古綾瀬川の最終地点 ― 2025年10月20日 13:44
何回か前の記事<綾瀬川の起点─備前堤>で、埼玉県東部を流れる綾瀬川の変遷とその結果としての荒川との分離さらに桶川市付近での河川の締切りと始まりことを掲載しました。こうして現在の綾瀬川は思わぬ場所が起点になり、埼玉県東部平野をゆっくり流れ下って東京都にいたり、足立区綾瀬付近で隅田川に合流するという中小河川になりました。
この綾瀬川は、江戸時代初期の瀬替という大変化のあとも、寛永年間(1624から1644年)に幕府による改修が続き、現在の草加市付近を一直線に流れる流路が開削され、これが現在の綾瀬川本流になっています。そして、残された旧河道は草加市金明町付近で締め切られた古綾瀬川になっています(草加市史など)。これにより、現在の観光地としての「草加松原」の景観が残ったのは幸運なことですが、断ち切られた古綾瀬川は人びとが行き交う華やかな「草加松原」の始まる前に視界から消え去り、終わったところにまた現れるというほとんそ忘れられた川になってしまいました。
この忘れられた川の様子がどうなっているのか、そして、もうひとつ大きく変わった綾瀬川の墨田川合流点付近はどうなっているのか、つまり、先の「起点」とこの古綾瀬川の流れ、そして隅田川残るかつての綾瀬川合流点を見ることで、綾瀬川の全体像を見てみたい。そして、それを「まち歩き」のテーマのひとつとしてみようというのが私の目的になりました。多分、埼玉県草加と東京都足立区の「裏町散歩」みたいな感じになりそうですが、歩行距離的にはそれほど難しくなくいけそうな感じです。歩いた順に報告します。
・東武スカイツリー線の「新田」駅から
駅名は「しんでん」と読みます。ここは草加の2つ前の駅で、南越谷からも2つ目です。1つ前の駅が「蒲生」ですから、ガマの生えた沼地の広がる中の水田のイメージです。現在は、かなり新しい新興住宅地ですが、随所に残る用水(跡)に江戸期以来の新田開発の歴史を感じます。その中を日光街道に沿って綾瀬川がまっすぐ南下していますが、ほどなく、巨大な地上のトンネルを思わせる首都圏外郭環状線の高架道路が横切っている箇所につきます。ここで左(東)に直角に曲がっていくのが古綾瀬川です。巨大な水門があり、普段は水は流れていないのか、古綾瀬川の水面には塵芥が浮かび不気味な緑色に淀んでいます。古綾瀬川はそのまま外郭道路と並行に流れ、反対側には広い遊歩道が設置されています。とはいえ、休日の午前も散歩する人の姿はありません。

・外郭道路と別れ、再合流点は「草加松原」
遊歩道を30分ほど進むと川の行く手にまた水門らしき建築物が見えてきます。ここで、外郭道路と流れを直角に変えてからゆっくり右に輪を描くように流れて、数キロ先でまた現在の綾瀬川に注ぎます。この間が現在の古綾瀬川ということになります。川の両側にはいわゆるカミソリ堤防で、遊歩道もなく、歩ける場所はありますが、行きどまりになったり、浄化槽があったり、あまり人が近寄る場所ではなさそうです。それでも、水面との間の狭い隙間にわずかに緑の植生があり、釣りをするひとがいたり、アオサギやカワウなどの大型水鳥の姿も観察できますので、水の流れがあれば一定の自然は残るものだと思います。
ただ、両岸の様子はあまり芳しくありません。草加市と八潮市の境堺辺りで、かつての田園地帯が工場地帯になり、宅地になりという場所だと思いますが、少し離れた東武線駅周辺の賑わいに取り残された裏町感が濃い場所です。それがずっと続きます。
この古い川ががふたたび綾瀬川と再合流するのはちょうど草加松原付近になります。草加松原は史跡になっていて、ドナルドキーン氏のみごとな揮毫になる記念碑も見ることができます。ここは地味な綾瀬川では唯一の誇らしい場所といえます。手入れの行き届いた松並木はきれいですし、左岸にはかなり広い公園があり、休日ですので多くの人の姿があります。
さて、ここから綾瀬川を下って最下流の隅田川沿いまで歩けばいいのだと思い、一度はそう考えたのですが、全体の距離と川沿いの景観にあまり期待がもてないので、ここから一気に加速して、足立区の最終合流地点付近まで、交通機関で移動することにしました。すぐ近くが東武スカイツリー線の「獨協大学前駅」です。ここは少し前まで「草加松原団地」という駅名で、巨大な団地は有名でした。
