浜名湖の姫街道を歩く(1) ― 2024年03月25日 17:26
1日目
風光明媚で、西の琵琶湖の「近つ海(近江)」に対して「遠つ海(遠州)」と呼ばれた愛知県浜松の浜名湖は、その南岸(太平洋海岸寄り)を主要街道である東海道や東海道線・東海道新幹線などの鉄路が走っています。一方、その北から西側側には浜名湖を迂回するように「本坂通り」と呼ばれる東海道の旧街道が通じています。東名高速道路はこちら側ですが、浜松や遠橋という都市が連なる南岸に比べ、相当に地味な印象です。江戸時代以前にはこちら(北側)の方が東西交通の主要道だったようで、江戸期にも一時、南の湖岸が地震により崩落して交通の障害になる時期があり(今切口)、その際にはこの北岸ルートが使われたようです。また女性連れの旅人が多かったことから「姫街道」とも呼ばれ、今でも地元ではそう呼んでおり、最近は観光のキャッチフレーズとしても利用されているようです(下の図はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)。
この姫街道(現在の街道は国道261号線と362号線)自体は、旧街道とはいえ浜松と豊橋という大都会の間にあることに変わりなく、高速道路とも接していますので、交通量は結構多く、道路もよく整備されています。しかし、この街道が古道歩きの人に知られているのは「引佐峠」と「本坂峠」という、この区間に2つある峠道に江戸期の面影を残す山道(古道とよびます)が残っていることではないでしょうか。正確には古道の面影を残すのは、天竜川左岸の見付宿から豊橋の御油宿までの工程らしいですが、やはり中心は2つの峠ということでここを中心に2日間かけて歩くという計画をたてました。
あとで考えてみれば、2つの峠に至るまでは普通の舗装道路なのですから、歩くだけでも大変そうですが、昔の人のように一日歩き続けるという体験も面白いということで、まずは、JR浜松駅から遠州鉄道というローカル線で姫街道に接する「自動車教習所」という小さな駅に向かい、ここから姫街道の旅となりました。駅の前がくだんの姫街道ですが、金曜日ということもある、車の行き交う狭い2車線の道路で、どこにも旧街道らしい雰囲気はありません。しばらく歩いているうちに道は広くなり、左側に「三方ヶ原追分の一里塚」が現れました。この付近から道の両側の古民家もなんとなく旧街道らしい感じになってきました。そして大きな松並木が出現、やっと旧街道を歩いているという実感がしてきました。長さ約4キロにわたって続く「姫街道の松並木」です。樹齢200年越えの樹もあるそうですから、まさに江戸時代からここにあったことになります。樹の1本ずつマークが付けられ、地元の人が大事に保護していることが分かります。車が通るとはいえ、この程度ならかつての排気ガス時代も乗り来えられたんのでしょう。

午後になり、前方に低い山並みが迫ってきます、これからたどる引佐峠方面でしょうか。そして、ようやく「気賀宿跡」のいくつかの遺跡に到着しました。地図(今回、私はスマホのGEOGRAFICAというアプリを使用)をみると、西気賀駅付近で現在の姫街道から右に分岐した旧道があるようで、この坂道を登っていきます。時刻は午後2時すぎ、ここまで4時間近くあるいています)。道は谷の奥まで大きくカーブして引佐峠に向かっています。後で分かったのですが、途中の「子引佐の石畳」という風光明媚とされる地点(上の写真)から、この旧道とは別の「古道」があったのですが、気が付かず、そのまま峠付近まで舗装された旧道を歩いてしまいました。1時間以上の時間のロスと山道歩きの機会を失いました。しかし、この旧道、立派な2車線で傷んでもいなようですが、たまにツーリングのオートバイが通る程度でまったくひと気がありません。湖岸を通る新道(現在の姫街道)との差が大きいようです。古道の存在に気が付いたのは引佐峠にさしかかる直前で、小さな公園があり、ここで旧道と古道が接触していました。古道には峠の説明板なども立っていますから(登りは避けて)ここから歩くという人もいるんでしょう。引佐峠に着いたのは午後4時過ぎです。

