〚桜の園〛のサクラとは2021年02月24日 11:23

上の写真は私の自宅近くの幼稚園の庭に咲いているアタミザクラです。この早咲き種のサクラは花弁が赤く、それが冬の青空によく似合います。季節はまだ2月の下旬ですから、日本で一番多いサクラの品種であるソメイヨシノの樹の蕾はまだ固いままですが、来月中旬には関東地方でも開花するだろうとの予報がすでに出ています。ソメイヨシノの開花は春を告げる風物詩として開花時期を予想するほど人々の関心を集める日本ですが、最近、この植物は海外にも合法的に移植され、かなり多くの国で開花しているようです。

寒いロシアのモスクワでも評判の場所があるようですが、19世紀末から20世紀初頭のロシアの作家、アントン・バーブロビッチ・チェーホフが〚桜の園〛という作品を書いていることは有名です。

チェーホフは小説の他にたくさんの演劇の台本―戯曲も書き、今でも世界中で上演されています。〚桜の園〛はそのなかでももっとも有名なものですが、チェーホフのこの作品が完成したのは1903年10月のことで、発表はその翌年、この年はチェーホフの亡くなった年ですから、まさに作家人生最後の作品であり戯曲であるわけです。その年1月の初演の時、すでに身体の衰弱していたチェーホフは「ようやく立ち上がって人々のお祝いの言葉を受けた」とされていますから(全集第10巻、松下裕氏の解題)本当に絶筆です。さらに、この日がチェーホフの44歳の誕生日だったのですから、この短い生涯に残された多くの作品にあらためて感動します。

〚桜の園〛は日本でも上演されています。私は観たことがありませんので戯曲で判断するしかありません。ストーリーは単純ながら、19世紀後半の帝政ロシア末期の状況がわからないと内容も理解できないような気がします。経済政策の混迷の中で没落しつつある地主階級と農奴解放で勃興する新興事業家。それに気づかぬ保守貴族とそれに寄生してきた学者、教師、医者などのインテリ階級、貧しい農民。桜の木々が茂る農園は地主の借金のために新興商人たちの別荘地として売りに出されますが、他人ごととしてしか感じられない女主人はこの期に及んでも散在をやめません。その土地を買い取るのはかつての農奴の息子。美しい〚桜の園〛は、競売で売られ、ひとびとは離ればなれになります。その最後の瞬間を描いたのがこの戯曲ということになりますが、チェーホフの戯曲の多くはこうした古い地主階級と新興商人階級の対立を自らの劇の思想的背景にしています。彼はまさにこうした時代に生きていたからです。

ところで〚桜の園〛というと、現在の日本人は美しい花が咲き乱れる観光パンフレットの表紙みたいな風景を想像してしまいますが、この桜は、もちろん日本のソメイヨシノみたいな見て楽しむものではなく、その実を採取するためのようです。劇の第一幕の季節は5月、まだ霜が降りるほどの寒さながら桜はすでに満開という設定なのですが、桜並木の美しさはひとこともありません。サクラの実はいうまでもなくサクランボで、日本では生食が有名ですが、ロシアではつけものとして加工される「サワーチェリー」が多いようです。現在でもロシアが、このサワーチェリーの生産量1位だそうです。劇中で(意外に重要な役を果たす)フィールスという、農奴を解放されながらもそのまま雇い主の屋敷に住み着いている老人が「―昔はサクランボを乾したり、砂糖漬けにしたり、ピクルスにしたり、ジャムに煮たりしてモスクワやハリコフへ出荷したものです」と述懐する場面が出てきます。この土地の桜は農産物だったということですが、今年は手入れもしないうちにダメになってしまったということでしょうか。

この『桜の苑』も訳者によっては『さくらんぼ畑』という日本語の題名をつけているものもあるので、本来はそういう意味合いのほうが強いのかもしれません。『桜の苑』は、売られてしまった土地から桜の木を切る斧の音が遠く聞こえてくるという、いかにも象徴的な場面で終わるのですが、サクラの樹への思いと感覚は日本人と(少なくとも当時の)ロシア人ではずいぶん違っているのでしょうね。