赤塚城を訪ねる2019年04月06日 13:23


東武東上線に下赤塚という駅名があり、板橋に赤塚という場所があることは知っていました。ただ、そこが鎌倉方面に向かう古道の要衝であり、小さいながらお城もあることは知りませんでした。

先日、古道探索倶楽部という団体に同行し、埼京線の戸田公園駅から、この下赤塚駅までの道を歩きました。古道というのは上尾方面から都内に入る「与野道」の一部で、途中に荒川(中世は入間川でしょうか)があり、地名をとって「早瀬の渡し」と呼ばれます。

この渡しを渡ると、荒川の河岸段丘、さらに武蔵野台地の崖線がかなり厳しい地形を形成していますが、まさにその場所にあるのが赤塚城です。康正2年(1456年)に、市川城から移った千葉自胤によって築城されたと伝えられています。伝承によれば、それ以前に源頼朝が挙兵後に徳丸の地を通過した際に立ち寄ったともいわれているようですが、当然ながら、正確なところは不明です。

本丸とされる場所は東端の段丘の上に築かれており、かなり広々とした平地になっていて、今では市民の憩いの場という感じです。北側は「徳丸ヶ原」と呼ばれる湿地帯だったそうで(現在の高島平)、現在、ここに残っている池は赤塚城の内堀だったとされています。上の写真はこの池から撮っています。

また、二の丸跡とされる高台には、赤塚山乗蓮寺という寺院があり、そこにあるのが東京大仏です。50年ほど前の創建ですが、ややつやのあるきれいな黒色をした、かなり見事な毘盧遮那仏です。