ドナルド・キーン先生の「最新刊」2016年05月12日 21:07


仕事やその他ややいそがしいことがあり、ブログの更新ができませんでした。

図書館でドナルド・キーンの新刊『石川啄木』を見つけました。今年の2月の発行で、内容も昨年の発表です。驚きなのは、著者のキーン氏が今年で93歳になるということです。知られているように、その戦前から日太平洋戦争、戦後を通じてのキーン氏の活動はまさに生きた文学の歴史そのものです。なにしろ、谷崎潤一郎や川端康成、安倍公房、三島由紀夫などの大作家と友人としてつきあい、翻訳し、さらにそれらの作家がすべて死んだ今でも、このような日本文学論を現在も発表し続けているのです。

じつは、私の書棚にはドナルド・キーン氏の『日本文学の歴史』15巻があります。中央公論社で1994年から1996年に出された新装判で、もとは1984年頃から順次種出版されていたようです。ただし、いつかきちんと読みたいと思いながら、現在に足るまで、理解できる部分の拾い読みしかできていないのですが、万葉集から戦後の作家まで、この文学史が取り扱っている作品量の膨大さとその解説の的確さ(これこそ、まさにナルド・キーン氏の文学感です)。これをひとりのアメリカ生まれの学者が生み出したことが信じられないような大作です。まさに日本人みんなのキーン先生です。

『古典を楽しむ』など初期の文章(これは日本時向けの講演をもとにしているのでわかりやすいです)を読んでみると、キーン先生は最初から『源氏物語』の世界にあこがれていたようで、これは意外に思いましたが、案外、日本人の気の付かない面白さや価値を発見してくれていたのかもしれません。すくなくともキーン氏はじめ、欧米の学者・作家が認めていなければ、あの『源氏物語』は非常に特殊な物語としてしか評価されなかったかもしれません。すみませんが、私にはいまだに『源氏物語』を読む能力も意欲もありません。代わりに『平家物語』を読むっていっても、それはちがいますよね。

話をもどすと、キーン先生の『石川啄木』は、生前には発表されなかった「ローマ字日記」などの日記を啄木のなかの最高の文学と評価し、その日記から浮かび上がってくる、この一種の生活破綻者の生涯を描いています。啄木が目指しながら成功にいたらなかった小説に対して、ひとりごとのように記す短歌の斬新さ。知っているようでしらないこの天才のことをあらためて教えられました。