・東武線で「堀切」駅に移動
行く先は東武線で北千住から乗り換えてた浅草の2つ手前の「堀切」という駅。改札口に駅員の姿はなく、用事があったらボタンを押して呼び出してくれという感じ。多分、東京23区内で一番小さな駅ではないかと思います。駅のすぐ隣に荒川の堤防が高く聳えて何も見えません。堤防を登り、荒川と反対側を見渡すと東京未来大学という建物があり、その隣も学校のようで、その先に目指す古綾瀬川の最終地点があるはずです。堤防を少し進むと青く塗られた鉄の歩道橋があり、その上から写真のように斜めに流れる運河のような川が見えました。これが地図上に再び姿を現わした古綾瀬川です。上を通っているのは首都高速向島線。
高い堤防に遮られた川沿いに進むと、広い道路に出ます。これは隅田川に沿って作られた隅田堤の上の道路です。道路を越え、川沿いに進むといよいよ最終地点に出ます。ごみ処理用の川船が浮かんでいて、いかにも都会の果てという感じが強いです(一番上の写真)。荒川の本流であることをやめ、明治以後は埼玉県から東京東部の下町・裏町の生活用水・雑排水を一手に引き受けてきた川の最後の姿です。
ファーブルの『昆虫記』 ― 2025年09月12日 16:11
「あひるの沼」は『昆虫記』第7巻第7章のなかで水生昆虫の話の途中に書かれたエピソードです。観察記録とは直接の関係のない、こういう小さな、しかしおもしろい挿話が出てくるので「昆虫記」は永遠の文学になっています。残念ながら、壮年になってからの再読では子供のころの感動は蘇りませんでしたが、あのころ手がでなかったファーブルの精緻で丁寧な文章を時間をかけて楽しめるようになりました。
ファーブルの『昆虫記』はいくつかの翻訳があるようですが、有名なのは私が時間をかけて通読した岩波書店版の『完訳 ファーブル昆虫記』全10巻で、1989年に出ています。すぐに文庫版となり、現在まで発行され続けています。本当のロングセラーです。私の読んだのはもちろんこの文庫版です。最近では、ファーブルを敬愛するフランス文学者の奥本大三郎氏の『完訳版ファーブル昆虫記』(集英社・全10巻・20冊)が知られています。私はこの本を最初の巻から購入していたのですが、すぐに読むためではなく、豪華で、たくさんの綺麗な写真の入ったこの本を鑑賞するためでした。しかし、途中で何年間も発行が止まったりして、奥本氏の健康まで心配しましたが、10年以上の年月をかけて完結しました。そこであらためて本文をゆっくり読もうと思ったのですが、年齢のためか、あるいは同じ内容を読む気力・意欲がなくなったのか、現在はむなしく書棚の華になっています(しかし、今回もう一度開いてみたところ、本文の文字サイズが大きく、老後に?読むには最適と思い直しました)。これが上の写真です。
その下はおなじみの岩波文庫版。翻訳は山田吉彦・林達夫の共同訳となっています。本文はわかりやすく、適度に硬く、まさに名訳と思います。林達夫氏は高名な哲学者・評論家ですが、もうひとりの山田吉彦というのは、なんとペンネームを「きだみのる」という破天荒な人物の本名です。どうして、このふたりが戦前から戦後まで10年以上もかかってこの『昆虫記』の日本語訳を行うことになったのか、その辺の事情はわかりませんが、最初に翻訳を開始したのはきだみのる(山田)で、『昆虫記』の内容と美しい文章に魅了されたためのようです。きだみのる(山田吉彦)の個人訳部分もかなりあるようです。
ただ、現在、パソコンのAIなどに聞いてみると
<文庫版の「訳者あとがき」や「解説」では林氏の筆が中心になっている巻が多く、読者の印象にも強く残るのは林氏の思想的な語り口かもしれません。>
というAIとは思えない返答がかえってきました。しかし、第1巻の最後に記されている「訳者から」の「ファーブル略伝」と「ファーブルの旧地を訪ねて」はどうもきだ(山田)が書いたような雰囲気です。困難な翻訳作業の合間に楽しんでいるようなユーモアに満ちた楽しいエッセイです。AIの回答にも?が残ります。
