「音羽富士」に登る2017年04月17日 17:59


早稲田(東京都新宿区)のほうに行く用事があり、何回かは有楽町線の飯田橋から神楽坂を通っていたのですが、「まち歩き」で都内を歩き慣れたせいか、地図上では意外に近そうなメトロの護国寺駅から講談社のある音羽通りをまっすぐに進むというコースを歩くことにしました。

時間は30~40分くらいでしょうか、途中に江戸川公園があり、ここは『浮世絵を歩く』で目白から歩いて下った道であることに気づき、頭の中の地図が完成しました。

こうなると次は池袋駅からで、これも都電の東池袋を通り雑司ヶ谷墓地を過ぎるとすぐに護国寺の杜が見えてきます。早稲田までは合わせて約1時間強です。まぁよい散歩道ですね。

駅名ではなく、途中にある護国寺ですが、実は境内に入ったことがなかったので、桜が咲き終わろうかという先日、参詣に。真言宗豊山派の東京大本山、江戸時代にはもっとおおきかったのでしょうが現在でも周囲を圧倒する迫力があります。特に早稲田の方から見ると、つまりは当時の江戸の中心地から参詣に向かうという視線ですが、目白台の高みにまさに山のようにそびえているためか、相当の威厳がただよいます。

珍しい緑色の桜などを眺めて帰ろうとすると、一角に「音羽富士」の場所を示す掲示板があります。山門から見て右手の方向に少し進むと、石の鳥居があり、その向こうにそれらしき高まりが見えてきます。孤立した山ではないのであまり目立ちませんがこれが音羽富士の異名を持つ富士塚のようです。敷き詰められた大小の岩、合目を示す石柱、胎内くぐりの入り口とおぼしき穴の跡(ふさがれています)。ゆっくり登ると頂上には浅間神社がまつられていました。

数メートルとはいえ、もともと台地の高台にある場所からさらに高く、頂上からの富士山の眺めは相当に良かったでしょう。同じく『浮世絵を歩く』では目黒の富士塚跡にもいきましたが、目白と目黒はいずれも同じような信仰の人々が生きていたわけです。