鎌倉街道中ツ道の最終地点2016年06月07日 01:55

長久寺は一遍上人の開いた時宗のお寺です。
埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会の古道探索倶楽部が2年程前から行っている「鎌倉街道中ツ道歩き」に何回か参加しています。

6/4に開催された今回の<街道歩き>は、前回に引き続いて「引又道」を南西に進み、所沢市・久米川町にある長久寺付近で「勢揃橋」という鎌倉古道の伝承地にいたりました。写真の場所からやや下ったところです。

柳瀬川に架かるこの小さい橋は、鎌倉時代末期の新田義貞の鎌倉攻めの際に軍勢がここで勢揃いしたと伝えられる場所だそうです。

長久寺の門前にはご覧のように「古鎌倉街道」の碑が建っています(ただし樹脂製?のはりぼてのようです)。また、付近にはその雰囲気を残す切り通しの道もみつかりますし、ここから鎌倉街道上にある小手指や久米川の古戦場まではほんの少しの距離です。

「道」は軍事のためだけでなく、生活や文化の伝搬にも重要な役割を果たしますが、この地ではさらに古代の東山道大道の遺跡も発見されています。日本歴史の交差点のひとつということでしょうか。

日光・赤薙山でカッコウを聞く2016年06月17日 14:26

カッコウは左の梢に小さく見えます。
6/11(金)に日光・霧降高原の赤薙山(あかなぎやま・2010m)に登りました。6/9に予定していた山行が中止になり、急遽6名で行くことになったものです。5時半に朝霞駅に集合、1台の車に全員同乗して、和光から東北自動車道を経て日光駅へ。そこからの曲がりくなった道を登って霧降高原(レストハウスと駐車場がある)についたのが9時半ころ。

元はスキー場のゲレンデだった場所ですが、キスゲ平とよばれる草原の中央に<天空の階段>という名称の1445段の一直線の急な階段があります。階段の最後が<小丸山>で、ここから赤薙山になります。登りは、階段は使わずに斜面に沿ってつけられてた徒歩コースを歩き、途中の丸山(1689m)によってから、この小丸山に進むことになりました。コースの絵地図でみるとなだらかに見えますが実際は歩く人が少ないせいか、道は荒れていて、雨水の浸食による窪地やササが茂って下が見えない箇所もあります。結構な起伏があり、大きな石の間を注意しながら歩く感じです。いつも思いますが、登山はバランス感覚ですね(どうもこれが弱っているような気が?)。おまけにこの日はとても暑く、風もほとんどないので、私はすぐに汗をかきはじめ帽子からは汗のしずくが落ちるほど。大事をとって途中で少し(10分ほど)休憩をさせてもらいました。

小丸山についてから振り返って丸山を眺めるとほんとうに丸いきれいな形の山です。目的の赤薙山が目の前に見えます。草原状の尾根道が続いていますが、反対側には急峻な谷が刻まれていてところどころ崖崩れのあともあります。これが<なぎ>という地形だとのこと。ここには何人かの登山客が休んでいて、すでに下山してくるひともいます。このまま日光駅まで歩くとか。私は一行の最後、武部会長のあとにつき、大小の岩石や絡みあった木の根につかまりながらゆっくりした歩きで進みました。約90分ほどで頂上へ。ここまでくるとさすがにやや冷気を感じます。

どこでも、下りは一気に降りる感じ。小丸山まで少しのところでカッコウ(鳥・郭公)が近くの木の上で鳴いている場所に差し掛かりました。足をとめ全員で「観察」しました(写真)。20年くらい前まで、自宅の近くの雑木林でも初夏になるとこの声が聞こえたものです。続く下山では本当に長い<天空の階段>も利用しました。この<階段>のせいなのか、二日ほど筋肉が痛みました。

大三島のクスの巨木2016年06月19日 06:19

人物と比べると大きさがわかります。

6/12(日)~14(火)の予定で四国に旅行。小豆島をメインにしたツアーを探したのですが、結局は<しまなみ海道>を通って松山方面にいくことになりました。最初の小豆島は初日午後から雨。オリーブ園はともかく、島の中央山地にある寒霞渓に着く頃には天候が最悪になり、乗ったロープウェイのゴンドラから外が全く見えないという状態でした。翌日、雨もなんとか上がり、島を縦断。世界一狭い海峡を渡って土庄町へ。


