白幡の六地蔵観音2017年02月06日 20:00


さいたま市のサウスピア(桜区市民センター)に用事があったのでJR埼京線の武蔵浦和駅へ。時間調整のために少し散歩することにしました、この駅は乗り換えでなじみ深い場所なんですが、駅の外には、たまに浦和方面へ歩いて行くとき以外には降りませんので、それほど土地勘はありません。

この日は国道17号線を戸田方面に向かいました。歩いたことのない道です。17号線は埼玉県南部の人には本当に日常の道ですが、広い歩道があり、春先、桜の街路樹をながめながらここから浦和方面に歩くのは気持ちのよいものです。

10分ほど歩いた右側に「白幡観音堂」とかかれた石柱が目に留まりました。両側が大きなマンションや店舗なのですが、やや開けた境内には確かにお堂らしき建物が見えます。なんとなく入ると「足立坂東第十一番」とあり、お墓もありますから、かつては大きなお寺だったのかもしれません。そして左手に見事な六地蔵があらわれました。横には六地蔵を守るかのように、大きな曲がった錫杖を抱えた仏さまを上にいただいた石柱もあります。

六地蔵には交互に茶色と青の帽子、色とりどりのマグカップ、きれいなお花も供えられています。よく見ると造花のようです。多分付近の人がていねいに手入れをしているのではないでしょうか。石柱の側面には「天明四年」と彫られています。飢饉や噴火などの災害が絶えなかった時代にここに地蔵をまつって幸せを祈った人たちの気持ちが受け継がれているようです。

「ひとり出版社」のつぶやき2017年02月10日 19:18


(上の写真は旧川越街道でみつけた巨大なウチワサボテン。内容とは関係ありません)

山岳信仰関係の文献を探していて、ある学会のリンクから岩田書院という出版社に会誌のバックナンバーを注文しました。注文品はすぐに届きましたが、その中に、この出版社の図書目録も同封されていました。

歴史、民俗、宗教などの分野の専門会社らしく、歴史論文みたいな堅い書名が数百点以上紹介されていますが、最後に『新刊ニュースの裏だより』という10ページくらいのちょっと変わった記事がおまけみたいについていました。どうやらこの出版社の編集者が出す自社のお知らせの裏に連載?しているエッセイみたいなもののようです。

これが読んでみると面白い。どうやらこの会社は「ひとり」でやっているようです。当然、協力スタッフやアルバイトはいるでしょうが、基本的に社員はひとり、社長兼平社員ということで、この形態は中小出版社にはかなり多く、俗に“ひとり出版社”といいます。つまり、このエッセイはこの「ひとり出版社」の経営者=編集者である岩田博さんののつぶやきというわけです。

専門書出版経営の難しさ、悩み、楽しみ、研究者に対する複雑な思いなどが、ベテラン編集者らしい、人柄がわかるような軽いテンポで書かれていて、関心のある人なら随所で「わかるわかる」という感じの共感をよぶ読み物です。

同社のホームページを見ると、2013年から続いているこの欄の内容が全部読めます。読者からの同社発行書籍に対する厳しくも暖かい指摘(手紙)が寄せされたという800回あたりが面白いです。代金を支払わない研究者への罵倒も痛烈です。それ以前のつぶやきを含めた、この『新刊ニュースの裏だより』をまとめた『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(無明舎出版)がなんと3冊も出ているとのこと。その世界では有名人なのかもしれません。

同社のホームページの『新刊ニュースの裏だより』
http://www.iwata-shoin.co.jp/backnews/uratop.html

この岩田さんのルポがありました。2014年頃のようですが、事務所の中がすごいです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3698

「満月ランチ」とは何か2017年02月12日 15:55


今までも何回か登場しましたが「古道探索倶楽部」というマニアックな集まりがあり、今回は「赤山道(街道)大宮道をたどる」というシリーズの2回目の見学会に参加しました。赤山道(街道)とは江戸時代に関東地方開発を行った伊那氏が、その拠点である足立郡赤山(現在の川口市)と現地を結ぶために設けた道路のことですが、台地や低地が複雑に入り組んでいる地形を縫って、水害にも合わずしかも平坦な土地を選んでつくられているため年貢米の輸送路にも使われ、また中山道が川止めになったりした場合の脇往還の役割も果たしたようです。

寒い季節にかかわらずJR東浦和駅前には35名の参加者が集合。中高年が多いのは当然として熱心な方々が多く感心します。ルートとしては、この東浦和駅からJR京浜東北線の与野駅方面にむかいます。いつものように表通りを一歩抜けた場所に古道は残っています。最初の大間木氷川神社、保科正之の養母として有名な見性院のお墓のある清泰寺をへて、いつものように古道の傍らに立つ庚申塔などを見学しながら歩いていきます。

