またまた「見沼」を歩く2016年04月01日 22:09

木曽呂の富士塚の前で

今年のお正月に訪ねた「見沼」をまた歩きました(3/27)。今回は朝霞市のあさか環境市民会議主催の「環境まち歩き」です。これは私(たち役員)が企画しているものなので、いってみれば1月はその下調べの意味もあったのです。埼玉県の埼玉県中央部に広がる「見沼たんぼ」は首都圏に残された広大な自然保全地域ですが、その西南部にあたる東浦和―川口地域には見沼通船公園、川口自然公園、芝川第一調整池などの川と湿地を生かした公園施設があります。特に芝川第一調整池は新河岸川沿いの「朝霞調節池」の保全を考える上でも参考になるということでの開催となりました。

参加者は22名。コースは、北朝霞駅から東浦和駅に移動、駅のすぐ前を流れる見沼代用水西縁から通船堀(公園になっています)に抜け、閘門式の通船堀遺構を見学して八丁堀の上のかつての回漕問屋・鈴木家を訪問して近年まで使われていた用具蔵や船小屋を見学しました。また、目の前にある国の指定文化財である木曽呂の富士塚に登り、5メートル以上の高さに江戸時代のこの付近の繁栄をしのびました。
 
用水沿いの川口自然公園はこどもたちが自由に虫や魚が捕れる自然の沼地を利用した施設で、大人のための釣り堀も併設されています。この芝生広場で朝食休憩。地域ボランティアの方たちの拠点である「見沼自然の家」の前の耕作地を抜け「芝川第一調整池」へ。ここで日差しが出て暑いくらいの陽気に。かつての見沼の自然を再現したような広大な湿地帯になった調整池を眺めながらを15分ほど歩いて「浦和くらしの博物館民家園」へ、ここにはさいたま市内の来民家、商店が移築され自由に見学できるようになっています。

この日の見学会はここで解散。東川口までのバスと東浦和までの散策コースに分かれました。私は数人と一緒に芝川に架かる念仏橋を渡り、用水西縁沿いに東浦和まで歩きました。桜はちらほら咲いている感じでした。最近は、こうした舞歩き参加者には女性が多くなりました。

村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』2016年04月07日 13:51

村上春樹の小説より先にその翻訳を読むことになりました。村上春樹の書いた小説の翻訳ではなく、村上春樹が翻訳したアメリカのミステリー作家、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』です。

原作は1953年に出版されたもので、日本語訳もあります(『長いおわかれ』というタイトルで、われわれは映画の字幕でよく知っている清水俊二氏による翻訳)。そのいわばかなりの旧作を村上春樹が2007年に翻訳しなおしたのには、本人の「あとがき」によればいくつかの理由があったようです。ひとつは清水氏の翻訳が25年前のもので表現自体がいくらか「経年劣化」したこと。完全訳でなかったことなどがありますが、一番大きな動機はなにより村上自身が、この小説と作家をこよなく愛し、作家活動の指針にまでしているということにあるようです。ちなみのこの「訳者あとがき」は45ページもあり、これだけで立派な小説論、作家論になっています。

『ロング・グッドバイ』の主人公はフィリップ・マーロウという私立探偵。チャンドラーのシリーズに登場するおなじみの主人公だそうです。ミステリーですから、殺人があり、複雑な人間関係があり、どんでん返しがあります。舞台が第2次大戦後直後ですから、戦争がからんできます。もちろん、ストーリーやひとつひとつのエピソードも大変面白いのですが、村上春樹もいっているようにこの作品の大きな魅力はその「文章のうまさ」にあります。

この作品はレイモンド・チャンドラーの最晩年に書かれた小説ですが、彼の作品の中でも「別格の存在」(「訳者あとがき」)なのだそうで、村上はさらに「いくぶんおおげさな表現を許していただけるなら、それはほとんど夢のような領域にまで近づいている」(同)とまでいっています。なまはんかな共感でここまでいうことはできないでしょう。これは村上春樹という作家を理解するうえでも重要な意味が隠されているような気がします。

