柳原通りの柳森神社 ― 2026年02月28日 12:32
JR秋葉原の駅から昭和通りを日本橋方向に向かって歩くとすぐに神田川の流れが見え、そこに架かるのが和泉橋です。以前の職場に近いこともあって、この付近はなじみの場所で、対岸の神田川の道を柳森通りということも知っていました。通りに置かれた地名掲示板に書かれていたからです。江戸の地形や歴史に興味を持つようになってからは、この通りが「江戸名所」だったこともわかって多少は注意していましたが、今回「まち歩き」で江戸城見附を順に回ることになり、最初に「浅草橋門」の跡を通って神田川沿いのこの通りを歩き始めているうちに「柳森神社」というこれも名所の古い神社があることを知りました。和泉橋から隅田川方面にほんの数分戻るだけなんですが、意外に知らない人も多いみたいで都会の中の見えざる文化財の多いことがここでも分かります。
この柳森通りは神田川の土手に柳の木を植えたことからはじまっていると思っていましたので、神社は当然その後に置かれたことになります。しかし社伝によれば 「室町時代に、太田道灌が江戸城東北方面の鬼門除けとして京都の伏見稲荷大社を勧請して創建した」ということになっています。すぐ先で隅田川に合流する神田川は江戸幕府の初期に駿河台の丘を開削してここに流れるようになったわけですので、どうも柳の森が先にあり、後になってから神田川堀割の際に現在地に移り、柳の木も堀の土手に移植されたということのようです。さらに時代がたち、徳川綱吉の生母・桂昌院が江戸城内に建立したといわれている福寿神祠が境内に置かれ、烏森神社と共に江戸三森の一社と呼ばれたとなっています。場所柄からしても日本橋に近く、船で浅草方面に簡単にいけますから、当時かなりの賑わいだったことが偲ばれます。神社のホームページに掲載された江戸名所図絵(下の絵)を見ると確かに柳の植えられた土手から川岸におりた場所に稲荷が鎮座しています。
今でも、実際におとずれると、参拝する人の列は多くありませんが、絶えませんし、決して忘れられた場所ではないようです。しかし、ほとんどの人が無関心なのは、メインの和泉橋通りからはずれ、しかも神田川の両岸には商業ビルやマンションが隙間なくたちならび、元の土手(通り)から一段低くほとんど見えないこの神社の存在感はあまり感じられません。「神田ふれあい橋」という小さな目印の先にある本当に小さな鉄の橋で川を横断すると、土手越しではありますが、神社の屋根が見えます(上の写真)が、この橋はほとんど目立ちません。
柳森通り(いわゆる土手)から神社境内を見ると確かに一段下がっているのがよくわかります。境内の一番奥にあるのが稲荷神社です。



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