小豆島は現在では<オリーブの島>といイメージですが、江戸時代以来、醤油醸造所が多く丸金というブランド名が各所で目につきました。バスの車窓からの観察ですが、醸造所の建物は木材を主調とした落ち着いた雰囲気の建築物ですが、そのほかにも壁に明るい茶色の木板材を使用した民家や商店が狭い街道沿いに並んでいて、とても良い景観です。少なくとも大都会圏では失われてしまった、こうした懐かしい景色を楽しみにこの島にくる人も多いようです。

港からフェリーで瀬戸内海の島々を眺めながら岡山へ。山陽高速道をへて尾道へ。ここから四国・今治まで<しまなみ海道>とよばれる6つの島をそれぞれの橋で結んだ連続連絡橋を通ります。連絡協の通過する島はそれぞれ独自の文化を持っていますから、立ち寄って、歴史や風景を楽しむための観光ルートということなのでしょう。サイクリングルートもあります。

このうち、印象に残ったのは因島の「村上水軍城」と大三島・大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)です。「村上水軍城」には博物館もありそれなりに面白いですが、いわゆる<観光城>で歴史的な遺産ではありません。大山祇神社は山の神でありながら、渡しの神でもあり、瀬戸内海海上交通の守護神として崇敬されてきた相当に格式のある神社です。ことに、境内のご神木は樹齢2600年以上というクスノキが実に立派です(写真)。どの巨木もそうですが、もはた人間的なスケールを超えていて、それどころか生物という範疇をも超えた自然の奇跡という感じをもちます。ちなみに日本一のクスノキは、鹿児島県姶良市蒲生町上久徳の蒲生八幡神社境内にあるクスノキですが、これは日本で一番大きな(太い?)巨木でもあります。ただし、樹齢としてはこの大山祇神社の樹のほうが上かもしれません。とにかく、南国にあるクスノキは大きくなります。

松山・道後温泉はきれいな観光地になっています。道後温泉は『坊ちゃん』ですが、松山では最近は『坂の上の雲』の町というイメージを出しているようです。

目黒の富士塚はマンションに2016年06月29日 19:12


目黒区の目黒川に沿った地域で、地名をたよりに、かつての風景を訪ねて歩きました。「浮世絵クラブ」のまち歩き&見学会(2016/6/24)です。

参加者は20名。目黒駅西口に集合。さっそく駅前から始まる急な坂(行人坂)を下ります。かつて、この付近から眺める風景は雄大に展望が開け、夕陽の名所であったとの説明版が目に留まりました。坂の途中には大円寺があります。遠く江戸城まで延焼したという行人坂火事(明和9年)の火元となったそうで、五百羅漢などもあります。そのすぐ下は目黒川。ここにかかるのが「太鼓橋」(「第111景 目黒太鼓橋夕日の景」)です。建て替えられた橋は当然「太鼓」状ではありませんが、今回の散歩で唯一の「実在物」ですので、ここで記念撮影。

目黒川におりて遊歩道をゆっくり上流へ。田道橋からまた坂道を登り、「第84景 目黒爺々が茶屋」の舞台へ向かいます。この付近もマンションや住宅地に囲まれていますが、急坂の続く旧道は昔通りのようです。道は狭く、住民は歩くのも大変そうですが、なんとなく浮世絵の雰囲気はわかります。当初、行く予定ではなかったのですが、近くということで「第23景 目黒千代が池」の舞台も訪問。団地のわきの崖線が池の名残りだそうですが、雰囲気はまったくありません。こんなに良い地元自慢があるのにもったいない話です。

さらに、少し歩いて旧参道沿いの「馬頭観音」や「道しるべ」を眺めながら「第24景 目黒新富士」の舞台へ向かいます。ここもまた大変な急坂ですね。崖面に置かれたいくつかの庚申塔がわずかに時代を感じさせます。ここは 目黒の新しい富士塚で、続に「黒新富士(東富士とも)」と呼ばれるようになったそうです。富士塚のあとはマンションになっています。

最後に、目黒元富士(西富士とも)へ向かいます。場所は代官山の交番脇でしたす。またしても、ここでも巨大なマンションが建っていて、富士塚どころか、ほんものの富士山も見ることができないようです。眺望のよい西南向きの台地ですから、江戸の人は富士山を偲ぶ小山を作り人をあつめ、現代のデベロッパーは「眺めのよさ」を売りに高級住宅ビルを建てて入居者をつのる。案外、その発想は似ているのかもしれません。

最後に、この目黒元富士近くにあった「朝倉家住宅」(都の重要文化財)を訪問しました。東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年(大正8年)に建てられた大正期の和風住宅と回遊式庭園を見ることができます。庭園は、かつては富士山をのぞむ眺望を借景にしていたと思われます。この地の移り変わりを感じさせる場所ではあります。