新緑の季節2019年05月01日 17:07


今年の春は暖かいのかそうでないのかよくわかりませんが、それでも近くの公園から山里まで、木々の間を歩けば、ソメイヨシノの花に続いて、ブナ科の木々やケヤキなどの広葉樹、アジサイのような低木まで、一斉に若葉を芽吹かせ、いつも通りの「奇跡の春」を展開してくれます。

3月27日の突然の寒波襲来で、予定していた三つ峠山登山が前の日に急遽中止になりました。この日は北アルプスで数人の遭難者が出ています。「春登山は危険」というのは山の世界での常識のようですが、この季節は、時に夏を思わせるような陽気にもなりますのでうっかり油断をしてしまうのではないでしょうか。

犠牲者のひとりは79歳になる埼玉県の方のようです。遭難から発見までの経緯をみると単独行のように思えます。多分、相当の経験者だとは思いますが、危険の予想される山でのひとりでの行動はやや軽率と思えます。私なんかはアルプスどころか、1000メートルくらいの山でもひとりでいく度胸がありません。経験がないんだから仕方ありませんが、こういう用心深い性格のほうが事故は少ないと思います。ただ、妙に軽率―考えなしに行動するというところはありまして、多分、このへんは性格というより能力の問題の様な気がします。反省しても次の時にはまた同じようなことをやります。これは死ぬまで治らないでしょうね。

登山の代わりではありませんが、歩いていける森林浴ということで、これはたびたび訪れる平林寺(新座市)の周囲を2~3時間かけて散策。境内はもちろんですが、付近にも周囲にも武蔵野の雑木林や小川が点在して、気持ちがいいです。残念なのは「睡足軒の森」が改修中で入れなかったこと。オリンピックを控えての化粧直しでしょう。

写真は平林寺の惣門。

春日部の円空仏2019年05月06日 11:20


円空というのは江戸時代の初期の修行僧です。日本各地を廻りながら、手彫りの仏神像を制作したことで知られています。いわゆる円空仏です。仏像は京都や奈良に圧倒的に多いのですが、この円空仏は中部から関東・東北にそのほとんどが存在することでも特異な仏像群といえます。その数は、10万以上ともいわれますが、現在確認されているのは5300躯ほどのようです。多くは出生地の岐阜県や愛知県などで数千以上、その次が埼玉県というのですが、数はかなり下がって170躯ほど、寺院に限らず地域の豪農などでも発見がされるため、総数については現在も確認が続いているようです。

埼玉県にも多いといいますが、そのほとんどは日光街道に沿った地域で、このことは円空が日光に参拝するために、この地を訪れたことを示しているとは多くの研究者が指摘しています。5月3日から6日まで、日光街道の宿場町だった春日部市の観音院という古刹でこの円空仏の展示―いわゆる御開帳が行われるということで、好天の4日、同好の仲間と一緒にこのお寺を訪問しました。

この付近は江戸時代初期に不動院という本山派修験の中心のひとつがあったようで、円空はそこに滞在していたのかもしれません。経緯は不明ですが、この不動院関連の観音院には現在7躯の円空仏が安置され、すべてが埼玉県指定の文化財に登録されています。通常は保安上の理由から県立博物館に寄託されていますが、この時期に里帰りして、多くの人に公開されることになっています。

東武線の北春日部という静かな駅から約15分、古利根川のゆるやかな流れを超えたところにある観音院は、檀家のない寺ということで地元の方々の力に支えられているとのことですが、この御開帳も有志による実行委員会が行っています。かつての繁栄を思わせるような二階建ての壮麗な山門が出迎えてくれますが、仁王像は破損が目立ちます。山門からすぐこれも古い本堂があります。お目当ての円空仏はこの本堂に、こちらを向いて安置されています。7躯のうち、4躯は数十センチの小さなサイズの神仏です。うち1躯は役行者像ですが、修験道の聖地ですから、これも神様になっているのです。

