまり知られていない事実です。

●東京湾環境循環装置

東京湾の人工島の中には環境保全の上で重要な役割を果たしているものもあります。思えば人工島は都市から出た塵芥(いわゆるゴミ)や廃棄物を埋め立てて造成してきたという歴史があります。そこに処理施設をつくるという発想は当然出てきますし、下水処理が普及してくると、その最終処分場も一番低い土地に造る―しかもそこは周囲への影響を心配する必要がないということもあります。一方、戦後の高度経済成長の負の側面で、河川は汚染され。当然、湾内もすさまじい水質悪化が進み、関東地方の河川の終着点である東京湾はヘドロと悪臭のたまり場になりました。私も少年の頃、隅田川の鉄橋を渡ると電車の中でも臭かったのを覚えています。あれから50年以上、現在でもプラスチック汚染など問題は残っていますが、水質環境の改善は直実に進みました。その象徴のひとつが昭和島の水再生センターです。多摩地区や世田谷などの下水は最終的にこの地まで運ばれ、数次の科学的・生物的処理を経て海に放流されます。その水はホタルが棲息できる水準ということです。そのほか、かつてのゴミの島いまや夢の島での貴金属回収処理事業(都市鉱山)やPCB処理システムも人工島に造られています。巨大な住宅地が生まれ、広大な森林公園が建設され、さらに人間の将来にかかわる試みが行われているのもこうした人工島なのです。