P.K.ディックの世界(2)2021年10月24日 13:04



今回、フィリップ・K・ディックのことを書くために書棚の奥をかき回してみると『ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック』という4冊セットの文庫本が出てきました。サンリオSF文庫となっています。現在のサンリオはSFなんか出していませんが、40年前にはこのようにSF小説が結構な人気を持っていたのです。本家の「ハヤカワSF文庫」があり、専門雑誌もありました。思えばあの頃は日本のパソコンやテレビゲームもまだ黎明期で初心者が読む雑誌もいくつも出ていて、本当に、サブカルチャアから趣味の世界まで、日本全体が文化的にも若く、本当に面白い時代だったんだなぁと懐かしく思い出します。


さてこの4冊セットですが、よくみると、Ⅰ~Ⅱ巻とⅢ~Ⅳ巻の編者が違います。どうも2つの異なる時期に出された短編集を日本で4巻にまとめて出版したようです。そのため第Ⅲ巻にディック自身のまえがきがあったりしまが、Ⅰ~Ⅱ巻が1977年に出た短編集、Ⅲ~Ⅳ巻はその後、1984年頃?にでた作品集らしいです。創作の年代は重なっていますが、作品自体はそれぞれの編者により別の基準で選ばれ、重複してはいません。


フィリップ・K・ディックは後年になってからは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』や『ユービック』、『火星のタイムスリップ』、『高い塔の男』などの長編に比重を移しますが、初期から最後まで書き続けた非常に多くの短編作品はどれも傑作でおもしろいものばかりです。私自身が最近は長編を読むのがちょっと苦痛になってきたこともありますが、「短編SFはSFの最高の形式であり(略)私自身の長編の大半は、初期の短編を発展させたか、いくつかの短編を融合したもの―重ね合わせたもの―である」(第Ⅱ巻末の「著者による追想」)という著者自身の言葉に便乗して、今回はこの4冊の短編集を素材に前回の記事で触れた、難しくいえば<人間の存在に疑問をつきつけるようなテーマ>を種にして、この作家がどのようなストーリーでわれわれを、時に楽しませ、時にドキッとさせているかをみてみたいと思います。


・変種第2号(Second Variety) 1953年


1940年代から1960年代にかけてのSF小説は当時の米ソ冷戦時代を背景としている作品が多いです。この作品も核戦争後の破滅的な米ソ戦争の中で、地下で自動生産されるクロ―と呼ばれるロボット兵器が自分自身で高度化し、ついには人間そっくりに進化してしまい、だれが人間でだれがロボットなのかがわからなくなってしまうという話です。ロボットは、ついには敵の兵士だけでなく、味方も含む人間をすべて抹殺するように見境がなくなっていきます。このようなストーリーはこの後も多くの作家が取り上げますが、ディックの小説はこの時からすでに人間不信に及びかねない過激性を秘めていました。余談ですが、これは「機械対人間」の話なのですが、近年のイスラム社会の対立抗争で登場する思想改造された本物の人間の子供や女性による「自爆テロ」を予見したようなところがあり、かなり不気味です。


・おとうさんみたいなもの(The Father-thing) 1954年


一度読んだら忘れられないとはこの短編のことです。ごくふつうのアメリカの家庭で、ある日、子供が、父親が「何か」に変わっているのに気づきます。見かけはおとうさん、でもおとうさんじゃない! その「おとうさんみたいなもの」は始めはやさしそうですが、次第に凶暴になり、ついに子供は外に逃げて、近くの友達とともに、その「おとうさんみたいなもの」の正体を突き止めようとします。やがて自宅裏の湿った竹藪の地中に生息している白い幼虫みたいなものが人間に近づき、外見を残して肉体の中に入り込み、人間みたいなものになっていくのを目撃します。子供たちは害虫を処理する方法で「彼ら」を駆除するのですが―。中身を吸い取られてグニャグニャの皮だけになった「おとうさん」のイメージがいつまでも記憶に残ってしまいます。ディックの世界で人間の外見と中身が入れ替わるという発想はたびたび現れます。


・電気蟻(Electric Ant) 1969年


この小説での電気蟻(Electric Ant)は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(映画『ブレードランナー』の原作)の中に出てくる「電気羊(Electric Sheep)」とは違って、昆虫の蟻に似せたロボットのことではなく、人工的に造られた人間(小説ではアンドロイド、映画ではレプリカント)のことです。自分を有能な経営者だと思っていた主人公の男が、ある日気が付くと、交通事故を起こし腕を失っていました。さらに、そこでなんと自分が人間ではなく「電気蟻」だったことを冷酷に知らされ、あっけなく病院を追い出されてしまいます。そういう社会なのです。失意の中、自分の内部の記憶がどのように生まれているかのメカニズムに気づいた男は、それが肉体の中に埋め込まれたさん孔テープに記録されていることを見つけ、そのテープを加工し始めます。すると目の前で起こっている現実が次々に変化していくのです。メモリーが穴の開いた磁気媒体=さん孔テープというのがいかにも時代を感じさせますが、人間の記憶や感情=つまり人間の意識そのものが人工的なメモリで置き換えられ、今まで信じていた自分の記憶=意識が移植されていたものだというのは、後のディックの多くの長編につながります。つまりはあなたの隣にいる人があなたと同じ感情をもっているとは限らないという世界の始まりです。


・人間らしさ(Human Is) 1955年


これも人間の外観と中身が入れ替わってしまうという話ですが、上の話とやや違って、SF小説の要素は薄れ、どちらかといえばファンタジーに近い読後感があります。地球に暮らすその夫婦には子供もいますが、夫のヘリックは冷酷な性格で、妻にも子供にも愛情がなく、ひたすら軍事関係の仕事に熱中しています。ある時、ヘリックは自身の関与する計画でと深宇宙の星との戦争にでかけ数週間家をあけます。ところが、帰ってきたヘリックはなにかが違っているのです。妻には愛情豊かな言葉をかけ、子供と遊び、家族で仲良く出かけます。妻は幸福になりますが何か違和感も感じています。すこしたって政府の出入国管理官がやってきて、ヘリックは別人で、彼の肉体には古い星の滅びかけた異星人が入り込んでいるのだと告げます。ただし、すでに地球に来てしまっているので、地球の「法律」で裁いて死刑にしなければならず、それには妻の証言が必要といいます。裁判の日、妻は前言をひるがえし、夫は何も変わっていないと証言し「へリック」は無罪になり、夫婦は腕を組んで楽しそうに法廷をあとにします。



(以下、作品追加の可能性あり)