『白鯨』の旅(1)2020年05月24日 15:58

前回まで合計6回投稿していた『マレー諸島』の著者・ウォーレスが最初の採集旅行に出かけた南アメリカ・アマゾンのジャングルで悪戦苦闘している頃、北アメリカでハーマン・メルヴィルという32歳の青年が捕鯨船を舞台にした壮大な海洋小説を書き上げ、出版しています。日本では「白鯨」という作品名で有名ですが、原作は「モウビィ・ディックまたはクジラ」(Moby-Dick; or, The Whale)といいます。1851年のことで、この年はロンドンのハイド・パークで第1回万国博覧会が開幕されています。例によって日本の歴史にあてはめると、ペリーの黒船来航やロシアのプチャーチンの長崎来航の2年前で、にわかに鎖国日本が世界史の中に登場してくるころです。よく知られているように、ペリーが日本に開港を迫った理由のひとつは当時世界の海で操業していた捕鯨船への水・食料の補給のためですから、強引にいえば、ここでも大きな意味で歴史と文化はつながっています。

『白鯨』は確かに海洋小説です。1840年代頃、一隻の捕鯨船に乗り込んだ青年の眼を通して描かれた船内の人間模様や航海の有様そして何より船長・エイハブの異常なまでの一頭の白いクジラに対する執念によって起こる壮絶な死闘とそれによる捕鯨船の沈没―このドラマチックなストーリー展開は人々の関心を呼ぶものだったかもしれません。しかし、この小説が現在まで古典の地位を占めているのはそのためだけではありません。この作品がこうした小説的な側面を超えた破天荒な文学的、思想的な広がりをもっているためなのです。ただ、かえってそのために何だか小難しい印象があり、出版当時、この『白鯨』はあまり評価されず、売れ行きは芳しくなかったそうです。

さて、どこが破天荒かといえば、まずはそのスタイルです。小説でありながら、途中で演劇(脚本)に変わり、百科全書的なクジラに関する解説(鯨学)になり、また小説に戻る。私の読んでいる岩波文庫版の『白鯨』の訳者・八木敏雄氏は、これをモザイクと表現しています。その例え通り、この3つの区分を基本に演劇と鯨学を2つに細分し、さらに「出合い」という異なった性格の章を加え、これにそれぞれの模様を与えて一覧図に展開しています(下巻、449P)。本当にモザイクですが、八木氏はこれを色鉛筆でカラー化してみなさいと真面目に提案しています。

発表当時32歳のメルヴィルがどんな思いでこんな凝った構造を持った風変わりな小説(多分、当時だってかなり変わっていたでしょう)を書いたのか分かりませんが、実際に読んでみればわかるように、鯨学といったって科学論文ではありません。図書館で調べた知識や旧約聖書の言葉に加えて、自分の体験(彼は実際に捕鯨船に数年間乗っています)から湧き出したさまざまなエピソードを交えた思想のごった煮とでもいうべきものになっています。ただしその根底には諧謔やユーモアが流れ、作者が楽しんで書いていることがわかるようになっています。八木氏の翻訳がそうなっているので、多分原作もそんなニュアンスになっているのだと思います。こういう雰囲気は小説部分も含めてこの小説全体に感じられるもので、海洋小説ではありますが、張り詰めた緊張感つまりサスペンスというのはあまり期待できません。

とはいえ、小説部分(メインのストーリー)だけをとってもいくつか紹介したい面白さのある小説です。なお、メルヴィルはウォーレスより4年先に生まれていますが、当時の20代から30代の青年たちの活動の幅広さには今でも圧倒されます。そういえば、同じ時代の日本の幕末期の志士たちも若く行動的でした。

上の絵(岩波文庫版の上、中、下の表紙絵)は、ロックウェル・ケントという画家のもの。木版画だそうですが、原作ではなく1930年代以降の作品と思われます。雰囲気があり、人気があります。