ここから今度はほぼ登山のような古道歩きになります。要するに舗装されていない山道です。少し行くとこの峠の名所「象泣き坂」(上)にさしかかります。江戸期に日本にやってきた象(アジアゾウでしょうね)が長崎から江戸まで旅する道中、この坂に苦しんで泣いたという伝説が伝えられている場所です。確かに急ではありますが、この巨大動物には山道全体が苦難の連続だったのでしょう。この古道にも一里塚跡があり、本当にこの山道を多くの旅人がたどったことが実感されます。けっこう距離があり、いつしか道は山を抜け、ミカンの木が目立つ里におりました。三ケ日の里です。ここでウグイスの声が聞こえました。翌日はもっと聞くことになりますが、天気が良く、暖かかったこの日が私の今年のウグイスの初鳴き日です。
しかし、時刻はすでに5時を越え、まだまだ明るいですが、少し先を急がなければなりません。この道が姫街道の古道であることは確かなんですが、本道に出る近道はないかと思うものの、人の姿が全く見えず、訪ねることもできません。しかたなく、地図のとおりに素直に歩いて、東名高速道路をまたぎ、なんとか姫街道本道(国道362号線)にでました。ここでようやく人の気配のする場所になり、近くのコンビニから出てきた若い女性に浜松までの帰り方をきくことができました。電車とバスがあるとのことで、バスの停留所にむかいます。しかし、なんと上りも下りも午後4時台で終了! 仕方なく、それほど遠くない天竜浜名湖線の西気賀という駅まで歩き、その無人駅で時刻表を見ると数分後に新所原という東海道線の駅行きが来るようです。この線もこれを逃すと1時間くらい待たないといけないようでした。車両1台、運転手がひとりというバスのような典型的なローカル線の旅で暮れ行く浜名湖を眺めながら一安心、地方の交通事情を甘く見てはいけません。
浜名湖の姫街道を歩く(2) ― 2024年03月29日 11:49
2日目
2日目はいよいよ本坂峠越えです。朝、7時半ころ、浜松駅から東海道線で新所原駅に向かい、そこから昨日乗った天竜浜名湖鉄道で三ケ日駅へ向かいます。三ケ日駅の目の前が「姫街道」ですから、ここを豊橋方面へひたすら歩くのは予定の行動でした。街道には、昨日同様、まったく人影は見えません。静かな町をひたすら歩き続け、小さな橋を越えるあたりで前方に目指す本坂峠方面と思われる山々が見えてきました。山並みの南は湖西連山に連なっているはずです。1時間ほど行くと右に登っていく道路脇に「姫街道」の標識があります。緩い坂を上るとここに「本坂の一里塚」がありました。道の両側の塚がきちんと残っているのはこの街道でもめずらしいようです(上の写真)。するとここが姫街道の旧道ということになりますが、道は少し先でまたもとの舗装道路(現街道)にもどってしまいます。
やがて道が次第に緩い登り坂になっていきます。地図で確かめてみると、もう少しで「本坂トンネル」に着きそうですが、もちろんこれは現在の街道の話、旧道はこのさらに上の中腹を通っています。そこにあるのが「旧・本坂トンネル」で、私はそこに向かうのですが、昨日に続き、旧道の近くにある古道がすぐに見当たらず、少し遠回りですが「椿の原生林」と標識があるあたりまでは舗装路を進みました。「椿の原生林」は最近あまり花が多くないという情報を聞いていましたが、着いてみると確かに山の南斜面を通る古道の両側にはツバキを主体とした常緑樹林のようですが、花は探さないとほとんど見つからない感じです。この山全体も昨日の引佐峠と同じで、スギやヒノキはありますが主体は常緑樹林で、関東(以北)の山々のようにクヌギやコナラといった落葉のブナ科の木々はほとんどなく、林内は暗く、落ち葉も少ないようです。
