「深田久弥先生終焉の地」にたどり着く2017年05月12日 13:20


JR中央線の韮崎駅。ホームに立ってほぼまっすぐに北の方角を眺めると茶色いごつごつした山並みが見えてきます。視線を左に転じると線路の進行方向のはるか向こうに、同じような感じの、しかし雪を頂いた巨大な山脈―八ヶ岳連峰が見えてきます。最初の茶色い山々はこの有名な八ヶ岳に形が似ていることから「ニセ八ヶ岳」というかわいそうな俗称がつけられていてバスガイドさんが間違えたというエピソードがあるそうです。

とはいえ、この「ニセ八ヶ岳」も1700メートル級の山々のつらなりで個性的な山容です。今回の登山(いつもの地元の山の会です)は、この山並みを東から西に縦走するように歩きました。中心は茅ケ岳です。この山は、1971年(昭和46年)に、『日本百名山』の深田久弥氏が登山中に急逝した場所として有名で、登山道の始まる場所に記念公園があります。 亡くなったのは68歳、今の私とほぼ同じ年齢です。今ではこのくらいの歳のひとは登山者の中心ですが、当時では高齢登山者だったでしょう。深田久弥氏は今では日本の登山ブームを生み出した功労者として有名ですが、経歴を調べるとなかなか聖人君子のような人間ではなかったようです。

茅ケ岳の登山道は最初はかなりゆっくりで安心していますが、女岩あたりから岩石混じりの急坂になります。この日は気温も高く、私にとってもいつもよりかなりきつく、頂上間近かのピークに建てられている<深田久弥先生終焉の地>の石碑(上の写真)にはようやく到着したという感じでたどり着きました。1971年当時の栄養状態ではこの辺で脳溢血で倒れる人がいても不思議はないように思います。

頂上付近で休憩後にアップダウンを繰り返しながら、さらに高い金ガ岳から「ふれあいの里」までの下山は、溜まった枯落葉にスリップはしましたが、なんとか大丈夫でした。中央線も甲府より先はあまり本数が少なく、帰りは珍しく特急「あずさ」に乗車してしまいました。

春日大社と三輪山(その1)2017年05月23日 18:54


奈良に行く用事があり、機会を利用して、春日大社と三輪山(大神神社)ついでに長谷寺を歩いてきました。

春日大社は当然、興福寺と一体化していますが、1日目はあまり時間がありませんでしたので、久しぶりに猿沢の池から五重塔を拝観しただけで阿修羅像などの展示は見ませんでした。春日大社は背後の御蓋山(三笠山)を神域とする非常に古い神社ですが、創建時の「鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山山頂浮雲峰にお迎えした」(神社・ご由緒)という時代よりさらに前からこの山中での祭祀が行われていたと思われます。

春日大社には摂社、末社が多い。夫婦円満の夫婦大国社などは人気らしく、日本語はじめ、中国語、フランス語、英語で書かれたハート形の絵馬がにぎやかに奉納されています。参道を奥に進むにつれ参詣者の数は少なく、次第に暗い山の中を登っていく感じがしてきます。何気ない場所に空海の護摩壇跡があったり、いまは土台石だけになっている古い建物跡などがあって尋常でない時の流れを感じさせます。

ふとみると本宮神社遥拝所がありました(写真)。ここからは「遙か先の御蓋山(みかさやま)の頂、浮雲の峰にお祀りされている本宮神社(ほんぐうじんじゃ)を拝むことが出来る」とのことですが、注連縄が張ってあり、中には入りませんでした。この奥の山上で日本の古代史にまでさかのぼる神事が行われていたのでしょう。その他、自然の植生を残す多くの巨木など歩いていて飽きることがありません。

春日大社と三輪山(その2)2017年05月23日 18:57


2日目は奈良駅からJR桜井戦で三輪駅へ。のんびりした単線が大和平野を南下していきます。水を張った水田が池のように見えます。三輪駅に近づくと進行左側に明るい感じの大きな山が見えてきます。山麓にある大神(おおみわ)神社のご神体としてあがめられてきた三輪山です。長く神職以外の入山を許さないという禁足地でしたが、現在は誰でも登ることができるようになりました。神社には以前バスツアーで来たことがありますが、今回は自分の脚で山を登ります。

三輪駅前から大神神社(三輪明神)参道までの商店街は昭和時代の雰囲気です。コンビニもスーパーもなく、代わりに雑貨店や八百屋さんがあります。山の辺の道を歩く観光客や参詣客はそれなりにあるのだと思います。大神神社の参道は掃き清められいかにも霊山への入り口という感じです。大神神社では通常の参拝。この裏に三ツ鳥居があり、そこからご神体=三輪山を拝するのが本来らしいですが、行けないようになっていますので、新たに作られた参道を通って狭井神社へ向かいます。健康を祈願するというこの神社が三輪山への参拝登山の窓口になっています。

