金峰山の五丈岩 ― 2022年08月15日 09:23

深田久弥は『日本百名山』の中で甲州の金峰山を「秩父山群の王者」と呼んでいます。金峰山という山名は日本中にあるようですが、本家である吉野・大峰山脈にある金峰山(金ノ御嵩)は吉野山から続く大峰山脈の総称で普通は山上ヶ岳のことを指します。現在まで女人禁制を守るこの山上ヶ岳は大峰山脈最高峰ですが標高は1719mですから、関東の金峰山の方が高く(2599m)しかも『日本百名山』にはこの山が入っていますので、今ではこちらの方が有名かもしれません。そして、この山が江戸時代以前から山岳修験の中心として修行者の信仰を集めてきたのは、どうみても山頂の岩稜帯、特に五丈岩の力にあることは間違いありませんが、わざわざ金峰山といわれたのには何かいわくがあるのでしょうか。(この記事は地元の登山の会「山遊会」のブログと同じ内容です)
修験研究家?としては、この金峰山にも何とか登ってみたかったのですが、瑞牆山荘から入る通常のコースは難易度が高く往復の時間も長いということで遠慮していました。それが地元の登山の会で、標高差が数百メートルですみ、3~4時間くらいで登頂できる「大弛峠コース」があるということを知り参加することになりました。じつは、7月の中旬に一度出かけたのですが、最新カーナビのお告げで選んだコースが渋滞もあって大幅に時間がかかったうえに、最後はこれ以上無いくらいの悪路でほとんど河原のような道をガタガタ揺られて着いた大弛峠駐車場は超満車で留める場所もない、おまけに雨も降ってきたということで、予定時間が遅れていることもあり、むなしくリタイア、市内まで降りて勝沼インター近くの老舗蕎麦屋さんでほうとうや蕎麦定食を食べて帰りました。(久しぶりの本場のほうとうはなかなか美味しかったものの)こういう悲劇は大きい山に登る場合は仕方ありません。
気を取り直して、8月の7日、今度は大丈夫と「登山指数A」であることを確信して朝霞を早朝4時半、車1台で出発しました。男女5人は同じですが女性メンバーひとりが交代しています。運転は本日も、前回の悪路で奮闘したS氏です。今回は一転すべて順調で、渋滞もなく、舗装された道路を選んで進み、午前8時半前には目的の大弛峠に到着しました。それでもすでに満車状態ですからいかに人気の場所であるかがわかります。
早速登山開始。金峰山は古い信仰の山ですし、この峠を経由して奥千丈岳や甲武信岳さらに雲取山など奥武蔵の中核を形成する名だたる山々にも行けますので登山路がいくつもあるのですが、われわれは朝日岳・金峰山コースです。さっそく深い樹林の中を切り開いた急斜面の登山道を登り始めます。とはいえ、ここはすでに2200mを超える標高の亜高山帯。ブナの木などもあるみたいですが、周囲の樹木のほとんどは枝を斜め下に伸ばして雪に耐えるモミの一種シラビソでほぼ単一琳です。気温は15、16℃くらいのようで涼しいを少し通り過ぎています。快晴とはいきませんが、青空が少し見えそうな薄曇り、ただ湿度はかなり高いので歩くと汗ばんできます。
1時間くらいは深い森の中を進む感じ、中間点の朝日岳直前に岩場があり、そこを過ぎると樹高が幾分低くなり、岩稜帯が続く広々したアルプス風の高山風景になってきます。岩の陰には背の低いマツやシャクナゲも目立ちます。シャクナゲは常緑広葉樹なのにこうした寒く雪の多い場所にも平気で咲くという強い植物で、初夏に来ればここは見事な花であふれることになります。
ここをしばらく進み、午前10時前、朝日岳に到着。標高は2579mで、谷を挟んで雲の間から金峰山の品格を保った雄大な山容が望めます。霧が少し晴れた瞬間、山頂やや左側に特徴的な五丈岩が確認できました。間の谷はみかけほど深くもなく、もう少し、もう少しと頑張ってるうちに一気に空が開け、午前11時過ぎ、ハイマツと大小の岩に覆われた金峰山の山頂稜線に到達、ここにもあるケルンの横で一休み。目の前の深い谷の間を黄色いホシガラスが悠然と飛び去るのが見えました。

ただ、ここからが大変で、見渡す限りの一面に大きな岩石が複雑に積み重なった道?を右往左往しながら進みます。危ない場所ではないのですが、バネのない私は時間がかかります。この日、登山経験があまりないという女性が新規に参加しましたが、全然余裕な感じで、これはどこに行っても大丈夫ですね。
30分くらいかかって五丈岩が聳える頂上付近に到着です。巨大でまるで古代遺跡のように角ばった五丈岩は遠くからも異形ですが、眼前にすると十分過ぎる迫力。この大岩は金櫻神社の本宮で御神体なんですが、登ってしまう人も結構いるようです。ちなみに、金峰山は全山がマグマ噴出に由来する花崗岩でできているようですが、五丈岩自体も科学的(地学的)には黒雲母花崗由来の昇仙峡深成岩体とかで「氷期の凍結破砕作用によって花崗岩の岩体が破壊され節理の特に大きいところが塔状に残ったもの」(山梨のジオサイト)と説明されています。多くの山にはこうした不思議な形状の岩が残っていますが、当然、人間の時間的スケールを超えた自然現象ですから信仰の対象になるのも理解できます。こうした成り立ちから甲州の昇仙峡はいろいろな宝石で有名ですが、この金峰山も水晶の産地のようで、金は出なくとも宝石は出るわけです。周囲を眺めると、他にもこうした突き出した塔のような岩稜が特徴の山が目立ちますが、やはり北西に聳える瑞牆山がひときわ目を引きます。西の空は雲が多く残念ながら富士山は見えません。

