「鎌倉街道を歩く」に参加2016年02月17日 20:46


嵐山史跡の博物館主催の「文化財めぐり2─鎌倉街道を歩く(鳩山町~嵐山町)」(02/12)に参加しました。

同博物館の40周年記念企画で行っている見学会シリーズの第2回目です。けっこう人気があるらしく、1月の1回目は3倍の倍率だったそうです。今回は多分運よく「当選」ということでしょうか。博物館側の準備もかなり熱心で集合場所までのバスが出る坂戸駅には担当の学芸員さんが立って案内し、バス停まで同行してくれました。集合場所の鳩山町役場では、博物館の学芸員、ボランティアの友の会?の皆さんなどかなりの協力者が集まっていました。館長も一緒に参加です。

さて、今回の企画は、博物館の趣旨は「文化財めぐり」ですが、なんといっても(報告者が)注目したのがこの地域に残る鎌倉街道伝承地を実際に歩けることです。特に今宿から笛吹峠を経て大蔵館跡にいたるルートは、舗装された現代の道がありますが、そのやや東よりに伝承の鎌倉古道の跡があるらしく、博物館の作成したガイドブックの地図上でも点線で示された「山道」があり、本文には「こちらが上道である可能性も高い」と謎めかして書かれています。

場所としては、探せばわかるとはいうもののやはり専門家同行のもとの確認が必要です。大橋の石仏群や鳩山中学校脇の畑の中の鎌倉街道跡を歩いたあと、いよいよ笛吹峠へ。峠下の林中の小さなお堂「はぐれ堂」の地蔵菩薩像は鳩山町内最古とのこと。名前の由来にも伝説が残ります。少し上がった途中にある「海道端沼」という溜池のそばからいよいよ山道へ。別段急な坂があるわけではありませんが、篠竹が生い茂り、先日の雪のなごりなのか、頭上に垂れ下がる小枝でトンネルのようになった場所や地面がほとんど見えない箇所もあり、ほとんど人がとっていないことがわかります。

さらに進み笛吹峠付近の将軍沢では進行方向に直行する「観音道(巡礼街道)」と呼ばれる間道が現れます。これをたどって行くと現代の「鎌倉街道・笛吹峠」へ出ます。休憩所になっているので一休み(なお、笛吹峠は新田軍と足利尊氏軍が戦った古戦場です。『太平記絵巻』では<うすいとうげ>とよみがふってあり碓氷峠との説もあったようですが現在はこの地が定説との説明あり)。また下の古道にもどり歩くこと10数分、将軍沢の藪を抜けると隠れ里のような谷間に出ます。ここは古代の窯跡のあった場所だそうです。さらに進んだところが明光寺。町内最古の板碑があります。
 
このあと、源義賢の墓や広大な土塁と堀割の遺構が残る大蔵館跡さらに都幾川の段丘沿いの山王遺跡を見学。中世の歴史が豊富に残るこの地の貴重さを再確認しました。なお、山王遺跡は菅谷館の西にあり、かつてはここにある掘割が鎌倉街道跡とみられていて「街道の碑」も立っていますが、現在ではここではなく国立教育会館の中央を通っていたと考えられるとのことです。古戦場といい、道といい、中世の場所の確定はなかなか難しいものです。