東浦和の周辺は、かなり以前は浦和の田舎という感じでしたが、今では静かな住宅街に変身していました。途中で立ち寄った大間木の高野家の離れ座敷(茶室)では、幕末の蘭学者、高野長英が逃亡の折に立ち寄り数日間滞在した歴史を教えてもらいました。吉村明の小説『長英逃亡』の一場面が浮かんできます。

幸いあまり風もなく楽しく歩けましたが、この日のお昼は、さいたま市緑区の道路沿いにある「豆たぬき」という店にはいりました。なんでも満月というメニューがあり、その名にちなんで満月の日は半額(700円→350円)になるらしいとのことで(この日は満月)ここに立ち寄るように企画したようです。写真の様な感じで、まぁそれほど高級感はありませんがランチには十分でした。

午後2時前に目的の与野駅に到着。解散後、10名ほどの元気組で駅前の居酒屋で慰労会を行いました。

宝登山神社のオオカミ2017年02月18日 13:26


地元の山の会で秩父の宝登山へ。7時35分、志木駅を出発、寄居で秩父鉄道に乗り換え、野上駅で降ります。街を少し歩いて「ふくろや」という和菓子屋さんで「すまんじゅう」を買いました。あんこの入った蒸饅頭ですがおいしいと評判とのことでベテランの方は皆知っているようです。

宝登山までは山というより盆地を取り巻く丘陵の尾根を登ったり下りたりしながら歩いていくことなります。いわゆる長瀞アルプスです。今回は通常ルートでなく、総持寺というお寺の後ろの登山道から入りました。「神まわり」と書かれた手書きの地図?入りの標識がありまして、どうやら林の中につくられた様々な神社を現す石碑を巡るコースのようです。確かに石組の台座の上に据えられた祠や石碑が次々に現れます。途中のピークには立派な鳥居を設けた御嶽神社が鎮座していました(御嶽山)。その先の白髭神社(天狗山)で「神まわり」は終わりのようです。

少しうろうろしましたが、長瀞アルプス本道に出て、長い階段を登って宝登山頂上へ。宝登山神社は秩父三社のひとつで信仰の山ですが、現在は手軽なハイキングコースになっているようで、特にこの季節は山頂付近に植栽された蠟梅や梅の花を目当てに登山客も多いです。もっとも多くはロープウェイで長瀞駅から来る人たちです。この日は月曜日でしたがかなりの人出がありました。

宝登山頂上には、蠟梅園の明るさと対照的に杉の木立に囲まれた暗く静かな一郭があり、ここに宝登山神社奥の院があります。観光で登ってここに参詣するひともかなり多いようです。数年前の火事のためとかで神社は新しいものですが荘厳さは十分にあります。秩父の神社に特長的なのは狛犬がオオカミであることです。ここの狛犬も新しいですが、かなり写実的なオオカミの姿になっています。

この狛犬のモデルとなったニホンオオカミは100年ほど前に絶滅したとされていますが、今でもその存在を信じている人はいます。オオカミ信仰はこの土地に暮らす人々がかつて自然と一体になった生活をしていたことの象徴だと思います。

神社の起源を学ぶ2017年02月23日 20:05


日本には一説で10万以上ともいわれる神社があります。伊勢神宮のように巨大なものもありますが、山裾の石の前に置かれ施設を持たない無名の小さな鳥居も含めればおそらく数え切れません。そんな日本の神社の起源はどこにあるのか―そんな興味深い内容の講演会をききました。2/19に行われた埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会講演会「祭祀遺跡と神社の成立」です。講演者は國學院大學教授の笹生衛先生。

事前に配布された資料にはなかなか読めない漢字がならんでいて、難解な講演かと思いましたが、意外にわかりやすく、神社という言葉が使われ始めた時代やその時の神社の形態、環境などを文献調査で証明し、また、それを現在発掘されている古代の祭祀遺跡と比較しながら確認していくという方法で解説していただきました。

特に私が関心を持ったのは山や岩、島などの自然物も神の「居場所」になるという考え方です。笹生先生の講演では奈良の三輪山と福岡県宗像市の沖ノ島について触れていましたが、美しく神秘的な山が信仰の対象になる事例は日本にはきわめて多く、奈良の三輪山は日本の古代文化発祥の地にあったからこそ今でも山岳信仰の見本になるような確固たる伝統を持っているのだろうと思います。沖ノ島も大和と朝鮮を結ぶ中間点にあるという位置から信仰の対象になったものと思います。また、山から流れ出る清流のあることや島であれば清水が湧き出ることなども信仰には大きな要素ということです。

沖ノ島には宗像神社の沖津宮がありますが、この島は簡単に参詣できない禁忌の島で、いまでも女性は立ち入ることができないそうです。今年の夏には世界文化遺産の登録申請がおこなわれるとのこと。

(上の写真は大宮・氷川神社内の宗像神社。バックに神池と神橋)