そして本堂正面に大きな3躯。左から不動明王立像、聖観音菩薩立像、毘沙門天立像とすべて立像で、私たち拝観者は座りながら横に移動して拝見します。暗い本堂の中で、かなりの迫力で浮かび上がっています。木造なのですが、玉石のように、赤見を帯びた表面が、輝いて見えるわけではありませんが、暗い本堂の奥で大きく見えるのが不思議です。

富士塚と新河岸川舟運2019年05月14日 14:00


埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会のまち歩き研究会、今回は県・西南部にある志木市の「富士塚と新河岸川舟運の遺構」を中心としたまち歩きになりました。午前10時、東武東上線の志木駅に25名が集合、無風快晴、まことに上天気になりました。テーマが多いため、今回は地元の「志木のまち案内人の会」の方々(6名)にご同行いただき、懇切な説明をいただきました。感謝です。

志木駅前からさっそく解説がはじまります。駅横を通る志木街道が、昨年行った「野火止用水路と平林寺」の続きとなる用水の流路となり、暗渠化して地下を通っているのです。この用水が新河岸川を越え、宗岡と呼ばれる水田地帯にまで到達しているのは志木の繁栄のひとつのカギです。

 野火止用水路と水車、市場通り

この街道を歩くと、推定地1カ所を含む3つの水車場跡が確認できます。野火止用水路は産業の振興にも役立っていたわけです。やがて、街道は「市場」と呼ばれる、かつての新河岸川の河岸場近くの通りに出ます。両側には往年の繁栄の跡を残す蔵造りの大店も残す独特な商店街になります。そこに「富士道」という横丁が出てきます。これが富士塚に至る参詣道のようです。進んでいくと石の鳥居の向こうに大きな山が見えてきます。近づくと緑の草木の間に巨石、巨岩が配置されています。これが田子山富士塚で、隣にある社殿よりも目立つのは、この富士塚は合祀で探勝した敷島神社より古くから存在しているためのようです。

 立派な富士塚に感動

 ここから富士塚の解説になりますが、ここの保存会は、山開きやお正月はもちろん、毎月の暦に合わせて会員が常駐して、解説を行っているということです(たぶん数ある保存会の中でももっとも活発な活動をしていると思います)。この日も深瀬保存会会長はじ、メンバーが参加者25名を3つのグループに分けて、その歴史と塚のいたるところにちりばめられた石碑などの文化遺産を案内してくれました。中でも注目すべきは、麓の浅間神社下社に祭られているご神体の板碑。これは、富士塚の造営(明治4年)に先立つ、暦応3年(1340)、つまり中世期の富士信仰の記録を残す逆修の板碑なのです。ここに富士塚以前から「田子山」という塚が存在していたという記録は、富士塚の形成史の上でもきわめて重要なことです。この富士塚が埼玉県指定の文化財になっているのも、保存状態の良好さとともに、この意義が評価されたものとされています。ここで集合写真をとりましたが、一部画像に汚れがあり、修正しました。結構きれいにできています(上)。

 頂上から雪の富士山が見えた!

説明後、3つにわかれたグループは保存会のご厚意により、山頂に登り、浅間神社を遥拝することができました。ここで、この日の好天気が幸いし、南西の方向に、雪をいただいた富士山を眺めることができました。実際に頂上から富士山を仰ぐことも富士塚の大切な構成要件なのです。

無事に下山後、御胎内なども見学させていただき、再び市場大通りへ。ここで明治のままの風格ある商店や門などを見学、さらに、野火止用水が新河岸川を越える際の水道施設である「いろは樋」の木製の桝や樋の模型展示(ポケットパーク)や明治のレンガ造りの遺跡などを見学したあと、新河岸川沿いの小公園で、この志木の青梅や八王子付近の荷も運んで栄えたというこの引又河岸と舟運の盛衰を聞きながら休憩と昼食。

午後も、志木の歴史は続きます。まずは、三代の堤防。これは、昭和の堤防、最新の平成の堤防、そして江戸時代に宗岡村を囲んだ江戸時代の3つの堤防が並んでみられる場所です。特に江戸時代の堤防が現在も生活道路路して使われながらほぼ完全に残っているのは貴重な文化遺産ともいえるものです。この江戸時代の堤防を歩きながら、明治につくられたレンガ造りの「北美圦樋」(市の文化財)や水害に備えて敷地内の微高地に建てた水塚とよばれる水防施設が残されている民家の見学など、興味深い散策を続けました。

