飯能のシダ道2024年02月13日 11:33


埼玉県西部の飯能市は山と川の街ですが、山のほうで有名なのは多峯主山や天覧山、そして川といえば高麗川(地元では名栗川)というところです。多峰主山より西に連なる山領群―天覚山、子の権現さらに伊豆ヶ岳(850.9m)までを「飯能アルプス」ということもあり、これはけっこうハードな登山路でもあります。一方、これらの山々と高麗川を挟んだ反対側にはゴルフ場や工場地帯がありますが、その中にもいくつかの魅力的な山があります。


今回、その中の柏木山と龍涯山を歩く機会があり、なかなか面白い発見がありました。この2山と多峯主山と合わせて「飯能三山」とよばれることもあるようですが、いずれも標高300メートルそこそこの低山ですから全部回ってもそれほど大変ではないと思います。ただ、山と山の間はゴルフ場や工場を見ながらの歩きとなりますので時間はけっこうかかるかもしれません。


この日は3人で行ったのですが、ネットで見つけたごく簡単な概略図と駅においてある観光地図だけを頼りの手探り登山です。周囲も良く見渡せ、心配がないこともありますが、観光地図もよくできていて感心しました。最初に登った柏木山は、知人から「あるシダの北限自生地がある」との情報をもらっていたのですが、確かにネットで調べると「シダ道」というのがあります。バス停「永田会館」というところで下車、高麗川をわたって10分ほど進むと緩やかな登り道に出ます。途中、ジャンダルムという恐ろしげな名のついたピークもありますが、その先の周回路のひとつがシダ道のようです。切り通しの道をゆっくり下ると確かに両側に大きなシダの群落が現れます。2~3メートルはありそうなウラジロシダのようです。一角には地元の有志が作ったと思われる説明版も立てられています。この2つの山とも、自治体などより、地元の方々が自分たちで管理して設置したという感じの施設が多いです。手作りのベンチや景観スポットで周囲の山々をのぞけるようになっているスコープ風の竹筒など、ほんとに楽しいものばかりです。


シダ道はかなり長いです。どうしてこの場所だけに群生しているのか不明ですが、飯能自体は南北の気候帯の境目にあり、植物も豊富で独特のようです。天覧山にはハンノウザサというもあるらしいです(観光地図より)。木の上に産卵するモリアオガエルも有名ですね。柏木山は全体が自然林でクヌギやコナラ、ヤマザクラなどに覆われた雑木琳が中心で、今は深い落葉にうずもれていますが、春夏秋は美しいのではないかと思います。


柏木山を下るとなんとなく新興住宅地風のきれいなの街並みが現れます。キューピーの工場や巨大な建設用品工場などが続き、その周囲を歩くと次の龍崖山というこれも小さな山が現れ、その麓には谷間を利用した大きな公園が造成されています。登山道はその公園からです。焼山というピークに小さなクサリ場があったりしますが、全体的にここも自然林とヒノキの植林地に覆われた気持ちのいい山です。



山を抜けると、高麗川の河原に下る道があり、あらためて、ここが「吾妻峡」という渓谷に位置していることがわかります。ドレミファ橋という円柱状の渡り石で川を超えたところに金蔵寺という古い寺院があるのですが、関連した八耳堂という聖徳太子信仰のお堂や中から由来書が見つかったという市の文化財の宝篋印塔などがあり、手前の小さな池と合わせて、なんとなく神聖な雰囲気を漂わせています。龍崖山は大河原氏という地域の豪族の山城にもなっており、歴史は深いのです。永田大杉というバス停から駅までのバスが出ていますが、ここから御岳八幡神社に続く道がありそこをたどると多峯主山に行けるようです。

鴨川源流まで歩く2024年02月24日 13:41

以前の記事で紹介した「西浦和駅からの鴨川源流歩き」の第2回目が先日行われ、なんとか上尾市と桶川市の境界付近に位置する「源流」までたどり着くことができました。以下はその記録です。



第1回は西浦和駅近くの荒川合流点から大宮西部の水判土付近まで歩き、今回は、水判土付から最終地点である上尾市と桶川市の境界近くにある源流地点まで、全員(今回の参加は23名)で歩いてみました。


2024年(平成6年)2月16日(金)、午前10時、JR大宮駅・西口南改札前に集合。水判土方面のバスに乗車して、新大宮バイパスを超えて、前回の最終地点に到着。そこから見える「水波田観音(慈眼寺)」へ向かいます。