日陰で昼食後、来た道を引き返します。岩石の多い登山道は足も痛めますし、疲れますが、朝日岳から先の下山路は林の中の静かな歩きでした。大弛峠駐車場にもどり、すぐ横にある金峰山小屋に寄ってアイスクリームを食べていると小屋の管理人さんが出てきていろいろな話をし始めました。車で来られる場所なのであまり泊まる人はいないようですが、登山客も手伝いに頼んでひとりで運営しているが経営は大変、おまけに国立公園で自然保護区なので屋根の修繕ひとつにも行政の許可が必要で難しい―など相当な話好きなので今後小屋を利用する人はご用心ください。
峠からの帰路、市街地に出るまでほとんど人家は無く、たまに出会うのは登山者と釣り人だけです。千曲川の支流や釜無川など多くの河川が源流にもなっているこの山の自然の豊かさとスケールの大きさを改めて感じました。
山中湖で相模川の源流をみる ― 2022年08月31日 15:21
山中湖の近くにある石割山に行きました。この山は富士山の南東部に連なる道志山塊のひとつで一般的には初心者向きのハイキングコースとして親しまれています。目の前の山中湖を挟んで富士山とまっすぐに向かい合っている山ですから、当然、雄大な山と湖の絶景が見られるはずでしたが、夏の終わりの水蒸気のつくる厚い雲に邪魔されて、日本一の山はほんの少し裾野を見せただけでした。朝、富士急行電車の電車の中からは雲を貫いて富士の山体が確認できていたんですが、真夏に富士山は見えないようです。かなり昔のこと、夏季に地理巡検で数日間、伊豆の韮山に滞在しましたが、いつも靄のような雲に邪魔されて完全な富士山の姿が見られなかった思い出があります。最近では、7年ほど前の夏、本栖湖畔でキャンプをしたとき、近くの毛無山に行く途中の朝霧高原牧場から見た富士山が素晴らしかったのを覚えていますが、これも朝早くでした。
ただ、今回は気温が割合低かったこともあり、頂上(1412m)を含めて千数百メートルの稜線歩きは楽しいものでした。石割山は信仰の山です。登山道の入口は手入れの行き届いた気持ちの良い鳥居で、そこをくぐってスギやコナラの雑木林の樹林の中を一直線に延びる数百段の石段を登ります。少し行ってまた階段。そして8合目付近にある巨大な岩がご神体の石割大権現様である石割石です(上の写真)。高さは20メートルくらい、富士山の外輪火口の一部ですからこれは巨大な火成岩ですが、その真ん中、垂直に大きな刃物で切れ込んだような割れ目があり、これは、人間の体の幅くらいしかない細い隙間なんですが、「神秘的」と神社案内にあるようにどんな太った人でもなんとかくぐることができるのだそうです。火山地形によくある「胎内くぐり」の類ですが、ここまできれいに割れているのがご神体たる所以でしょう。
麓から山頂までの全山、草木の茂った森林に覆われ、登山道沿いにもシカよけの新しい網が張り巡らされているのでわかるように植生も良く保存されているようでたくさんの花や木の実を見ることができました。地形マニアとしては最後の湖岸でバスを待つ間に、マリモ通りから相模川の源流である桂川が流れ出ている場所を確認できたのが収穫でした(下)。

山中湖は今から1000年以上前の噴火により流出した鷹丸尾溶岩流が当時の桂川を堰止めて形成されたと考えられています。流れ出た鷹丸尾溶岩の最終地点の露頭は観ることができるそうなのでいつか行ってみたいです。
ちなみに、この山中湖形成噴火の少し前にも、有名な「貞観噴火」と呼ばれる富士山の大規模噴火があり、この噴火で埋没した旧古代湖が分裂してできたのが現在の西湖と精進湖、本栖湖です。河口湖も噴火活動により約5000~2000年前に誕生したとされていますから、世界遺産・富士山の景観と風土は意外に新しい時代にできたものだというのが面白いところです。今後も、われわれの世代のすぐあとに思いもかけない天変地異が起こるかもしれません。
ついでに気づいたことですが、山中湖の南岸に沿う道路に「旧鎌倉往還」の表示があります。山中湖付近は中世から江戸時代まで東西の旅人が行き交う主要街道であり同時に参詣道でもあったのですね。「富士参詣の道を行く」というガイド地図も見つけましたので、ここにもひとつ楽しみな古道・散策路が発見できました。
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