最後に、荒川の堤防に近い羽根倉の浅間神社内に造られている富士塚「羽根倉富士岳」を見学しました。この富士塚は治水対策やバイパス工事で2回の移転を余儀なくされていますが、立派に再建されてて、これも地元の方々の熱意を感じることができます。

3度も標高が変わった武甲山2019年05月17日 14:48


秩父にいけば目の前に見える武甲山。秩父神社のご神体でもあります。しかし、現実には戦前から続く石灰岩の採掘で、悪いことに秩父市街から見える北側斜面の山肌が屑られた山という印象になっています。それでも埼玉県の名峰として今でも登山者はたくさんいます。今回はこの武甲山を登り、さらに子持山、大持山をめぐる縦走コースに参加しました。

5月11日(土)午前5時半、7名の参加者が2台の車で朝霞を出発、関越道と皆野寄居有料道路を通って午前7時40分過ぎ、狛犬が4匹のオオカミという武甲山御嶽神社の大鳥居に到着しました。5月の連休期間中はツツジなどの花を楽しみに登山者が多いだろうという情報で、この日(5月11日)に延期したため、途中の渋滞はありませんでしたが、それでも神社内の駐車場はすでにかなりの満車状態でした。タクシーで来る人たちもかなりいます。

8時前に登山開始、まずは武甲山頂上を目指します。秩父から見える武甲山のいわば背中側を登っている感じです。鬱蒼としたスギの木立の中、黙々と進むとすぐに暑くなってきます。皆さん、Tシャツ姿になり真夏の様相ですが、まだまだ風が吹けば心地よい余裕の季節です。これから暑くなるんだなぁ!。

登ること40分ほど、岩の割れ目から流れ落ちる不動の滝の水場到着。ここには頂上のトイレ用の水ボトルが置いてありボランティアで運ぶことを呼びかけています。さらに少し登ると巨大なスギがそびえる休憩ポイントがありました。名前はなく、ただの「大杉広場」のようですので、よい名前はないかと全員で考えましたが、縄文杉に匹敵する妙案はなく、当面は「巨大なスギ」にしておくことに。斜面の中にはときおりサクラなども見えますが、下草はバイケイソウやマムシグサなどの有毒植物以外にはほとんど見当たりません。ここもシカの食害でしょうか。

その後もたんたんと歩き続けて10時過ぎ、いくつかの建物が見えてきて、一気に頂上に到達。途中で先ほどのトイレ用の水を運んできた人(全員ではありません)がマンホールに注ぎ入れます。雨水とこの水とで浄化槽を動かしているようです。

頂上には標高1304メートルの標識がありますが、その横に1336-41+9という謎めいた数式が書いてあります。実は武甲山は、(ウィキペディアの説明では)「もともと1900年(明治33年)の測量では標高は1336メートルを記録されていたのですが、山頂付近も採掘が進められたために三角点が移転させられ、1977年(昭和52年)には標高1295メートルとされた。2002年(平成14年)に改めて三角点周辺を調査したところ、三角点より西へ約25m離れた地点で標高1304mが得られ、国土地理院はこれを武甲山の最高地点と改め、地図上では1295mの三角点と最高地点1304mの両方を表示することとした」というややこしいことになっていまして、この経緯の記録のようです。途中ではまだ1295メートルになっている標識もありました。

展望台からは山の南面に広がる秩父の市街が一望できます。曇り気味の天候でしたが、盆地の西側にはやや蛇行する荒川と中央の秩父大橋、その向こうの丘陵に広がる緑地は公園でしょう。中央付近には羊山公園がありますが、芝桜が終わったためかそれほどはっきりは見えません。いくつかのセメント工場の規模の大きさが実感でき、眼下には採掘された石灰岩の崖がひろがっています。

