大宮公園の桜と松2017年04月08日 12:54


さいたま市の県立大宮公園は私にとって子供のころからなじみの場所です。大宮を離れてからも、ここ数年は。主として博物館に行くためですが、月に数回行く場合もあります。普段はただ通過するだけですが、昨日(4/5)はこの大宮公園の桜が満開になった日ということもあり園内を散策。平日というのに大勢の人でにぎわっていましたが、私はこの公園ではいつもアカマツなどの松の木の美しさを楽しんでいます。

特に、瓢箪池の向こう側の緩やかな崖の上は、下草の笹と松のコントラストがきれいです。その上にある歴史と民俗の博物館の2階ロビーからこの場所を見た景色も大変気にいっています。大宮公園は“松の公園、にぎやかに~”と大宮音頭にも歌われているように昔から松の名所だったように思います。桜を植えたのはそんなに古いことではないのではないでしょうか。

現在でも、薄いピンクの桜の花の間からアカマツやクロマツの幹や青い枝葉が見える場所がかなりあって、この公園の特色ではないかと思いっています。きれいな松は特に「裏参道」付近のあまり人の多くない場所に残っているようです。写真は、満開の桜の間に顔を出すアカマツの樹ですが、桜だけが咲きほこっているよりも味わいがあります。

今年も桜の花を訪ねて歩く人がたくさんいます。ただ、なんとなく、年々、その花の色の鮮やかさが失われていくような気がするのは、私の「目」の能力が失われているためでしょうか。

戸田市を「まち歩き」2017年04月10日 09:42


埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会という団体に入っていますが、この会のクラブ活動のような形で「大江戸名所百景を歩く」という見学会を2年程のあいだ主催してきました。一応の区切りがついたので、今年度からより自由な形で「まち歩き研究会」という名称に変更して、埼玉県内外の知っているようで知らない「身近な街」を歩きながら、その地域の歴史や文化、生活風景を楽しもうという活動を続けていくことにしました。

その最初の活動をこの4月7日(金)に開催しました。場所は戸田市です。予想外の32名が参集、はじめての参加者も多いようです。戸田のボート場も初めてというひとが大多数でした。近くにありながら意外に知らない街がたくさんあることを実感しました。実は私の初めてだったのです。

集合した浮間舟渡駅を出ると目の前に「浮間ケ池」があります。ここはかつて蛇行して流れていた荒川の旧流路で、河川改修を繰り返したこの土地の歴史がよくわかるように説明版が置かれています(やや見にくい)。駅前を離れ、埼京線の高架をくぐるとにぎやかな国道17号線に出ます。昔の中山道です。道路に沿って歩き、荒川に架かる戸田橋を渡り、土手の下を右に進むと水神社の前に出ます。

向かいの旧堤防の上と思われる場所に「渡舩場跡の碑」がありました。(上の写真)。その前の変哲もない路地が旧中山道とかで、現在の国道と少しずれているようです。

堤防上の道路を反対に上流に進むと戸田親水公園に出ます。戸田漕艇場(ボート場)のある公園です。細長い池のように見える、おだやかな水面がひろがって、大学生やシニアの皆さんの競走用ボートが流れるように移動しています。岸辺には大学のボート部の合宿所や艇庫がいくつも並んでいて、まさにボートレースの聖地の雰囲気です。ここで休憩がてらの散策タイム。隣接する戸田公園の桜並木も満開、楽しい時間を過ごしました。

次いで、戸田公園駅から戸田駅まで電車で移動。戸田駅前で昼食休憩後、戸田市立郷土博物館を訪問。連絡をしていたので学芸員の方の出迎え(?)を受けました。3階にある博物館で約1時間、戸田市の古代から近世、現代まで、ジオラマなど館内の展示品を見ながら見学と説明をしていただきました。こんな具合にゆっくり街を歩くことを続けていきたいと思います。

「音羽富士」に登る2017年04月17日 17:59


早稲田(東京都新宿区)のほうに行く用事があり、何回かは有楽町線の飯田橋から神楽坂を通っていたのですが、「まち歩き」で都内を歩き慣れたせいか、地図上では意外に近そうなメトロの護国寺駅から講談社のある音羽通りをまっすぐに進むというコースを歩くことにしました。

時間は30~40分くらいでしょうか、途中に江戸川公園があり、ここは『浮世絵を歩く』で目白から歩いて下った道であることに気づき、頭の中の地図が完成しました。

こうなると次は池袋駅からで、これも都電の東池袋を通り雑司ヶ谷墓地を過ぎるとすぐに護国寺の杜が見えてきます。早稲田までは合わせて約1時間強です。まぁよい散歩道ですね。

駅名ではなく、途中にある護国寺ですが、実は境内に入ったことがなかったので、桜が咲き終わろうかという先日、参詣に。真言宗豊山派の東京大本山、江戸時代にはもっとおおきかったのでしょうが現在でも周囲を圧倒する迫力があります。特に早稲田の方から見ると、つまりは当時の江戸の中心地から参詣に向かうという視線ですが、目白台の高みにまさに山のようにそびえているためか、相当の威厳がただよいます。

珍しい緑色の桜などを眺めて帰ろうとすると、一角に「音羽富士」の場所を示す掲示板があります。山門から見て右手の方向に少し進むと、石の鳥居があり、その向こうにそれらしき高まりが見えてきます。孤立した山ではないのであまり目立ちませんがこれが音羽富士の異名を持つ富士塚のようです。敷き詰められた大小の岩、合目を示す石柱、胎内くぐりの入り口とおぼしき穴の跡(ふさがれています)。ゆっくり登ると頂上には浅間神社がまつられていました。

数メートルとはいえ、もともと台地の高台にある場所からさらに高く、頂上からの富士山の眺めは相当に良かったでしょう。同じく『浮世絵を歩く』では目黒の富士塚跡にもいきましたが、目白と目黒はいずれも同じような信仰の人々が生きていたわけです。