水判土という地名はいかにも水の豊富な土地(あるいは湿地帯の田畑)を想像させますが、観音堂はここにまるで小さな城のように聳えています。鴨川低地からみると、地形が一段高く、かなり派手な朱色で目立つ水波田観音堂です。確かに社伝をみると、岩槻・太田氏の支配下にあった時代には砦としても機能していたようです。もともとは、慈眼寺の祈願所として観音堂があり、それが「(大宮)水波田観音」として地元の人たちの信仰を集めてきたようです。歴史資料によれば、古くはこの観音堂が慈眼寺の本堂であり、現在の本堂は書院であったようで、観音堂の本尊、秘仏として安置されている千手観音菩薩の尊像は、開祖である慈覚大師円仁が一刀入れるごとに三回礼拝して謹刻されたものと伝えられています。なお、水波田観音の像は、慈眼寺の秘仏として観音堂の中心の宮殿の中に安置されており、宮殿の手前に御前立(おまえだち)と呼ばれる化身の仏像が安置されています。私の過去の記憶では、境内にキツネ穴があったと思いますが、近年の改装の際になくなったようです。


水判土観音から慈眼寺の本堂参拝を経て裏手へ。元の地形を想像させるように、とにかく狭く曲がりくねっている道を用心深く歩いていきます。この辺りはほとんど川岸を歩くようになっていない(その気がない?)ので、鴨川を渡って直接「新大宮バイパス」に出ます。歩道橋でバイパスを超えますが、この17号・16号バイパスの工事は静かだった大宮西地域の自然・景観を一変させた大工事でした。この前後に鴨川の河川工事も行われたのでしょうか、この付近にも鴨川の蛇行跡があります。


少し先、新大宮バイパスに沿って南北に細長い地形に造成されているのが「三橋総合公園」です。広さは約10.3haで、温水プールが有名だそうですが、全体が三橋総合公園のすぐ隣を流れる鴨川の治水(遊水池)の役目を担っていることがわかります。川沿いの遊水池はアシ原が広がり、池と湿地が混在するビオトープで、かなりの種類の量類・生物が生息できそうです。市民にはこちらが歓迎されるでしょう。東浦和の芝川遊水地ほど大きくはありませんが、これは良い公園だと評価できます。


公園で休憩後、両岸に広がる団地やマンション、ゲームセンターを眺めながら淡々と進むと、行く手に工事中の橋と埼京線の鉄橋が現れます。苦労してくぐりますが、鉄橋は越えられないので、回り道でその先にある番場公園へ向かいます。鴨川沿いの細長い児童公園で、子供広場と呼ばれる芝生広場の北側の一角に立つ圧倒的に大きな複合遊具が特徴らしいです。


ここから程遠くない、日進町の北側、鴨川の東側に隣接し、南北に約350m、東西で約70m、面積が約2万㎡の雑木林を「三貫清水緑地」といっています。この地の南北中央に「鎌倉街道」が通り、その西側の低地に、水深1m程度の沼地が2箇所あり、「三貫清水」と呼ぶ場所があるためです。この地の伝説で、中世の太田道灌が、この辺りに狩りにきた時、土地の人がこの清水を汲んで茶をたてて出したところ、「とてもうまい」といって三貫文の褒美を下さったとのことで、「三貫文の値うちのある湧き水」という意味で「三貫清水」という名前が付いたといわれています。私の記憶では小学生のころにもきたことがあるんですが、「鎌倉街道」も「太田道灌」も記憶にありません。自然保護を行っているボランティア団体があるのですが、近年は夏でも湧水が出なくなったということを聞きました。


このあとは、鴨川を淡々と歩き続けます。上尾市に入り、富士見親水公園を越え、揺木橋付近に「向山不動堂」という指定文化財の彫刻を持つお堂があり、ちょっと寄り道。近くの道路にはの左袂に「あきは道」と刻まれた庚申塔が立っていてかつての往来を忍ばせます。この橋付近が、河川法上の鴨川の起点らしくここまでくると川幅も狭く、川というよりは排水路という感じになってきます。


最後の兜橋(市道323号=上尾環状線付近)が鴨川の源流で、ここで、川は終わります。橋の直下にぽっかり空いた直径2メートルはあろうかという異なる方向に向かう巨大な2つの排水路(トンネル)から、地下に沸いた水がたまり、地上の水路=鴨川に流れ出ているのがわかります。源流の水というのはどこでも岩(土)の間から染み出てくるものです。かなり人工的に見えますが、これが鴨川の源流で間違いないでしょう。