住所、氏名、電話などを記入して受付を済ませるといくつかの順守事項を告げられ、大神神社の鈴のついた白い襷を渡されます。参拝登山中はこの襷を外してはいけない決まりです。また、写真撮影や飲食も禁止です(水はOK)。各自でお祓いをしてから注連縄を潜って薄暗い山中へ(写真)。

低いとはいえ467メートルの山ですから神社の裏山とは違います。瀧行を行う場所もありますから、小さな沢の源流部まで降りることもあってアップダウンはそれなりにあります。ただし、急な坂道はほとんど丸太と土で作った登りやすい階段がつけられています。

参拝登山者は予想より多く、学生のグループも目立ちました。トレッキングポールを持った通常の登山スタイルから背広姿のひとまで登山装備はまちまち。甘い気持で登った人でしょうか、肩で息をしながらあえいでいる人もけっこういます。信仰登山のためか裸足で登る人が数人いて、女性のほうが多いのが印象的です。神奈備(かむなび)の地ですから多くは語りませんが、神の山の象徴である磐座(いわくら)は、中津磐座が中腹にあり、頂上には奥津磐座が鎮座しています。奥津磐座には自然の露出岩石とは思えないちょっと異質な気配が漂っています。

下山後、山の辺の道を通って長谷寺方面に向かいます。途中、金屋の石仏があります。立派な建物に守られていますが、以前は三輪山の山中にあったということで、明治の廃仏毀釈の際に山麓のこの地に移されたのでしょうか。さらに進むとは初瀬川にでます。大和川の上流部で、数キロ先に初瀬ダムがあります。ここは万葉の時代、海柘榴市(つばいち)と呼ばれ栄えた交易地です。当時の大和川は直接大阪湾に注ぎ、瀬戸内海との海上交易が盛んだったことがわかります。今は土手の上にベンチがいくつかおいてあるだけの公園になっています。

この初瀬川と並行している国道165号線は伊勢に向かう道路で一部は旧道・伊勢街道の雰囲気を残す場所もあり。長谷寺への参道入口はその途中にあり、地図では近いと思っていましたが、実際には徒歩で1時間以上かかってしまいました。炎天下(この日は31°以上ある真夏日)で結構大変でした。長谷寺は参道入口からさらに20分ほど坂道を登ります。それでもバスや電車(近鉄の駅があります)などでの参詣客は絶えないようです。

奥秩父の両神山に登る2017年05月30日 12:49


奥秩父にそびえる両神山にいってきました。埼玉県内にある日本百名山として有名ですが、古くからの信仰の山、修験の山としても知られています。ただし、交通の便が悪いのと一部に険しい岩場があるので敬遠されることも多いようです。いつもの地元の山の会の定例山行ですが、今回は15人が3台の車に分乗しての大グループになりました。

カメラを忘れ、写真がとれませんでした。上の写真は「ジオパーク秩父」というサイト(ttp://www.chichibu-geo.com/dsc/marugami.html)ものです。当然ですが、この独特の山容は登山中は見えません。サイトの解説によると「両神山は、東西約8km、幅2~3kmにおよぶ巨大なチャートの岩体でできている。チャートからは、古生代ペルム紀から中生代ジュラ紀までの放散虫化石が見つかっている。放散虫の殻のケイ酸は硬い岩石をつくり、侵食に強いチャートがこのような山容をつくったものと思われる」とのことで同じ秩父の武甲山同様に古生物由来の石灰石が豊富で途中に採石場もありました。

登山道はいくつかあり、本来は「表参道」と呼ばれる日向大谷口から入り、両神神社や御嶽神社をまわっていくものと思いますが、この日は「白井差口」という危険の少ない道を行きました。この登山道の特徴は私有地だということで、このため、登山道開始場所にお住まいの山中さんという方に料金を払って登山させていただくことです。

予約しておいたので登山道前の駐車場につくと山中さんが現れ、誘導してくれます。地図を渡してくれ、「遭難した場合には料金はいりません」と冗談をいいながら、コースの説明も的確にしてくれます。経験者がいない場合はガイドもしてくれるそうです。

沢沿いに進み、流木や岩の間を流れる谷川を眺め、随所に懸けられた木製手作りの橋を渡りながら上に登っていきます。両神山中には有名な滝もありますが、水の豊富な山であることがよくわかります。沢を超えると、かなりの急斜面をジグザグに登っていきますが、あまり苦しくはありません。ただ予想に反して天候が悪く、雨にはなりませんでしたが、最初から最後まで濃い霧がかかり、眺望はほとんありません。

山頂付近には数十メートルの岩場がありますが、難しいということはありません。山頂にはごつごつした岩石がそそり立ち、人の歩く場所はほとんどない状態です。コンクリート製の社があり、なんとその隣に頭の落ちた地蔵菩薩とおぼしき石仏が転がっていました。連休のころにはアカヤシオというツツジの群落がきれいだそうですが、時期が遅く、この日はほんのわずかしか咲いていませんでした。