ここから縦走が始まります。子持山までの1時間半くらいはちょっと疲れました。大きく下ってからシラジクボなどいくつかのピークを通過し、けっこう険しい岩場を越えていきます。この辺から広葉樹の林がでてきます。時期を過ぎたようですが、いくらかツツジの花が残っている場所もあります。眺めのよい場所からは、霞んでいましたが、両神山や甲武信岳などが遠望できました。子持山には12時頃に到着しましたので、日陰を選んで昼食休憩。ここの標高は1273メートルで、振り返ると降りてきた武甲山の後ろ姿がくっきりと見えます。石灰岩採掘で崩れた正面(秩父盆地側)と対照的な穏やかな感じです(上の写真)。

次いで大持山。ここはそれほどのアップダウンがありませんが、それなりの岩場もあり面白いコースです。大持山には13時30分到着。大持山山頂にはこの山で修業をした人の御札がおいてありました。平成の年号ですから、今でもこのコースを廻っている修験者がいるということです。われわれも、ここで終わりでなく、次は妻坂峠まで進みます。ゆるやかな下りもあり、樹林の中の気持ちのいい尾根道です。北側の斜面になるためか、咲き残ったカタクリの花も見られました。途中、木立の向こうに15メートルはあると思われる巨大な岩がありました。あとで合った登山者が「クジラの様な岩」と表現していましたので、あらためて「クジラ岩」と命名しました、

妻坂峠からは、登山前、神社前を流れていた生川を源流から下る感じで谷に沿って一気に降りていきます。谷沿いには色鮮やかなシダなどの植物が茂り、あっという間に出発した武甲山御嶽神社の大鳥居に着いてしまいました。

妙義山の岩場2019年05月31日 18:49


群馬県の妙義山は手軽なハイキングコースとしても人気がありますが、実は日本でも有数の上級登山路が併存している危険な山でもあります。私は高校生のころ一度、数年前にも一度登っていますが、いずれも一般道を踏み外さない範囲での山歩きですから、この山の危険度は知りません。今回、体験(経験)ということでやや難易度の高い岩場を中心にしたコースに挑戦しようといういことになりました。

ということで通常の記録は残しませんが、経過だけをいいますと、妙義山の登山口のうち、この山の玄関口である妙義山神社のある白雲山登山口とは反対側の中之岳神社から入る登山口から歩き始めて、まずは石門めぐりコースへ。石門とはこの山の代表的な景勝地で、ようするに橋の形に中央部がくりぬかれている奇岩群で全部で5つあります。この石門の場所自体がかなり険しい崖の間にありますから、鎖などを使って登ることが多くなります。ただし、ここはまだ一般コースです。

第4石門からいよいよ「上級者コース」に入ります。『一般登山者は立ち入らないでください』というさりげない案内があります。ここからは中之岳に登ります。中之岳は金祠山という大きな山の一部です。ちなみに、妙義山はこの金祠山に、先ほどの白雲山、そして、金鶏山という3つの山のことをいいます。金祠山から白雲山までの山頂付近がすべて危険個所です。金鶏山にいたっては「登山禁止」となっていて、これは通常はいきません。

ただ、今回は「岩場の訓練」ということで、私としては初めてこの禁断の場所に踏み込むことになりました。いくつかの岩場を鎖で乗り越え、これはそれほどでもありません。そして、いよいよ中之岳の頂上をのぞむ、多分20メートル以上はありそうな2段になっている、ほぼ垂直な断崖の下に到着しました。これはそこそこの技術力(と腕力)を必要とする感じです。

結果としては、一応登りました。ただし、下りの最後あたりで手を滑らせてしまい、左腕に擦り傷をつくってしまいました。皮膚の裂傷ですから10日間くらいでほぼ目立たない感じまでになりましたが、これは教訓です。岩場では頼りになるのは自分だけですから、甘く見てはいけません。初心者で反射神経もいいとはいえない私は、難しいと思った場面では遠慮して、楽しい登山を楽しみたいと思います。

写真は中之岳の頂上。神社があります。ここも信仰の山なのです。