苗場山の大自然2022年09月09日 13:28


苗場山は新潟県南部、長野県北東部の県境に位置する標高2145mの火山です。火山とはいえ噴煙はあがっていません。情報では山体は溶岩・火砕岩からなる成層火山となっているので30万年前と思われる古い時代に何度か噴火を繰り返したすえに、頂上部全体が緩やかに傾斜した広大でほぼ平らな溶岩台地になり、しかも特徴的なのはこの山上台地の周囲がすべて急峻な外輪山と浸食作用により切り立った断崖で区切られていることで、いわゆるテーブルマウンテンということになります。


テーブルマウンテンといえば、コナン・ドイルの有名なSF小説『失われた世界( The Lost World)』(山頂に恐竜がいる!)のモデルになっている南米・ギニア高地がよく知られていますが、日本ではこの苗場山が代表格らしいです。平坦な山容はわかっていましたが、テーブルマウンテンという言い方は実にぴったりと思いました。


しかし、それだけに登山・下山はどのルートをとっても相当に厳しい。今回も地元の山の会の男女6名、行きは上越新幹線・越後湯沢駅からタクシーで北東中腹の和田小屋まで入り、染み出る豊富な水でほとんど沢の中を歩いているような箇所を進み、にわか雨にも負けず、神楽峠を越え、最後の急登も乗り切って、2145mの山頂へ到着しました。小屋の固い布団で一夜を過ごし、翌朝、一転した青空のもと、彼方の山並みまで茫漠と広がる湿原を見ながら下山。北西の小赤沢方面に降りるコースでしたが、これまた登り同様、沢筋がそのまま登山道になっているので、大きな岩がごろごろする悪路の典型のような道を一歩一歩、大変です。謙虚なわれわれはほとんどの登山者に道を譲りますので時間はさらにかかります。すれ違う中には80歳だという剛毅そうな単独登山者、小学1年生の女の子―みんなすごいです。6時間以上かかって3合目に到達しました。



今回は広大な苗場山のほんの一部を東西に横切っただけでしたが、山頂の別世界である大湿原とこれを取り巻く自然、特に中腹から続くブナを主体とした樹林帯の自然景観は、通り過ぎただけの者にもすばらしいと感じられました。「苗場山麓ジオパーク」という自然公園になっているようですが、テーブルマウンテン苗場山塊として世界に誇れるものでしょう。願わくば登山道をもう少し楽にしてもらえばまた行けるかも


下山後、予約していたタクシーで赤湯温泉に寄ってもらってから飯山線、ほくほく線(北陸北線)という典型的なローカル列車の旅のあと新幹線。短い時間の中で多彩な行程を楽しむことができました。


個人的ですが、ひと月前の金峰山で痛くなった左膝が、前回の岩割山に続くこの2日間の過酷なアップダウンの結果かなり改善されました。やはり原因は筋力不足のようです。

築地川は流れる2022年09月17日 13:36


来週予定の「まち歩き 隅田川テラス」のため、まだ調査をしていなかった佃大橋から勝鬨橋までの地域を歩いてみようということで、久しぶりに地下鉄の茅場町駅に降り、新富町方面に向かいます。この辺りが8月の中旬に暑さでリタイアした場所です。ここから佃大橋に向かうわけなんですが、じつはこの新富町付近というのは私が20歳代のころ仕事でよく行き来した場所なので懐かしさもありちょっと寄り道しててみました。


そのころから、この付近にはやたらに「橋」とか「川」とか「堀」という文字の付く地名が多いなとは感じていたんですが、余裕もなく、何かを調べるということまではしませんでした。30歳代から40歳台になってからも深川方面に行く機会が増え、往来の合間に随所に残るかつての河川や運河の跡を歩いたりして、当時、たまたま見つけた仙台掘川に架かる古い鉄橋(亀久橋)のような過ぎさったものになにかロマンを感じたりしていました。多分、今になって「まち歩き」なんかを始めたのはその感覚の延長だと思いますが、確かに東京(というかと古い街)の面白さはそこにあり、現在の再開発と称して建設された整然とした街並みにも、その見えない地下にはこうした歴史が眠っています。われわれが探しているのはわずかに残った川や堀そして道路や公園に姿を変えたその名残りなのです。


この日、茅場町駅から佃大橋方面に歩いていましたが、地図をみると隅田川方面に曲がらずに直進すると「築地川公園」という明らかにかつての川の様相を残す空間があります。築地川が東銀座にかつてあった河川・用水であることやそのかなりの部分が(前の)オリンピックの際に埋め立てられ、首都高速道路に転用されていることは知っていましたが、その築地川が今度のまち歩きの最終段階で行く勝鬨橋右岸の波除神社付近で隅田川に合流していたという情報を読んだことを思い出し、この川がいまどんなふうに変化しているのかを知りたくなりました。


いったように、晴海通りの東銀座付近で交差している高速道路がかつての河川跡であることはここを通るたびに感じていました。果たしてこれが築地川の本流で、地図を見ると(地下が築地川である)この道路はしばらく南西方向にに直進した後、浜離宮庭園付近で地上に姿を現し、浜離宮と旧築地市場(跡)の間を通って隅田川に注ぎます。しかし、私がこの日新富町の入船橋でみた公園は本流でなく支流で、これが波除神社付近をとおっていたのです。本流の始めはどこかというと少し上流で隅田川から分かれていますから、築地・晴海地区をかなり縦横に流れていることになります。要するにこの川は神田川やその分流の日本橋川のように台地から東京湾に注ぎ込んでいる自然河川ではなく、かつての埋め立てで残された排水路みたいな機能をもっていたのでしょう。


築地川の河道は多くが高速道路などとして暗渠化されています。ただ、私がこの日、立ち寄った築地川公園の入船橋付近では90度曲がる付近が運動広場になっているので、かつての川の形跡がそのまま残されています。写真の一番左奥が入船橋です。(上の写真)なんてことはない街の風景になっていますが、地形の面白さを感じてください。