読んでいる途中で思いま出したのですが、この原作をもとにしたNHKのドラマが2年ほど前に放映されていました。その時は私はこういう事情をほとんど知らず、ただ雰囲気の変わった面白いドラマだと思ってみていました。日本人の俳優で終戦直後の日本に翻案した話だったのでかえって原作のイメージを引きずらずによかったのかもしれません。

翻訳単行本のデザインにも出てくる拳銃とか、5000ドル紙幣とか、主人公の好むカクテル「ギムレット」とか、この小説の中に出てくるいかにもアメリカのミステリーらしい小道具もマニアにはたまらないのでしょうね。

滝の城跡を歩く2016年04月08日 21:34

城全体が神社になっています
友の会の「古道探索倶楽部」の見学会で所沢の「滝の城跡」を訪れました(4/2)。

JR武蔵野線に乗ると、東所沢から新座駅の間で一本の川が蛇行している大きな谷間を横切ります。ここを流れているのは柳瀬川で、武蔵野台地を西から東に刻んでいて、両岸にはかなり急な河岸段丘が続いています。かなりの部分が緑に覆われ、春や夏には美しい風景を作り出しています。

この武蔵野線というのが、西国分寺駅から東所沢駅までの間、なんとも味気ない切り通しやトンネルが続くだけに、この付近にさしかかるとぱっと視界が開け、余計印象に残る場所かもしれません。左右の崖線上には古代からの遺跡が数多く残りますが、左岸にあるこの滝の城もそのひとつで遺構の形が電車の中からもよく見えます。

「滝の城」は「たきのじょう」と読むようです。八王子にある滝山城の支城として築かれたようで、後北条氏の支配下となり北条氏照の支城としての記録が残されているようです。豊臣秀吉の小田原征伐の際に八王子城と共に落城しています、

私は20年以上前にいったことがあるのですが、あらためて行ってみると本当に小さい山城です。しかし、空堀や廓の跡はよく整備されれ、架かっていたと推測される橋の場所も再現されていて、小さいだけに、本当に一目で中世の城を見学するには最適の場所のように思えます。

滝の城というだけあって、かつてはかなり大きな滝が崖のなかから落ちていたようですが、現在でもほんの少しだけ湧水があり、小さな流れを作っています。

丹沢にいきました2016年04月17日 10:26

やや季節をはずれた花のむこうに丹沢湖
地元のグループ「山遊会」の山行で丹沢山系の西部に属する「ミツバ岳、権現山」に行きました(4/12)。神奈川の屋根といわれる丹沢ですがどうも埼玉県のひとはあまりいかないようです。その理由は距離が遠いこと。今回も、早朝6時前に北朝霞駅を出発しましたが、武蔵野線→南武線(府中本町)→小田急線(登戸)と乗り継いで新松田駅に到着したのが9時過ぎ。そこからさらに40分以上バスに乗って目的地の丹沢湖に当着。登山口から歩くときには10時になっていました。

湖畔の滝壺橋(本当に滝壺の上にあります)を渡ったところから急坂の登山口が始まります。風が出てきてやや寒い感じになりましたが、坂道を登っている時は快適です。ところで、このミツバ岳という名称は通称(誤称)で、本当は大出山というそうです。頂上付近にミツマタの群落があり、春先に黄色から白に代わる特徴的な花をつけるのでこの季節に人気があります。複数の人の所有地で、かつて和紙の原料であったミツマタを栽培して出荷していた歴史が通称の語源のようです。現在はスギやヒノキが主体になっていますが、水源林としても保護されています。

ミツバ岳(834メートル)までの約90分は、多少のジグザグがありますが、ほぼ一直線に登ります。傾斜が急なのと、山の地質が崩れやすい砂状の土なので滑りやすくけっこう気を使います。ミツマタは山の中腹の各所にも見られますが、今年はすでに時期を過ぎているようです。