* 『きだみのる―自由になるためのメソッド』(太田越智明)という本で、これが、きだ(山田)が書いたものであることを確認できました。
勇気づけられた『冒険記録』 ― 2025年09月05日 11:25
そんな中、ふと思いだしたのが、10年以上前に夢中になったノンフィクションのこと。そのときの思いをかなり以前に書いた「メールマガジン漂流記」という本の中に入れた思いがあったので、探してみるとありました。「2001年8月13日」のことで、15年前です。以下がその内容。
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「新潮文庫の一〇〇冊」というキャンペーンに乗ってうかうかと買ってしまった本が『エンデュアランス号漂流(原題 : ENDURANCE)』。ノンフィクションは大好きですから選択に間違いはなかった、というよりこれは驚くほどの傑作でした。第一次世界大戦のころ、南極大陸横断に挑戦した探検隊が沈没した船を捨て、揺れ動く流氷と荒れる海を乗り越えて十七か月後に全員無事で生還を果たす──とこれはまさに典型的な遭難事故ですが、体験は記録されることによってはじめて歴史になり、後世に残ります。
その漂流記録を作家のランシングが調査しまとめたのが一九五九年。「これから述べる話はすべて真実である」という冒頭の一行でリアリティを保障された想像を絶するストーリーが、詳細、緻密に絶妙の構成で一気呵成に展開します。これほどの内容の本の日本語訳が出たのがなんとその五十年後の一九九八年です。文庫版の解説のなかで、アラスカで亡くなった動物写真家星野道夫氏が座右の書としていたというエピソードも紹介されています。実際の冒険家を感動させるというのはちょっと信じがたいですが、この本の迫力はそれほどすごいものがあることを示している実話だと思います。
南極探検での極限を描いた記録としてすぐ思い浮かぶのはチェリーガラードの『世界最悪の旅』です(私は筑摩書房から一九七二年に出た「世界ノンフィクション全集」版の抄訳を持っています)。しかし、その内容は比較になりません。『世界最悪の旅』は実際の参加者の体験記なので、作家の手になる『エンデュアランス』と比べてはいけないかもしれませんが、それ以上に、同じように死と隣り合わせの極限の苦闘を描いてはいても生存のための条件が違いすぎるように思えます。
この歳になると、勇気づけられる体験に出会うことはめったにありませんが、この本を読んでいる時間は、まさしくそれに値するものでした。この記録がノンフィクションの古典となるのは間違いないでしょう。
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『漂流記』つながりでややこしいですが、この本に関連しては隊長のアーネスト・シャクルトンの出した回想記『エンデュアランス─奇跡の生還』も購入し、これは実際の体験者の手になるものですから違う意味でなまなましく疑似体験的な面白さがあります。ランシングというプロの作家の手になる「記録小説」のほうが、ストーリー展開や記述の巧みさや危機に直面していくドラマチックな構成力という点では断然上ではあるのですが、これはしかたのないことでしょう。
海底で海底でみつかった船体の鮮やかさ
南極大陸に面するウェッデル海の大氷原の中でのエンデュアランス号の破壊・沈没で当初の目的の探検は終わり、しかし、そこから次の本当の意味での劇的な冒険旅行が始まるというのがなんともドラマです。ここにもうひとつの後日談ですが、上の感想を書いてからまた10数年後(沈没からは108年後)の2022年になって、南極海の底からこのエンデュアランス号が発見されるというニュースが流れました(2番目の写真)。写真をみると水深3000mの海底で、この船はじつにきれいな状態のまま横になっています。記録にたがわず、頑健な船だったことがわかります。

































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