ただし、有名な「鴨川源流域の碑」という記念碑は、ここから15分ほど先、JR桶川駅近くの「さいたま文学館」駐輪場付近に建てられています。あくまで「源流域の碑」で「水源の碑」ではありません。兜橋付近は行政上は上尾市でしょうか。鴨川はこの付近で、台地上の湿地から湧き出したいくつもの流れを集めて下流へと流れていたのでしょう。ここから、桶川駅を越えて中山道に向かって土地はゆっくり登ってはいますが、実際の標高差がほとんどないこの地では大きな谷をつくることもなく、特定の場所を源流とするこことも難しいのでしょう。付近の地名である「井戸木」や「泉台」も湧水の多い地形を示しているようです。


個人的なことですが、このあまりぱっとしない川とその流域が私の故郷の原風景なのです。今回、下見を含めて全部で5~6回、この川に沿って歩き、懐かしい風景をたくさん見ることができました。


(おまけ 「ずずむき橋」の謎)


ところで、鴨川歩きの最終地に近くづくころ、中央公園付近に「ずずむき橋」という橋が架かっているのに気が付きました。漢字表示はありません。どんな文字なのか、どいいう由来なのか。気なって調べてみると、同じような「すずめき川」という地名が、東京(成増)と埼玉(和光市)の間を流れる白子川付近にあることがわかりました(現在は暗渠になってしまっています)。説明では「百々向川: 別名として<百々向川>とも書かれていることがあります。この川は、かつては「百々女木川」とも呼ばれ、光が丘公園付近から始まり、成増駅付近を通って、旧白子側に合流していた川でしたが、現在は暗渠になっています」。語源としては「音や鳴き声からの命名とされ、川の流れる音や雀の鳴き声にちなんで名付けられたと言われているようです。


細い川の流れが絶えることがなかった時代の様子を示しているのでしょうか。現在の「ずずむき橋」には洪水監視用のライブカメラがセットされていますから、今でも雨季には水が洪水のように流入することがあるようです。

とうとうコロナに感染2024年02月28日 14:58


ここ数年というか、多分もう10年数以上、風邪ひとつ引かず丈夫なだけが取り柄の私だったのですが、とうとう「コロナ(新型コロナ感染症)」に感染してしまいした。前回記事で書いたように2月の16日(金)に「まち歩き」でさいたま市の西部(水判土付近)から上尾をとおってJR桶川駅までの「鴨川あるき」を行い、午前10時から午後3時半過ぎまで、かなりの強風が吹いてはいましたが、それほどの寒さもなく無事に歩きとおし、最後はサイゼリアでコーヒータイムまで楽しむという余裕がありました。(写真はその時の模様です)


翌日もさほどの疲労感はなく、よせばいいのにまた2時間近くの散歩をしてしまいました。それが悪かったのか、日曜日の午後からなんとたく身体がだるくやや熱っぽい感じがしてきました。ただこういう容態はこれまでもたまにあり、だいたい一晩寝れば回復してしまうのが通常だったのですが、今回は翌日の月曜になっても依然として発熱状態が続いていました。


翌火曜日は仕事の関係で千葉県まで出かける用事があったのですが、ここは大事をとって先方に1週間延期を連絡しました。ただ、発熱とはいえ、さほどの熱でなく(37.5度くらいでつらくもありません)、コロナは高熱が出るときいていたので、これは違うと思いましたが、火曜日になっても状態が変わらないため、念のためという感じで、近くの内科医を受診。ここで「熱がある」といったとたんに発熱外来扱いで態度がかわり、通常と違う場所で待たされ、やや時間をおいて、防護服に身を包んだドクターが現れ、検査キットで鼻水をとられてあっというまに「コロナ陽性」のマークを示され、「5日間の自粛」を言い渡されました。


ただし、ドクター曰く「最近のコロナは症状が軽い。普通に生活していれば感染期間が終わります」とのこと。薬も発熱、痛み止めなどの対症療法のものだけのようです。


ドクターの言う通り、2日もしないうちに発熱もおさまり、ほぼ通常の状態になったのですが、困ったのはノドの痛みです。これが4日ほどつづき、実際上はこれが大変でした。とはいえ、私の場合、眠れないほどひどくはなく、発熱から1週間でほぼすべての症状は改善しました。


私は都合により昨年秋の最新ワクチン(オミクロン株対応)も接種していなかったのですが、どうもワクチンをうっても感染はするようで、あとは個人の免疫力・体力の問題のようです。あなどってはいけませんが、やはり日ごろの運動や睡眠・食事に対する心構えがより重要なようです。過労だけは気をつけますが、通常の生活態度は変更する必要はなさそうです。