頂上付近にはたしかに群落があります。まだ黄色を残した花もあり、きれいです。ミツマタ以外には草花はほとんどありません。本当にミツマタの畑(ミツバタケ)です。丹沢湖方面の見晴らしはとてもいいですが、朝には駅前からも見えていた富士山はいつの間にかかすんでしまいました。どうもこの日は黄砂が飛んでいたようです。

続いて南にそびえる権現山へ。尾根伝いに約60分。ここもまた一直線の登りです。登り切った平らな場所に大きなベンチが2つあります。そのすぐ上が山頂(1019メートル)でした。ここで昼食。なお、この山の少し北に同じ名前の権現山があるので(1138メートル)こちらは世「代附権現山」というようです。

午後は一気に下山。この付近ではシカやイノシシ除けの柵が目につきます。丹沢はこうした野生動物の害が深刻なようで、立派なヒノキには食害を防止するカバーが掛けられています。薄暗い二本杉峠を経て、これまたとても急な道を一気に進むとがけ崩れの場所もありますが、やがて大きな砂防ダムのある河原へ到着しました。ここからは沢に沿って歩いていくと林道に出ます。帰りの御殿場線・谷峨駅は無人駅。登山客以外はあまり人はいそうにありません。御殿場線はJR東海の範囲になるのですね。

(追記:2日ほど多少の筋肉痛がでました)

浮世絵クラブのまち歩きで井の頭池2016年04月28日 16:43

弁天池の前で
埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会・浮世絵クラブのまち歩き「―井の頭池と野川の水車」が4/22に行われました。野川の水車は今年2回目の訪問になります。

広重の大江戸名所百景の中で1点だけ離れた場所にあるのが「第87景 井の頭の池弁天の社」です。この舞台を訪ねて、4月22日、参加者22名。朝9時半に吉祥寺駅に集合しました。まずは、吉祥寺駅から歩いてすぐの井の頭公園へ。正確には井の頭恩賜公園。東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園です。江戸を支えた水道=神田川はこの池から流れ出しています。また、豊かな水の流れる池の中にある弁財天は江戸の人々の信仰を集め、その風景を愛でにくる人々でここは名所になったようです。

神田川の起点からはいまも音を立てて水が流れ出し、池の中でも湧水が豊富な弁天島付近ではいまでも湧水が流れ、あふれているのを見ることができます。池を一周した後、近くの玉川上水へ向かう途中に「松本訓導受難の碑」があるのを地元の人が教えてくれました。大正時代に玉川上水に落ちた学童を命をかけて救った教師の美談です。

玉川上水の散策路を遡って三鷹駅へ、ここからバスで郊外にある大沢の里へ向かいます。野川ぬ向かい低地に入るあたりから景色が急に田園になります。少し前の純農村地帯だった頃、この付近には数軒の水車農家があり、それを動力とした小規模な工業生産がおこなわれていました。日本中にあった風景なのでしょうが、ここの農家は河川改修が行われる昭和40年代まで現役で操業を続け、いまは地元の方の協力で、保存された水車とその関連設備全体が機能する形態で保存されています(動態保存)。この日はボランテイア解説員に農家の概要と水車の仕組みをお話しいただきました。

この付近は国分寺涯線と呼ばれる河岸段丘が続く地域で、このため湧水が多いわけですが、そのため古代からの生活の場所ともなり、それを示す横穴墓群が残されています。水車農家を出て反対側の崖の中腹にその遺跡が保存され公開されていますので、ここも全員で歩いて見学。崖の下のきれいな湧水にも感動です。

隣接した調布飛行場の脇にある旧日本陸軍の残した戦闘機用の掩体豪、要するに飛行機の防空壕ですが、これがいくつか残され、「戦争遺産」として保存・展示されていますのでこれも見学。戦闘機「飛燕」の模型も展示されなかなか力の入ったものでした。