ここでツバキの道が古道になっていることがわかりましたが、それほど大きな回り道でもないので、昨日のように時間がかかることを考えて、トンネルを越えるまでは旧道をいくことにしました。ところが簡単なはずの旧本坂トンネル越えが結構大変。というのは、トンネル内の道はほぼまっすぐのようで出口の明かりははっきり見えているのですが、中に入って20メートルも行かないうちに周囲が全く見えない状態になりました。私と違って目のそれほど悪くない人でもおそらく同じでしょう。かつて車も走っていた道でしょうから下は平坦だとは思いますが、ストックで前を探りながら歩き始めると、なにか溝のようなものにあたります。これは危ないということで一層慎重に前をたたいて探りながら一歩ずつ歩きます。下ばかり見ていると方向が狂います。今回、ヘッドランプを持ってきていなかったのですが、いざとなればスマホのライト機能で10分や20分は乗り切れると思ったのが間違い。新しいスマホにライトアプリを入れていませんでした(自動移行はしていなかった)。ここでダウンロードなんてのんきなこともできないので、将来のさらに目が不自由になった時のために(?)ストックによる手探り歩きの体験ということで数分の恐怖の時間を過ごし、なんとかトンネルを抜けました。ここは基本的に自動車が通る可能性もあるわけですから、ひとり旅の用意という教訓を得ました。
地図によると、トンネルを抜けると古道があります。これならツバキの道からトンネルの上を通ってきた方がよかったとも思いましたがあとの祭り、こういうところが初めての場所の難しいところです。まぁ、心霊スポットの噂のある真っ暗なトンネルを歩いたのも面白い経験でした。難関の本坂峠を越えたのであとはこの古道を下り、元の姫街道(新道)に戻るだけですが、途中いくつかの興味深いポイントがあったので立ち寄ることに。まずは「嵩山蛇穴(じゃあな)」という恐ろしげな名前の遺跡があります。これは街道から少しはずれるのですが、地図を見ながら進んでいくと、女性の登山者に出会いまし。ここまでほとんど人に会わなかったのでよい機会と、写真を撮ってもらうことにしました。女性も撮ってほしいということで、こういう出会いがうれしいのは人の少ない道ならではです。さらに蛇穴目的地付近まで来て、場所を確かめていると、そこに2人の女性登山者が現れました。そこで蛇穴の場所を訪ねると、少し行き過ぎていたらしく、ひとりがわざわざ、分岐点にもどり、すぐ先の崖下にある洞窟まで案内してくれました。どこでも登山者はやさしいひとばかりです。蛇穴とは崖下にある洞窟で、説明によるとかなり深い鍾乳洞のようで、縄文時代の住居跡。かなり長期間にわたって使用されたようです。この洞窟のすぐ下には小さな池もあり、この低山にはシカ、イノシシなどの獲物も多くいたでしょうし、なにより豊かな浜名湖があります。ここは気候も温暖で、古代から暮らしやすい場所だったでしょう。かつて考古学界をにぎわせた「三ケ日原人」もどうやら旧石器時代人だったということで、なんだか納得できます。
さらに元の姫街道(古道)に戻ると、浅間富士浅間神社があります。高く険しい石段とその上の社殿が残ります。頭浅間・足浅間・腹浅間の三社三神元からなる大きな神社で、明治の棄却を乗り越え、地元の信仰を集めてきたことがうかがえます。この石段を下りると、峠道も終盤に差し掛かり、一路歩くだけなんですが、山の上であった数組の登山者以外にはここでも人が見当たりません。本坂峠は「豊橋自然歩道」が南北に交差していて、私がはじめ歩こうとした湖西連山(浜名湖アルプス)につながりますので歩く人がいるのでしょう。時間はまだ十分あるのですが、早く姫街道(本道)に出たかったので、近道でもあれば聞こうと思い、誰かいないかと探しますが、いません。延々と続くミカン畑の中、地図を頼りになんとか現在の街道に出ました。この道をこのまま歩けば、豊川稲荷の駅につきます。あと2~3時間でしょうか。これが当初予定した街道歩きのフルコースなんですが、昨日の7時間以上の街道歩きで左足の小指が靴擦れをおこして歩くたびに結構痛いのと、疲れてきたこともあり、弱気を出して近くにあったバス停に寄ってしまいます。幸い、あと数十分後に「豊橋行き」があります。
近くの畑の中の草原で休み、ようやく来たバスに乗車。乗客は一人ですが、やがて乗る人が増え、豊橋駅に着く頃には都会のバスになっていました。今回いくつかの反省点もありましたが、旧街道ひとり旅を楽しむことができました。
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