イヌの気持ち、ウマの気持ち2016年10月13日 17:06


かなり前からですが、この歳まで読んでいなかったり、一応読んではいたが多分ちゃんと理解していなかったと思うような小説やドキュメントを読み始めています。それも基本的には古典と呼ばれるものです。今昔物語のようなものもありますが、翻訳のほうが多いと思います。これは、『カラマーゾフの兄弟』や『白鯨』などが新しい訳者で翻訳され始めたことも影響しています。

再読してみると、若いころに読んだときのほうが感動が大きかったような場合もありまずが「これはある程度の年齢にならないとわからなかったな」と思うほうが圧倒的です。

例えばトルストイの『戦争と平和』。これは(多分、高校生のころに)一度読もうと思って挑戦したが挫折していた作品で、四十代の後半にはじめて読みとおすことができました。知識もなく経験もなかった私に理解できなかったのは当たり前で、この作品はトルストイが三十代から四十代の5年間、この作品だけに心血を注いで創作した歴史と人間の物語なのです。

これは初めて読んでわけですが、先日、同じトルストイの『アンナカレーニナ』を読了しました。この作品は『戦争と平和』の次に書かれた長編で、これまた充実期の作者の心理と生活のすべてにわたるとてつもない認識力が感じられる作品です。トルストイの最高傑作であるばかりか世界文学の最高峰とも評されているほどです。

この作品は全体小説の典型といわれ、実際、登場人物は数多いですが、ほんの数行しか登場しないような人物でさえ、その人間には生き生きとした血肉が通っています。相当の長編ですが、基本の焦点は常に数人に絞られていますので、(古典によくみられるように)読者の関心をそらす散漫なところはありません。

トルストイの視点は、多くの人物の心理描写で語られます。よく冗談のように「トルストイは犬の気持ちまで書いている」といわれますが、これは本当で、主人公のひとりレーウィンの飼っている猟犬ラースカが、猟の途中で「そんなこといったって行けるもんじゃないよ」などと思っていることが書かれています。「まるでそう思っているように」ではなく、そう思ったと書かれているのですから面白いです。馬の気持ちも書かれていますがこれは無難な間接的方法です。

この作品が書かれたのは1873年。日本でいえば明治6年。この当時の西洋と日本の文化の差はあまりに大きかったように思います。

写真は中央公論社版「世界の文学セレクション36」に掲載されている挿絵で、元はソ連時代の豪華本のものとのこと。ヴロンスキーとの逃避行のなか、ペテルブルグでの音楽会にあらわれ、女性たちの冷たい視線を受ける場面。