最後にわれわれが降りたバス停近くにある、幕末の英雄・近藤勇の生家跡と墓所(龍源寺)も見学しました。これは下見の時に偶然にわかった史跡ですが、これも含めて、今回のコースは、武蔵野地域の幕末から近年に至るまでの歴史が詰まった歴史の道であることを発見しました。

'16里山フェスタとは2016年04月28日 16:47

朝霞市内で活動する「あさか環境市民会議」の「'16里山フェスタ」が今年も市内根岸台再生林での「里山フェスタ」が、今年も4月23日(土)に開催されました。

自然保全地域である「郷戸特別緑地保全地区」は、日ごろからあさか環境市民会議の自然部会が管理を行っている場所のひとつで、明るい林と湧水に続く湿地体小さな池が市内でも有数の貴重な自然の生態系を保存している場所です。

今年は春先に高温が続き、雨も多かったことから竹の生育も盛んだったようです。この日はくもり空の元でスタートしましたが、作業終了時には青空が広がりました。児童を含む応募市民をはじめ、会員や市役所・寄居林業事務所の皆さんなど例年同様に総計70名近くの参加者になりました。

開会は午前9時、藤井あさか環境市民会議会長、澤田大介朝霞市役所都市建設部長、横田寄居林業事務所長、大岡城山町内会会長のあいさつのあと、スコップや唐鍬などの道具を手に約1時間のタケノコ堀り。作業を始めるとあっという間に感じる時間でしたが、大人数での作業の威力は大きく、ビニールシートの上には驚くほどの大きさのものも含め、予想以上のタケノコの山ができました。

続いては今年から管理を行う近くの雑木林に出かけ、主に林内のゴミ拾いなど清掃作業を行いました。

予定した作業の終了後、収穫した大小のタケノコをこの日の参加者全員にもれなく配布、最後に場所を城山町内会館前に移しての「タケノコ汁試食会」になりました。前日に同じ市内の保全林で収穫してあったタケノコをメインに野菜やブタ肉などを加え、城山町内会の皆さんのご協力で完成した味噌仕立てのけんちん汁を全員でおいしくいただきました。

この日は私もタケノコを4本もいただき、自宅で煮物やタケノコご飯にしていただきました。

品川の開東閣で藤見の会2016年04月30日 19:39

手前は入場を待つ招待客(かなりの数)

昨年の秋、友の会の「浮世絵を歩く」で品川をまわったとき、御殿山の旧史跡と大通りを挟んだ広大な森が見えました。正門は閉まっていて、三菱の施設であることがわかる程度でした。ここが「開東閣(かいとうかく)」という施設で、もとは三菱財閥の創始者・旧岩崎家の高輪別邸で現在も三菱グループの集会の場としてつかわれていることは後でわかりました。

ここはもともと旧将軍ゆかりの御殿山の一部で、明治に入り首相・伊藤博文の邸宅となり、明治33年に岩崎家が買い取り現在に残る洋館を建設したという歴史のある場所です。ということで普段は公開されていませんが、年に1回、4月の末に庭園にある樹齢400年のフジの花を見る―藤見の会ということで、招待券が必要ですが、関係のないものも入館でき、庭園や洋館内部を見学することができます。

今回、娘の関係で招待券が手に入り、関係者に交じって入館できました。中にはいると、ヒマラア杉やメタセコイアの大樹にに囲まれて芝生の広場。その向うに西洋のお城を思わせる巨大な石造りの西洋館がそびえています。戦災の跡を修復して明治44年の概観をそのまま保っているそうです。内部は改装され、会議やパーティが開催できるいくつもの豪華な部屋が続いています。

一角には、海側の崖線を利用した日本庭園と大きな茶室もつくられています。都心の一等地にこれだけの土地を所有している三菱グループですが、最近は、自動車、造船、商事と問題続出です。そのせいではないでしょうが、守衛さん、メイドさん、案内係のひとたちは、非常に丁寧な対応でした。の日の料理担当のコックさんも出てあいさつしていました。