チェーホフと人生の意味2022年02月19日 12:15


ロシアの作家であり医師でもあったアントン・バーヴロヴィッチ・チェーホフのことはこのブログの記事でも何回か取りあげています。また、このチェーホフの個人全集(ちくま文庫版他)の訳者である松下裕氏のことも書いています。特に変わった事件が起こるわけでもない人生の一場面を、時にユーモラスに、時に悲惨に、時にあたたかく描き出し、深く考えさせる数多くの作品を驚くべきエネルギーで生み出し、そしてそのすべてが小説として面白く、時代も風俗もまったく違う上に、ロシア文学特有の登場人物の複雑な名前に混乱しながらも、とにかく読者を心地よくさせる―そんな作家です。


昨年から時間を作ってその全集を再読してきました。あらためてこのチェーホフという人物について想いをめぐらしてみると、その作品論はひとまず置いておくとして、なんといっても、44歳という、現在では考えられない若さで、結核により、その生涯を終えていることに驚きます。1860年(日本流では万延元年)に生まれ、1904年(同じく明治37年)に亡くなっています。19世紀後半から20世紀初頭は医学や科学技術の進歩した時代ですが、現在に比べれば(結核も含めて)治療の難しい病がはるかに多く残っていました。医師という自身の職業から予防知識もあったとは思いますが、同時代の他の作家と比べてもチェーホフの生涯は短いと思われます。


同時代の日本の作家の例をみると、夏目漱石が1867年(慶応3年)生まれですが、没年は1916年(大正5年)ですから、これも若いとはいえ54歳でした。漱石と並び称される森鴎外はチェーホフと同じように作家で医師でしたが、1862年(文久2年)生まれで 1922年(大正11年)に没しています。当時でいえば標準的だったのかもしれませんが60歳の生涯でした。


チェーホフをはじめとした、こうした偉人たちが去ってから約100年の後に私たちは現在を生きています。見上げるような先人たちの短い、しかし渾身で生きた一生と、現在の、たとえば自分自身の人生を考えてみると、比較することさえ恥ずかしい。あらためて、100年前の彼らがその短い人生の中で残した業績の大きさに圧倒されます。


最近、はやり言葉のように「人生100年時代」というフレーズがあらゆる局面で使われています。人間も動物ですが、ほとんどの病気の治療法が確立した現代では、それを享受できる経済的な基盤を持ち、かつ長寿に不可欠な健康法を行えば、その多くが100歳くらいまで生存できるのだそうです。『旧約聖書』の創世記には「神が人間の寿命を120歳とした」と書いてありますが、これは生物学でも真理だそうで、どんなに健康な人間でも120歳くらいになるとそれ以上の細胞分裂ができなくなるらしいです。その8割ですから、人生100歳説は誇張ではないことになります。


しかし、その一方で、その限界寿命の半分も生きていなかった上のような人たちが、時代を超えた文学作品や書き、絵画やすばらしい音楽、信じられないような芸術作品を残しています。このように、人生の価値というか、その軽重をはかる物差しは、後代の人が評価できる何かを生みだしたかどうかあることは確かなようです。そんな思いは過去にも何回かしていますが、いまや人生の最終段階?に差し掛かっている当方としては、もう言葉もありません。


しかし、そうなると、市井の片隅に潜む名もなき者たちの人生には価値が無いのかということにもなりかねません。もう、立場がないという気になります。ここからやや強引な人生論になりますが、人生や人間の生活の意義は芸術や学術研究の世界だけにあるわけではありません。実際のささやかな生活の中でも、その働き方や工夫、技術や行動ときにはその人柄で、ほんの狭い範囲の中であれ、周りの人を慰め、癒してくれて、いつの間にかわれわれのまわりから消えていく人々がいます。そうしたひとは今この瞬間にもどこかにいます。そのひとたちはわれわれに、小さいですが、思い出すたびに懐かしくさわやかな「思い出」を与えてくれます。人生の価値は、周りにいる人たちに何を与えたかでも決まるということをしみじみ思います。


「職業に貴賎はない」というのは、どんな小さな仕事でも何かの役に立ち、誰かに感謝されているという意味です。人間の生活は、上から下まであらゆる階層の人々の営みで成り立っています。そこには、とても影響力の大きく見える活動もあれば、目に見えないほどのひそやかな行為もありますが、悠久の時の流れの中で、それぞれがそれぞれの役割を果たしているのです。生きている価値はそこにあるだということで、ひとまずこれで安心しましょう。


(上の写真は、ちくま文庫版の「チェーホフ全集」のカバーから)